第112話 つげ櫛
その後はドロップアイテムの精算などをして帰宅し……そうして翌日。
俺はネイを誘った上で、海の方へ……最近になって急速に整備が進んでいる江戸港へと足を運んでいた。
そもそも江戸港は綱吉公の時代からドワーフ達の手によって整備が進められていた場所だ。
船が出入りしやすい場所までの埋め立てを行い、防波堤を整備し、切り出した石だけでなく
そうした設備のおかげで、各地から多くの荷物が入ってくるようになり、漁でも以前とは比べ物にならねぇ程の魚が水揚げされるようになっていて、江戸港無くして俺達の生活は成り立たねぇ程となっている。
そんな江戸港が更に整備されるとなったらもう、それは大事であり、人と金がこれでもかと動く事態であり……港に近づいていくと以前来た時よりも賑やか過ぎる程に賑やかな人の声が聞こえてきて、更にはかーんかーんと何処からか木や石、鉄を叩く音なんてのも聞こえてくる。
「また港で魚料理を味わうの? 今の時期なら鯖か鯵かしらねぇ」
港に近づくなりネイがそんな声をかけてくるが……今回は、前回足を運んだ屋台の並ぶ一画ではなく、別の区画……造船所のある区画へと足を進める。
先程から響いてきている音の発生源は、その造船所であり……そこに近づくと屋台目当ての客や、漁師の姿はうんと減っていって……代わりに今回のために招集されたらしいドワーフやら船大工やらの姿が増えていく。
造船所の側にはもくもくと黒い煙を上げる大きな煙突のような炉の姿もあって……そんな造船所やら、炉やらを一望出来る防波堤へと向かい……釣り人やらが居る一帯を抜けて、防波堤の先端にある灯台近くまで足を進める。
「……アタシも一応は女なんだけどね? 女をこんな所に連れてくる? 普通?」
なんて小言を言われながら俺は、懐にしまっていた風呂敷を広げて座り……その隣に座ってくれとぽんぽんと手で叩くことでネイに伝える。
するとネイは首を傾げながらも隣に座ってくれて……俺は今この時にも黒船作りが進んでいるだろう造船所を見やりながら声を上げる。
「あー……何から話して良いのやら……。
……まぁ、順番に話していくと昨日、ダンジョンで大量のミスリルを手に入れてな」
「うん、知ってる。
アタシの所にもいくらか流れてきたし」
するとネイもまた造船所を見やりながら声を返してきて……そんな風に俺達は、波の音や鉄を叩く音、釣り人の悲喜こもごもの声なんかが聞こえてくる中で会話を進めていく。
「……お前の所にも? なんだってまた?」
「そりゃぁ勿論、上様が賢いお方だからよ。
幕府で独占するんじゃなく市場に流すことで、在野の研究者や鍛冶師が手に入れられるように、研究開発出来るようにして、ミスリルの新たな使い方を見つけさようとしているっていうか……江戸中の知恵を結集しようとしているの。
ミスリル関連に限らず、新しい発明や技術を保護する特許っていう取り組みも少し前から始まったし……もしかしたら異界から技術が流れ込んできた時以上の産業発展が起こるかもしれないわね」
「はぁん、なるほど……。
それもあってあんなに喜んでいて……そんでもって更に多くのミスリルを取ってこいとなった訳か」
「まぁ、噂の黒船計画も前に進む訳だし? それ程の品があれば更に更に進んだ技術が見つかるかもしれない訳だし? 改革肌の上様としてはお喜びになって当然よね。
……しっかしアンタがそんな風に言うなんて、相当だったみたいね?」
「まぁなぁ、俺達に官位をなんて言い出すくらいだからなぁ……。
従四位下なんて親父が聞いたら卒倒しちまいそうだな」
「え!? は!? あ、アンタなんかが官位を!?」
すぐ隣でそんな悲鳴のような声を上げられて、顔をしかめた俺は顔を左右に振ってから言葉を返す。
「いやいや、流石に断った……つーか、上様の御冗談ということで流したさ。
いくらなんでも俺なんかに官位なんてことになったら……大問題になっちまうだろうしなぁ」
「そ、そりゃぁそうよね、いくらアンタでも流石にそうするってもんよね。
……い、いや、本当にびっくりしちゃったわ」
「んでまぁ、ここからが本題なんだが、その話のついでに尾張か紀州から嫁取りをなんて話まで出てきちまってな……。
それに関しちゃぁ冗談としても、これからどんどんと危険なダンジョンに潜ることになるんだから、いい加減祝言を挙げて血を残せなんてことを言われちまってな」
そう言って俺が視線を向けると……ネイも俺が何を言わんとしているのか察したのだろう、驚き混じりの表情をこちらに向けてくる。
その顔に対して何か気の利いたことを言おうとしたのだが……口を動かしても喉を唸らせても声が出て来ず、仕方なく懐の中に手を突っ込んで、上等な刺繍のされた布包みを引っ張り出して広げて、その中から昨日の帰り道で慌てて買った上等なつげ櫛を取り出し……驚きの色合いを濃くするネイの手首を掴んで引き寄せて、その手の中に櫛をぐいと押しやる。
するとネイはそれをしっかりと掴んだ上で……にやりと笑い、なんとも嫌な笑みを浮かべてくる。
「えー? これだけ? まさかこれだけ?
気の利いたことを言えとまでは言わないけど、せめて言葉くらいはあっても良いんじゃないの?」
「俺にそんなこと期待すんなよ……」
「そうは言ってもねぇ? 何か一言くらいはねぇ?」
そう言って更に嫌な笑みを浮かべるネイに……根負けした俺は人生で一番の渋面を作り出しながら、どうにか振り絞った声をかける。
「よ、嫁に来てくれよ」
「それだけ!? いや、まぁ確かに一言とは言ったけどもそれだけ!?
ああもう全く、とりあえず『はい』って返してあげるけどもアンタ結納の時にはちゃんとした挨拶してもらうからね!?」
「は!? ゆ、結納!?
そんなのするのは公家か相当な金持ちだけだろうよ!?」
「アタシは一応、その相当な金持ちの部類に入るんだけど? それなりに名の売れた商家が結納無しなんてことになったら恥になるし、今後の商売にも影響しちゃうじゃないのさ!
あ、それと、嫁に行ってあげるけども商売は続けるからね? アタシから商売を奪う気なら、たとえ旦那だろうとその首ねじきっちゃうから。
それと子供は二人以上! 片方には澁澤を名乗らせて跡継ぎにするからそのつもりで」
「あーあーまったくこいつぁよぉ……好きにしろよ全く……。
結納だなんだは作法も何にもしりゃぁしねぇから、するにしてもまた今度にしてくれよ……。
式に関してはポチ達との兼ね合いもあるから、そっちも交えて話し合うからな……」
と、俺がそう言うとネイは口をへの字に曲げての、不思議そうな顔をしてくる。
なんでここでポチの名前が出てくるのかと言わんばかりのその表情に……俺はそういやまだ話して無かったかと、そんなことを思いながら言葉を続ける。
「ポチも今頃シャロンに櫛を渡してる頃合いだからな。
ま、同時にやる訳にもいかねぇし、日程の調整はいるだろうさ」
するとネイは、こんな所で今日一番の、櫛を渡した時以上の大口を開けての驚愕の表情を見せて……そのまま、驚きのあまりに呆然とし続けるのだった。
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