第116話 ボグのうっかり
シャクシャインからやってきた二人の客人、熊獣人のボグとコロポックルのペルと出会い、なんだかんだで仲良くなって、そんな二人に対泥人形のための稽古をつけてもらえることになった……のだが、そもそも二人はシャクシャインの重鎮であり、吉宗様の客人であり……そちらの要件が何よりの目的であり最優先すべき事柄であり、すぐに稽古云々という話にはならなかった。
いつのまにかいなくなっていた田畑からの報告を受けてやってきた幕府の職員に連れられていって江戸城へと顔を出すことになり、吉宗様との会談をするということになり……稽古云々に関してはまた後日、時間の余裕が出来てからということになった。
そもそも吉宗様に呼ばれて吉宗様に会うためにやってきた訳で、そっちの目的を優先するのは至極当然な話な訳で……それもそうだろうと納得した俺は、自宅へと帰り……そうして翌日。
組合の屋敷へと顔を出し、道場へと向かい、さて、鍛錬でもするかと道着に着替えた所で……騒がしい足音が玄関の方から響いてくる。
大股でドスドスと音を響かせて。
明らかに人のものではないその音を聞いた俺がまさかと驚きながら道場の入り口へと視線をやると、熊そのものとしか思えない顔が現れて……「おぉ、いたいたぁ」なんてことを言いながら満面の笑みを向けてくる。
「……もう来たのか?
上様の下でもう二、三日は忙しくしているものと思ってたんだが」
と、俺がそう声をかけると、熊顔のボグはのっしのっしと道場の中に入ってきながら言葉を返してくる。
「そういうややっこしいことはぜーんぶペルに任せてあんだぁ。
オラは木偶の坊だからなぁ、筆もそろばんもてんで駄目なんだぁ。
そん代わり、体動かしたり、力づくでなんとかしたりするのは大の得意で……ペル程じゃねぇけんども、魔力だって使えんだ。
ちゅー訳でまぁ、まずはオラの一撃をそこで見ていてくれやい兄弟」
なんてことを言ってから道場の中央にどっしりと仁王立ちになって構えて……そうしてからボグは、深く強い呼吸をし始める。
吸う量が段違いで、勢いが段違いで、吐き出す量も段違いで、ただ息を吐きだしているだけで道場が揺れているかのような錯覚を覚えてしまう程で。
そうやって力を込めたなら込めた力を全身に巡らせて……それを受けてボグの全身の筋肉が見て分かる程に大きく膨らみ……膨らんだ筋肉を唸らせながら片手を振り上げたボグは、まるで平手打ちでもするかのように、振り上げた手を凄まじい速度で振り下ろす。
言ってしまえばそれはただ手を振り下ろしただけのことなのだが……しっかりと型が整っていて、熊のそれに近い作りの指の先に生えた爪でもって何も無いはずの空間を見事に切り裂いていて、一瞬ではあるが確実に綺麗な剣閃がそこに現れていて……直後、ひぃんとほんの一瞬の鋭い音が弾ける。
その光景……というか音に俺が驚いていると、剣閃の鋭さとは真逆ののんびりとした声でボグが声をかけてくる。
「ま、こんな感じだなぁ。
コツは込めた魔力と込めた力を同時に弾けさせることだなぁ、そうすると段違いの速さになって切れ味も抜群になるんだよぉ、これ相手が倒れるまで繰り返せば核がどこにあったって関係ないはずさぁ。
魔力と力の出し方っていうか、まちょくと力を出す機をちゃんと狙うっていうか、ちょいと工夫してやると段違いになるんだよぉ。
ちなみにうまく魔力を斬撃に込めてやると、魔力で動いてる物は動きが鈍るとも聞いたことがあるなぁ」
「……なるほどな。
いや、驚く程にすげぇ一撃だったし、それを直に見せてもらったことには感謝してるんだが、その、なんだ……俺には魔力が一切ねぇし、感じ取ることもできねぇんだよ。
だから魔力と力を同時に弾けさせるっていうのがよく分からねぇというか、昨日も言ったがそこら辺に関してはペルに習うまではどうにもできねぇ感じでなぁ……。
それともボグの方で何かこう、魔力を知らなくてもさっきの一撃が放てるような、魔力の基礎みてぇなもんを教えてくれるのか?」
俺がそう返すとボグは大口をあけて、顎が外れんじゃねぇかってくらいに大きく開けて……言葉の通りの愕然といった様を見せつけてくる。
愕然とし、呆然とし、大口を開け続け……すっかりと魔力のことを忘れていたというか、こちら側の人間が魔力を扱えねぇことを忘れていたと言わんばかりの様子を見せたボグは、しばらくの間そうし続けてから……急に我に返ってぶるぶると顔を左右に振って、そうしてからしゃがみ込み、背負いっていた布鞄を下ろし、布鞄の口を大きく広げていく。
「あー……型を教えてくれるだけでも十分参考になるし、何なら組み手でもしてくれりゃぁ良い経験になるし、とりあえずはそんな形で稽古をつけてくれりゃぁ十分にありがたいさ。
そもそもボグからは魔力どうのじゃなくて力任せな戦い方を教えてもらうって話だったしな。
……その立派な体と膂力はやっぱ熊……というか獣人ならではのものなのかい?」
大きな背中を小さく丸めて布鞄の口を広げてがさごそとその中身をあさり始めたボグに俺がそう声をかけると……どういう訳かぎこちない笑みをこちらに向けてきたボグが、鞄の中から大きな何か……ぱっと見た感じ干し肉なんだろうなって結構な大きさの品を引っ張り出して、こちらにずいと差し出してくる。
「力つけるためにまずこれを食うといいよぉ」
「肉を……か?
鍛錬が終わった後に腹減ったからって食うなら分かるが……」
差し出されたその肉を……木の実やら何やらが表面にまぶしてあるそれを受け取りながらそう言葉を返すと、ボグは小さく肩を落としながら言葉を返してくる。
「こりゃぁオイラが狩った鹿の肉で、唐辛子とか山椒とか木の実とか、お茶っ葉とかを砕いて混ぜて煮込んだ汁に漬け込んだ上で干したもんなんだよぉ。
これを食うと体がかっかして、そわそわして……その状態で稽古をすると筋肉がうんとつくって言われてんだよ。
昔から言い伝えられてるもんで、あちらの世界で住んでいたご先祖様が考えたもんってことらしい。
……これ食ってオイラと稽古したら筋肉がうんとついて、きっと魔力とか関係なく強くなれるよぉ。
……だから、その、ペルにはうっかりしてたこと言わないでくれるとありがたいなぁ、昨日聞いたばかりのことを忘れてたなんて知られたら、何言われるか分かんねぇからよぉ。
オイラ、憧れてた花のお江戸で、気の合う兄弟と知り合えたのが嬉しくて浮かれちゃってたみたいなんだよぉ」
そう言ってお使いに失敗してこれから叱られる子供みてぇな顔をするボグを見て俺は……受け取った肉に噛みつき……固くて辛くてしょっぱいそれを何度も何度も噛みながら、ボグの肩をばんばんと叩いてやる。
そうしてから一言、
「気にするな、兄弟」
と、返す。
するとボグは満面の笑みとなって……その大きく太い腕で俺のことをぐわりと抱きしめてくるのだった。
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