第123話 シャクシャインの鍋


 箸を片手に持ちながら器をボグへと手渡すと、澄んだ汁の中に浮かぶ、鮭の切り身と葉物野菜と豆腐とキノコをおたまでもってすくい取り……手にした器へと流し込んでくれる。


 そうやって湯気を上げ始めた器を受け取って……あったけぇ汁を、一口すすったならなんとも言えない上品な味が口の中いっぱいに広がる


「へぇ……味噌に醤油にみりんに酒に、あれこれと入れるもんだからどんな味になるかと思ったが……思ったよりも濃くないし、落ち着いた味わいになってるんだな。

 鮭や牛酪が入っていても葉物野菜が中和してくれているのか脂っぽくもねぇし……うぅむ、汁だけでも十分に美味いな」


 汁が濁らない程度に調味料を控えているためか、塩気も強くなくとにかく澄んだ味がして、鮭に野菜、キノコの味がしっかりと溶け出していて……全く嫌味がない味に整っている。


 汁が美味ければそれに浸かった具材が美味ぇのも道理で……鮭はもちろんのこと、野菜もキノコも豆腐も……何を食ってもただただ美味さだけが伝わってくる。


 具材を食い汁をすすり、また具材を食って汁をすすり。


 炊きたての白米飯も用意してはあるんだが、あまりに鍋が美味すぎて食う暇がなく……かといって米なしの食事なんてごめんだという思いもあり……無理矢理に合間を作り出して米をかっこむと……これがまた鍋の上品な味付けのおかげか美味さが際立って、いくらでも食えるんじゃねぇかってくらいに箸が進む。


「っかー! うめぇなぁ!

 こういう鍋なら毎日でも食えるかもしれねぇなぁ……具材をちょっと変えればそれだけで飽きねぇっていうか……シャクシャインではこんなのばっか食ってるのか? 羨ましいねぇ」


 器によそった食材全部を食べ終えて、汁も一滴残さず飲みあげて、そうしてからそんな声を上げた俺が周囲を見回して同意を求める……が、ポチ達もネイすらも夢中といった様子で食事を進めていて一切反応を見せてこねぇ。


 そんな中でボグとペルは、俺達のそんな食事風景をなんとも嬉しそうに、微笑ましげに眺めていて……おかわりをよそってやるよとばかりに、ボグがその大きな腕をこちらに差し出してくる。


 ならばと器を差し出して、たっぷりの汁と具材をよそってもらって……また、あの上品な味を存分に楽しむ。


 その味に夢中となった俺が無言で箸を進めていく中、とネイやポチ達もおかわりをしていって……そうして俺達はあっという間に、結構な量があった鍋を空っぽにしてしまう。


「……いや、本当に美味かったな、この鍋……。

 っていうかあれだ、ボグやペルは全く食ってなかったみたいが、良かったのか?

 腹……減ってるだろ?」


 鍋を空っぽにし、器を空っぽにし、箸と器をそっと置いてため息を吐き出して……それから俺がそんなことを言うと、満面の笑みとなったボグが言葉を返してくる。


「いいよいいよぉ、さっき兄弟が言ってたように、オラ達はもうその鍋を食い飽きる程に食ってっから、兄弟達が楽しんでくれたならそれで満足だよぉ。

 兄弟達はほんとうに美味そうに食ってくれてなぁ……オラ、本当に嬉しいよぉ」


「そりゃぁ当然というか、何しろ驚く程に美味い鍋だったからなぁ。

 これだけ美味い鍋を不味そうに食うやつなんていないだろうさ」

 

 俺がそう返すとボグとペルは、喜んでいるような驚いているような曖昧な表情をしてから……何かを言おうとして何かに気付き、言葉を飲み込んでにかりと微笑む。


 そんな二人の視線は一瞬ポチ達に向かっていたようで……その後にボグが自分のふっさりと毛の生えた手を見たことから俺は……ボグ達が何を言わんとしていたのかなんとなしに察する。


 大江戸においてコボルトはすっかりと受け入れられた存在で……江戸の近辺でも大体同じような感じになっている。


 京の方にも何人かのコボルトが移住していて、その周囲にもじわりとコボルト達が広がっていて、あの辺りでもまぁまぁ受け入れられている状態だ。


 だが日の本全てでそうかと言われるとそうではなく、時代遅れとしか思えねぇが、未だにコボルトのことを敵視や蔑視しているような連中もいて……そういうのは江戸や京から距離のある地域に多い……らしい。


 そしてそういった連中が定型句のように口にするのが……コボルト達の体毛がどうのという話だ。


 コボルト達の体毛が料理に入った口に入った服についた、汚らしくて不快で側に居てほしくない。


 本当に時代遅れというか呆れるばかりの発言だが……おそらくはシャクシャインにもそういうのが居るのだろう。


 シャクシャインは相当な広さの島だと聞くし、そこに住まう全ての人間が同じ考えってこともねぇんだろうし……概ねの人々がボグ達のことを受け入れていたとしても、一部の連中からそういったことを言われてしまうとかは……ま、よくある話なんだろう。


 そのことを察し、あれこれと考えた俺は……「ふっ」と小さく吹き出し、声を上げる。


「コボルト屋に行っておいて、そいつぁ今更だろうよ」


 コボルト屋、コボル達が調理や配膳をしている、コボルトの伝統料理を出す店。


 そこで俺達は食事をしていて……俺達以外にも毎日毎日、何百人、何千人、何万人って人間が食事をしていて……誰もコボルトの毛なんて気にしちゃいねぇ。


 コボルト屋の店員達も毛が入らないようにと工夫をしているようで、毛が入りにくい料理を選んでいるようで、そういった努力もあってのことなのだが……何よりも俺達は普段からコボルト達と一緒に暮らしていて、子供の頃から側にコボルトがいるのが当たり前で……人間の髪の毛が時たまそこらに散らばるように、コボルトの毛がそこらに散らばるというのも、当たり前の日常の一幕でしかない。


 そこら辺のことはコボルト屋に行った時点で理解してただろうに、台所をボグに任せた時点で理解できただろうに、だというのに二人は、俺達が鍋の汁に口をつけるその時まで……体毛がどうのだとか、ボグが作った飯が食えるかだとか、そんなことを言われるんじゃねぇかというくだらない心配をしていたようだ。


 全くくだらねぇ、本当にくだらねぇ、小さく引き出してしまう程にくだらねぇ。


 なんて俺の想いを、先程の言葉から読み取ったらしいボグとペルは、もう一度笑みを浮かべ……今度は一切の不安の色のない、満開の笑みを浮かべて「へへっ」「ははっ」と小さく笑う。


 そんな二人の笑みを見て立ち上がった俺と……それに続いて立ち上がったネイとポチ達は、美味いシャクシャイン料理を食わせてくれた二人に礼をするために、何か江戸らしい料理を二人に用意してやるかと、行動を開始するのだった。

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