第164話 助言
食事をすると魔力の器が広がる。
正確に言うのなら美味しく食事を楽しむと魔力の器が広がる。
ただしその恩恵を得られるのはパッシブ魔法の使い手……俺とポチだけ。
まだ断定は出来ねぇものの、そういった可能性があるかもしれねぇとなって俺達は早速翌日から修行を兼ねての食い道楽を始めた。
朝起きたら体を動かして、朝飯食ったら体を動かして……腹が減るまで動かして。
そうしたら飯屋に行って腹いっぱいまで飯を食う。
この繰り返し。
これで魔力の器が大きくなり、体内に溜め込める魔力が多くなり、その分だけ身体能力を強化出来る……はずだったのだが、三日程経っても目立った効果は現れなかった。
これはペルの仮説が間違っていたというよりも、どうやら俺達の心情的に……純粋に食事を楽しむ訳ではねぇ、器を鍛えるための修行のような食事というのが拙かったようで……いくら美味しい料理を口にしても、どんなに腹を空かせてから食べても義務感のようなもんがちらついて、どうにも上手くいかなかった。
上手くいかねぇとまた焦る気持ちが心ん中で膨らんできて、膨らんでくるとこれまた義務感のようなものが強くなってしまって……悪循環。
そうして頭を悩ませることになった俺とポチは、初心に帰ってみるかということで、組合屋敷からすぐの場所にある、上等な……高級な湯豆腐屋へと足を運んだのだった。
貸し切り部屋ではなく、そこらの机で。
一番上等な品ではなく、そこそこの湯豆腐で。
変に張り切りすぎてもよくねぇようだからと、そんな感じで湯豆腐を楽しむが……すぐ側で目に魔力を滾らせながら俺達のことを見やるペルはただ首を振るのみで……どうやら今回も上手くはいかなかったようだ。
……とはいえまぁ、そんなもんだろうという、変な納得感があったりもする。
こんな方法で強くなれるなんて、そんな眉唾な話早々ある訳もなく……むしろこうして成果無しの方が納得出来るってもんだ。
「……ま、今日までの間、好き勝手美味いもんを食えたんだ……文句はねぇさ」
湯豆腐をさじですくい上げ、酢ダレにつけて口に運んで……そうしてそんな言葉を口にしていると、隣の席に座っていた中々上等な僧服姿の坊さんが声をかけてくる。
「法力を求めておるのか?」
「あん……?
いや、俺達は法力っつうか、魔力の器を―――」
「法力を求めておるのだな!」
四十か五十か、そのくらいのその坊さんは、俺が言葉を返そうとするとそれに被せる形で声を荒げてくる。
……そういや仏教じゃぁ『魔』って字はあまり良いもんじゃぁなかったんだったか?
あんまり詳しくはねぇが……魔法も魔力も坊さんとしちゃぁ忌むべき言葉なのかもしれねぇなぁ。
なんてことを考えた俺が、
「……まぁ、だいたいそんな所だよ」
と、返すと坊さんは鍋の中の湯豆腐を一気に平らげ、椅子を持ってこちらの机へと移動してきて……そうしてすっとこちらに、タコだらけの手を差し出してくる。
「あん? 何だこの手は……?」
「……まさか僕達の分も食べたいんですか?」
俺と、ずっと黙って様子を見守っていたポチがそう返すと、坊さんはほんの一瞬だけ指を丸め、銭の形を作り出してから……何事も無かったかのようなすまし顔をこちらに向けてくる。
……いやもう、どうしたもんかね、この坊さんはよ……いきなり話に入り込んできて銭を寄越せってなぁ……。
そのすまし顔に対し俺がそんなことを考えながら苦い顔を返していると……コボルト用の椅子を持ってきて、ひょいと飛び乗ってちょこんと座ったペルが、坊さんの手のひらの上に、それ相応の量の銭を乗せる。
「お、おいおい……何やってんだよ、兄弟」
「兄弟こそ何を言ってるのさ、お坊さんは苦行修行の本家本元だよ?
ひと目見ただけでオイラ達が何をしているのか察して、声をかけてきた辺りからしても只者じゃぁないようだし、ここは一つ助言をもらおうじゃないか」
俺の言葉にペルがそう返している間に坊さんは、銭を握った手をすっと袖の中に潜らせ……ほんの一瞬の後に、空っぽになった手のひらを、さも何事もなかったかのように机の上に置き……そうしてから指をうねうねと動かしながら芝居がかった声で語り始める。
「ワシらが法力の存在をはっきりと認識したのは、エルフやドワーフの修行僧が現れるようになってからだ。
向こうの世界では法力によって様々な現象を起こすことが出来、生活のあらゆる場面で活用しているとかで、修行僧達も当然のように修行の中で法力を使い始めて……その様子を見ているうちに、一緒に修行をしているうちに、ワシらは自然と法力を認識するようになり……そして己の内側にある法力の存在に気付くことが出来た訳だ。
一度気付いてしまえばあっという間で、ワシらの中にある法力はどんどんと大きくなっていき……高僧の何人かは、法力によって宙に浮かぶことに成功し……更に上の上の上、空の彼方まで飛び上がり、森羅万象の果ての果てをその目によって見ることで、悟りに至ろうと日々修行に励んでおる」
「……マジか、寺の連中は魔力でそんなとんでもねぇことをしようとしてんのか」
坊さんの言葉に俺が思わずそんな言葉を返すが、坊さんは聞こえてはいるのだろうが聞こえてないフリをし、言葉を続ける。
「そんなことが出来るまでに法力を育てるのには当然厳しい修行が必要となる訳だが……稀にではあるが、修行中の小坊主なんかでもかなりの大きさの法力を得ることがあった。
小坊主の修行というのは、ワシらがするようなそれとは全く別種の、入門用とも言えるようなもんで、それで高僧と同じような法力とはどういうことだと混乱が広がることになった訳だが……その理由はすぐに明らかになった。
そういった小坊主にはなんとも分かりやすい共通点があり、どの小坊主も特別精進料理の美味い寺に属しており、ついでに食いしん坊で、人生の何よりも食事が好きという、そういう性格をしておったのだ」
「はぁん……寺の精進料理がそんなにも美味ぇってぇのは、あんまり想像できねぇが……まぁ、湯豆腐と似たようなもんなら、悪くはねぇのかもな」
「法力を得て育てるには修行が第一ではあるのだが……食事でも育つとなってワシらは様々な検証をすることになり……理屈も仕組みもよく分からないままではあるが、食事で法力を育てるにはどうしたら良いのかという、心構えのようなものを会得するに至った。
……その心構えとは至極簡単、目の前の食事に真摯に集中するということだ。
目の前の食材に向き合い、調理をしてくれた人の想いに向き合い、それらを生み出した自然の大いなる力に向き合い……それを美味しいと感じる人の体の不思議に向き合う。
食事の美味しさに感激するでも良い、感謝するでも良い、とにかく集中して向き合い……食材一つ一つをしっかりと認識した上で、それを我が身に、肉に骨にすべく懸命に口を動かす。
たとえばこの湯豆腐は昆布で出汁をとっておる、そこに白菜とネギを加えて、良い大豆で今朝作ったばかりの豆腐を沈めて煮込んでおる。
この寒空の元、冷水に手を浸しながら職人が作ってくれた豆腐には大地の力が詰まっていて……ワシはかけなんだが、お主らはかつおぶしをかけておったな。
ならばカツオにも向き合い、カツオが住まう大海にも向き合い……そうしてそれらに感謝したならば、雑念などが入る余地はなし……。
雑念がなければ何かに邪魔されることもなく、淀みのない流れで食材に込められた力が内なる器に向かい法力を育てることだろう」
「はぁん……なるほどねぇ。
坊さんってのは食事一つに面倒くさいことを考えてるんだなぁ。
……そんな風にあれこれ考えてるのって食事に集中してるって言えるのか? 逆に集中できてねぇんじゃねぇか?」
あつあつの豆腐をさじですくい上げ、口の中に流し込み、その味とのどごしを堪能しながら飲み込み……ついでにそんな言葉を口にすると、坊さんは目を丸くしながら俺のことを見やってくる。
……何か拙いことでも言っちまったかな? なんてことを考えていると、ペルもまた似たような顔でこちらを見ていて……そうしてから半目となって呆れ顔になったペルが言葉をかけてくる。
「……兄弟、今の一口で器がだいぶ広がったようだよ。
……兄弟はあれだね、誰かと雑談しながら、賑やかな団らんって感じで食事を楽しむ方が良いみたいだね……」
その言葉を受けて俺は「へぇー……」とだけ返す。
いや、まさかの事態に驚いてもいたし、ようやく大きくなったかと喜んでもいたのだが……鍋の中に残る豆腐はあと一つ。
湯豆腐の最後の一つは、こう食べるんだと俺の中で決めていることがあり、今はそちらの方が大事で、豆腐が冷めちまわねぇうちにとにかく食べ上げようと手を動かしていく。
最後の豆腐を小皿に移動させたなら、たっぷりと鰹節をかけて、刻みネギをちらして……そして少し多めに醤油を垂らして……完成。
豆腐が埋もれる程のかつおぶしに醤油を染み込ませて……それを一気に口の中に流し込んで、噛んで噛んで、噛みながら飲み下し、味と食感を堪能する。
「やっぱ最後はこれだよなぁ……」
坊さんに相談したのが良かったのか、器が大きくなってくれたという安心感が良かったのか、その一口はいつになく美味いもんで……そうして満足した俺は、呆れ顔のままその顔を左右に振ってるペルに対し、
「で、どんだけ器は広がったんだ?」
と、そんな声をかけるのだった。
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