第91話 大猪鬼戦 その3
(しかしまさか、こんな通路みたいな場所で戦うことになるとは)
大猪鬼の攻撃を回避しながら小刀を振るったポチは、そんなことを考えながら周囲を見やる。
細く長く奥へと続く……恐らくはこの先に洞窟の最奥があるだろう空間。
他のダンジョンの親玉との戦いはどれも部屋のような広く大きな空間での戦いとなっていて、こんな狭い場での戦いは初めてのこととなる。
(狼月さんを置いてきて正解でしたね。
いくら狼月さんでもこんな空間で戦うとなったら、狭さからその動きを制限されてしまい、あの大鉈の一撃を食らってしまっていたでしょうから)
更にそんなことを考えてポチは手にした小刀を繰り返し繰り返し何度も振るう。
すると小刀から魔力の刃が放たれて、放たれた刃が真っ直ぐに大猪鬼の方へと迫っていって……大猪鬼はそれが迫ってきていると分かっていながらも、狭い空間がゆえに上手く身動きが取れず、刃をその体でもって受けることになる。
そうして吹き上がる血を見て、その大鉈で弾けば良かっただろうにと思うポチだったが……直後、狭い通路ながらもその体を捻ることで、器用に大鉈を振るってきたのを見て、なるほど、防御よりも攻撃を優先したかと頷く。
「ふんっ! そんな腰の入っとらん攻撃、ぬるいわ!!」
それを見て声を上げたのはクロコマだった。
声を上げながらしゃがみ込み、地面に貼った符に触れて……弾力の符術を発動させる。
すると振るわれた大鉈がそれに弾かれて、なんとも情けない軌道を描きながら通路の壁へと激しくぶつかり轟音を立てる。
「良いのですか!? 弾力の符術をそんな風に使ってしまって!」
攻撃を防いでくれたことはありがたいが、符術とは触媒を必要とする、銭のかかる術だ。
考え無しに使っていれば待っているのは触媒費用による破産で……それを心配してのポチの言葉に、次々と符術を発動させているクロコマは半笑いで言葉を返す。
「子細無い!
これらは出来損ない! 触媒をケチった結果出来上がったワシらの小さな体を覆うので精一杯の実用に耐えん代物よ!
ただそれもこの狭い空間であれば話は別! 小さくとも目に見えぬ壁が無数にそこら中にあったなら、そんな大鉈はさぞや振るいにくいことだろう!!」
弾力の符術は敵のみを弾き、ポチ達のことは弾かない。
ポチ達が放った攻撃や礫や毒玉なども同様で、敵だけがその動きを制限されることになる。
狭い空間のそこら中に、攻撃を弾く見えない壁が……半円の塊があったなら、どんなに戦いにくいことだろうか。
符がある場所にクロコマが魔力を流し込んで初めて発動するものだと気付けたなら、どうとでも対処することが出来るだろうが、大猪鬼の顔を見るにそういった知性は全く感じられず……実際に大猪鬼は、ちょこまかとそこら中を走り回り、そこら中の符に触れて符術を発動させるクロコマの動きにまったく対応出来ていなかった。
『ヌグァァァァァァァ!!』
ポチの斬撃の受けての痛みからか、それとも上手く動けない苛立ちからか、大猪鬼が凄まじい表情をしながら大口を開けての絶叫を響かせ……その大きく開かれた口の中に、シャロンが投げた黒い塊が吸い込まれるように飛び込んでいく。
「この狭さでは毒粉や毒煙は使えませんが、その大口であれば毒丸薬を食べさせちゃえば問題なしですねー!
経口摂取はじわじわですが確実に効いてきますよー!!」
そう言ってシャロンは投げ紐を振り回し、毒丸薬を次々に放り投げる。
華麗に攻撃を回避しながら次々に斬撃を放つポチと、あちらこちらを駆け回りながら符術を発動させるクロコマと、その後方から毒丸薬を投げつけてくるシャロン。
そんな三人のコボルトに散々なまでに翻弄された大猪鬼は……大鉈を振るうのを止めて、片手で腹を抑えてから踵を返し、洞窟の奥へ奥へと脱兎の如く逃げていく。
「む……! 逃げましたか! 追撃は慎重にいきましょう!」
それを受けてポチがそう声を上げて……それに頷いたクロコマとシャロンは、それぞれ追撃の準備をし始める。
クロコマは使わなかった符の回収、シャロンは更なる毒薬の準備。
そしてポチは先頭に立って通路の奥へと鼻を向けて、すんすんと鳴らして……奥の気配を懸命に探る。
「……かなり奥の方まで逃げたようですね。
罠とか、他の敵がいるような匂いは無し……ゆっくりと前進してみましょうか」
探りながらポチがそう言うと、クロコマとシャロンは「ああ」「はい」との返事を返し……それを受けて頷いたポチは小刀を構えたまま、ゆっくりとすり足でもって前進していく。
通路を奥へ奥へと進めば進む程、周囲の空気の湿度が上がり、冷たさが増していく。
その冷たさは冬の朝の空気の冷たさに匹敵するもので……ポチはぶるりと身震いをしながら、前へ前へと足を進めていく。
すると通路が通路でなくなり、広い空間が……洞窟の中を何か鍬のようなもので掘ったらしい空間が現れて……そしてその奥の奥に、壁に背を預けながら荒く息を吐く大猪鬼の姿がある。
だがポチ達の視線は大猪鬼ではなく、その周囲……地面に転がる数々の骨に向けられていて、それを見たポチ達は鼻筋に皺を寄せての、苦渋い表情を浮かべていた。
それは人の骨であり、獣の骨であり……コボルトの骨であり、大猪鬼がそれらを食していた証拠でもあった。
こんなじめじめとした暗く狭い場所に連れて来られて、こんな化け物に食された同胞はどんなに無念だったことだろうか。
その上こんな風に遺骨を打ち捨てられて……。
自分達も様々な生命を食していることを思えば、そんなことを言えた義理ではないのかも知れないが……それでも、そうだとしてもこれはあんまりだろうとポチ達の心が震える。
目の前の大猪鬼は、あくまでここに住まう幻影……倒せば消えてしまうような、不確かな存在だ。
この骨の主を食したのはこの幻影ではなく、別の存在という可能性もあるにはある。
だが、大猪鬼の態度は……その表情はここが自らの巣であると、住み慣れた我が家であると語っていて……ポチ達は更に表情を歪め、その歯をむき出しにしてぐるぐると唸る。
鬼や大アメムシと戦った時には感じなかった嫌悪感と怒りを顕にし……だがしかし冷静に、適度な距離を保ちながらゆっくりと戦闘態勢を整えていって……それを見てか大猪鬼も覚悟を決めたような表情をする。
壁に背を預けるのをやめてその両の脚でどっしりと立ち……両手でもってしっかりと大鉈を握る。
この広さであれば、この空間であれば好きなように振り回せる、おかしな壁があってもそれごと吹き飛すことが出来る。
『グォォォォァァァァァァ!!』
大猪鬼にとっての雑魚、ただの肉、苦戦するはずもない相手。
そいつらを今度こそ屠ってみせると言わんばかりの態度で大猪鬼は、そう叫び声を上げて……それを受けてポチ達はそれぞれの獲物を構え、一気に駆け出すのだった。
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