第100話 栗飯


 菊の花を十分に愛でたなら、さて飯だと言うことで……ネイとサキがよく二人で行くという近所の飯屋へと向かう。


 聞いたことのない飯屋ではあったが、そこにいけば美味い栗飯が食えるとのことなので、文句もねぇと素直についていくと……そこは小さな暖簾を出したぱっと見ただけでは飯屋とは分からない、なんとも簡素な見た目の一軒家だった。


 簡素といっても造り自体はしっかりとしていて、それなりに金をかけた建物だというのは見て取ることができて……なるほど、悪くねぇ店のようだとネイ達に続いて暖簾をくぐると……真っ直ぐに伸びた土間のような通路があり、その左右に二つずつ、計四つの座敷があるという、なんとも独特な形の店内となっていた。


「いらっしゃいませー」


 通路には丁度配膳をしていた店員がいて、そう声をかけてきて……四つの座敷のうち、運良く空席だった一つへどうぞと、仕草で促してくる。


「ここは女将さんが一人で料理を作っているお店でね……まぁ、家庭の味ってやつなのかな、どの料理もそこそこ普通に楽しめる感じなんだけど、炊き込みご飯だけ妙に美味しい、上等な料理人顔負けの味に仕上げてくれるのよねー」


 なんてことを言いながら席に腰掛けたサキは、座敷の中央にある大きな座卓の上に品書きをさっと広げて眺め始めて……その席の向かいにネイが座り、俺はネイの隣の席へと腰を下ろす。


 そうやってサキが広げていた品書きを眺めるが……まぁ、元々何を食うかは決まっていたので、細かく見ることはせずに、栗飯と新香の値段だけを確かめる。


「お、結構安いんだな。

 旬の栗飯となればそれなりの値段になるのが普通なんだがな」


「ここはそういうお店なのよ。

 栗もあえて一級品じゃなくて、栗ご飯に合う、普通に食べるとちょっといまいちなのを選んで、味付けとお米の美味しさで総合的な美味しさを高めてるって感じのね」


「はぁ、なるほど。

 それはそれで悪く無さそうだな……なら俺は栗飯と新香、それとこの茸の味噌汁にするか」


「本当に栗ご飯を食べにきただけって感じの注文ね……まぁ、そういうことならアタシも同じにしようかしら」


 なんて会話を俺とネイがしていると、サキはどういう訳か口元を隠しての小さな笑みを浮かべて……そうしてから「同じで」なんてことを笑いを含んだ声で言って来る。


 微妙にその態度が気になりはしたが、とりあえず今は注文だと俺達は声を上げて店員を読んで……栗飯と新香と味噌汁という注文を済ませる。


 すると店員は笑顔で「お待ちください」と総返してくれて……それから少しの間があってから、まずは三人分の小さな飯釜を持ってくる。


 恐らくは炊きたてをそのまま持ってきたのだろう、木の蓋の隙間からはいくらかの炊き汁が垂れていて……そこから栗と醤油のなんとも言えない良い香りが漂ってくる。


 続いて新香と蓋付き椀に入った味噌汁が運ばれてきて……それで注文全てが揃ったことになる。


 揃ったならばと「いただきます」と声を上げてから座卓の隅に置いてあった箸箱から箸を取り……飯釜の蓋をあけて、ふんわりと漂ってくる香りを存分に腹の中に吸い込む。


 大きな栗がゴロゴロと入っていて、米は出汁と醤油で良い塩梅に茶色に染まっていて……これこそが秋だと言わんばかりの飯釜の中をじぃっと見やったなら……後はもう食欲のままに、栗飯を口の中にかっこむ。


 すると栗独特の食感と、あの甘さが口の中に広がり、それを塩っ気のある米が美味い具合に包み込んでくれて……それらを噛む度に頭の中で美味いと、ただそれだけの言葉が反響する。


 かっこんで噛んで飲み込んで、新香や味噌汁を途中で口にし、口の中を整えたらまたかっこんで……。


 俺がそうやって栗飯食う中、ネイとサキは上品に、静かに栗飯を楽しんでいて……そんな外面を気にするよりも口いっぱいに栗を放り込んだ方が美味いだろうにと、そんなことを思いながら懸命に箸を動かす。


 我慢したのが良かったのか、それともここの栗飯がただただ美味いのか。

 箸が止まることはなく、いくら噛んでも食っても飽きることはなく……ふと気がついたときには飯釜の中が米粒一つ残っていない、空っぽになってしまっていた。


「……こりゃぁ美味いな」


 新香も味噌汁も綺麗に平らげてしまって……箸をそっと置きながらそう言うと、ネイとサキは「そうでしょう、そうでしょう」とでも言いたげな顔をしながら、ゆっくりと箸を動かしていく。


 その光景を見て、思わずごくりと喉を鳴らし、おかわりを注文しようかとも思ったのだが……小さいとは言え飯釜いっぱいの栗飯をもう一度となると、流石に途中で飽きが来てしまいそうだ。


 せっかくの美味しい栗飯を飽きながら食べるなんてのは勿体ねぇし……仕方ねぇかと諦めて、そこそこに膨らんだ腹を撫でる。


 そうやってそこそこの満足感を堪能しながら、開きっぱなしになっていた品書きになんとなしに目を通していると……そこに衝撃的な文字が載っていることに、ここに来てようやく気付いてしまう。


「……か、カニと焼き栗の炊き込み飯だと!?

 ば、馬鹿な、あ、合わないだろうその組み合わせは……!?

 い、いや、しかし、これだけの美味い栗飯を作る店なのだから……不味いものをこんな風に品書きにでかでかと載せるなんてことはしないはず……。

 気になるのは焼き栗の部分だな、あえて一旦焼いてから炊き込み飯にするのか、そうすることで風味が変わるのか? カニと合うようになるのか?

 ぬ、ぬうううううん」


 品書きに手を伸ばし、両手でがっちり掴んで持ち上げて……その文字を睨みつけながら俺がそんなことを言っていると、ネイがぽつりと言葉を漏らしてくる。


「あ、それ美味しいわよ。

 昆布とカツオのお出汁でふっくらと、丁寧に炊き込んであって……カニも栗もこんなに美味しくなるんだってくらいに美味しくなってて。

 去年食べたときは感動しちゃったな」


 その言葉を受けて俺は愕然としながらネイのことを見やり、どうして教えてくれなかったんだという恨みがましい視線を送る。


 だがネイはふいっと顔を背けて、気にした様子もなく箸を軽快に動かし続けて……その横顔を見ながら歯噛みすることになった俺は、膨らんだ自らの腹を撫でてから……、


「あ、明日また来るとするか」


 と、悔しさをたっぷりと込めたそんな言葉を吐き出すのだった。

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