第92話 大猪鬼戦 その4


『グォォォァァァァァァ!』


 周囲の壁や天井を揺らす程の咆哮を上げながら大猪鬼がその手にした大鉈を、床に向けて叩きつけるようにして振るってくる。


 散々痛めつけられて堪忍袋の緒が切れたのか、死を前にしてなんらかの悟りに至ったのか、それとも広い空間に出て動きやすくなったのか。


 大鉈が振るわれる速度は先程までとは全く別物の、凄まじいまでの速度となっていて……その空間を駆け回りながらポチ達は、ギリギリの所でその一撃を回避する。


「速い!?」


 続けて大鉈が二度三度と、下から上へ、上から下へと振るわれて……そんな悲鳴を上げたポチは、一旦攻撃するのを諦めて回避行動にのみ、その全神経を集中させる。


『グルッフォォォォォ!!』


 振って振って振り続けて。

 繰り返す内に調子が出てきたのか、次第に速度を上げていって……それが気持ち良いのだろう、発情でもしているかのように興奮し、興奮のあまりにそんな声を上げる大猪鬼。


 そんな連続攻撃を必死の思いで回避することになったポチ、シャロン、クロコマは、その耳と、体毛と尻尾をぴんと立てて……全身で大猪鬼の動きを、それによって巻き起こる風の流れの動きを感じ取り、生存本能を峙たせて鋭く素早く、その空間を駆け回る。


「ぬぅううううう、いつまでも逃げてはおれん! これでも食らえ!!」


 そんな中でそんな大声を上げたクロコマが、地面に符を張って魔力を送り込んで符術を起動させる。


 すると弾力の見えない壁が生み出される……が、大猪鬼の大鉈は符術の弾力にさえ打ち勝って、弾かれることなく軌道を変えることなく、深々と岩床に突き刺さる。


「おおおおおお!?

 まさかワシの符術がこうもあっさりと!?」


 猪鬼が数十、数百群れても微動だにしなかった弾力の符術があっさりと破られて……すんでの所で大鉈を回避したクロコマがそんな悲鳴を上げる中、ポチやシャロンもまたそのことに驚愕し……まるで悲鳴を上げているかのような、目を丸くし大口を開けてのすさまじい表情を浮かべる。


 銃撃を受け、毒を受け、それでもこんなにも凄まじい動きを見せるとは……全くなんという生命力だろうか。


 他の魔物であればとうに昏倒していてもおかしくないというのに……まさしくこの大猪鬼は魔物……化け物と呼ぶに相応しい存在であるようだ。


「しかしその体勢は隙ですよ!!」


 破壊できないはずのダンジョンを大きく破壊し、そこに深々と大鉈を突き刺したというか埋め込んだというか、とにかく床の奥へ奥へと押し込んでしまって……どうやらすんなりと抜くことが出来ないらしく、動きを止めてしまった大猪鬼。


 符術を破るために力を込めすぎたのか、勢いが余ったのか……ともあれその隙を咎めてくれようと鋭い声を放ったポチが、次々と斬撃を放ち、大猪鬼の体を斬り裂いていく。


「そこ!!」


 続けてシャロンがその傷口めがけて、辛子などを練り込んだ毒粉薬を包んだ紙袋を投げ込み……そしてクロコマが、


「こうなれば仕方なし!!

 触媒代は高くつくことになるが……拘束の符術を食らうが良い!」


 と、そう叫んで……その名の通り相手を拘束する……魔力による見えない大縄を放つ符術を発動させる。


 無数の斬撃と傷の痛みを悪化させる毒薬と拘束の符術と。

 

 それらをまともに食らうことになった大猪鬼は……痛みに苦しみ、悶えてもがき……そして更に更に、今まで以上にその力を増させて、拘束をものともせずに大鉈を力づくで引き抜いて、その頭上へと大きく振り上げる。


「こやつ!? 傷を負えば負う程に膂力が増す魔物なのか!?」


 それ見るなりクロコマがそんな悲鳴を上げて……これ以上この場に留まって符術を使い続けるのは危険だと判断し、これから振るわれるだろう大鉈を回避するために全力で駆け出す。


 そしてそれはポチもシャロンも同じことで……三人のコボルト達が全力で駆け回る中、大猪鬼もまた全力で大鉈を振るい続ける。


「ああもう、狼月さんがここにいてくれたなら!!」


 そんな中でポチがそんな悲鳴を上げる。


 膂力がとんでもない魔物であっても、生命力がとんでもない魔物であっても、その腕を断ってしまえば……手も足も刀でもって斬ってしまえば、動けなくなることだろう。


 あの太く筋肉に覆われた大腕であっても、狼月の黒刀であれば両断することが出来るはずで……そうすることの出来ない自らの非力さを悔いてのポチの言葉、その側を駆けていたシャロンが言葉を返す。


「いえ、私達だけでもいけるはずです!

 コボルト達だけでもいけるはずです!! きっとあなたなら出来るはずです!!」


 そう言いながらシャロンが手にしたのは相手の視界を奪う煙幕玉だった。

 相手に命中したなら割れて粉となり、周囲一帯をしばらくの間、覆い尽くす煙幕玉。


 それを受けてこくりと頷いたポチは、大猪鬼を挟んで向こう側を駆けているクロコマへと視線をやり……クロコマがこくりと頷いたのを見て覚悟を決める。


「せぇぇえい!」


 そんな声と共にシャロンが煙幕玉を投げ紐でもって放り投げる。

 投げた先は大猪鬼の頭、見事なまでに命中し……煙幕玉が割れて白煙を作り出す粉となる。


 そうして大猪鬼の視界が失われたのを見て、ポチは小刀をぐいと腰だめに構えながらクロコマの方へと駆けていく。


 するとクロコマはポチが何をしようとしているのかを理解し、それを助けるために最も適している符術の書かれた符を束の中から探し出し……すぐさま床へと貼り付けて、それを発動させる機会を伺う。


「弾力の符術は何も敵ばかりを弾くものではない!

 そういう風に組んだなら、味方を弾くこともできる!!

 味方を弾き、敵を弾かぬ弾力の符術……そんなものでも使い方次第では、役に立つこともあるものよ!!」


 機会を伺いながらそう叫んで……その言葉の意図を理解したポチは、符の上に向かって一気に飛び込む。


 それを受けてクロコマが符術を発動させ……符の上に飛び込んできていたポチが、弾力に弾かれ、凄まじい勢いでもって大猪鬼の方へと『発射』される。


 弾かれ飛ばされ、物凄い勢いで。


 腰だめに構えた小刀の先端を突き出す形でまっすぐに。


 目指すは大猪鬼の、喉元……喉を裂かれて、首を断たれては大猪鬼であっても生きてはおれぬはず。


 奪われた視界の中で、どうにかポチ達を探そうとしていた大猪鬼は、物凄い勢いで、煙幕と風を切り裂きながら迫ってくるそれに気付き、どうにか迎撃しようとするが、時既に遅し。


 気付いた頃には小刀を構えたポチが眼前に迫っていて……その刃がぐいと突き出され、大猪鬼の喉へと深々と突き刺さる。


 ……が、所詮は小刀、そうして刺されただけでは大猪鬼の首を断つには足りない。


『ゲバッ……グボァッ……ベェァッバッバッバ!!』


 喉に小刀を突き立てられながらも、それでは自らを倒せないと言わんばかりに大笑いする大猪鬼。


 それを受けてポチは、ニヤリと声を上げずに静かに笑って……小刀へと魔力を送り込む。


 すると小刀は淡く光を放ち、魔力による刃を作り出し……大猪鬼の喉に突き立てられた状態で作り出した刃をざくりと放つ。


 内側から魔力の刃で切り裂かれ、大猪鬼の喉は凄まじいまでの血を吹き出して……吹き出した血がポチ達に降りかかると思われた瞬間……その血と喉を裂かれて崩れ落ちていた大猪鬼の体もが、きらきらと星屑のように煌めきながら消滅する。


 そうしてその空間にはポチ達だけが残されて……符術によって弾き飛ばされ、かなりの高さまで飛び上がっていたポチが落下し、どてんと床の上に転がり倒れる。


「い、いててててて……いきなり消えるもんだから、驚いて受け身を取りそこねちゃったじゃないですか!」


 床を転がりながら、その尻尾を振り回しながらそんな声を上げるポチ。


 ともあれそうしてポチ達は、巨大で怪力で活気旺盛なる化け物……大猪鬼に勝利したのだった。

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