第83話 その後の二人


 ネイに飲ませた酔いに効くというシャロンの薬だが……確かに酔いは醒ましてくれたのだが、酒気が全て抜けてくれるというものでもねぇようで、頭は冷静ながらも、千鳥足で焦点が定まってねぇという状態になってしまった。


 そういう訳で宴はここまで、一旦解散とし……帰りたいものは帰る、残りたいものは残って楽しむとなって……ネイのことは俺が背負って休める所まで運ぶということになってしまった。


 このままネイの家まで送っても良かったのだが、今の時間ネイの家は無人とのことで……世話が出来る人間が必要だろうと、俺は我が家へと向かって足を進めていた。


 家まで行けばお袋がいるし、妹のリンがいるし、ネイと顔見知りでもある二人に任せておけば問題なく世話をしてくれることだろう。


「……変な気を起こしたら承知しないわよ」


 未だに上がっている花火に照らされた道を進んでいると、ぐったりと俺の背に体を預けているネイがそんなことを言ってきて……俺はため息交じりの言葉を返す。


「今更そんなことをする仲でもねぇだろうよ。

 家に帰ればお袋とリンが世話をしてくれるだろうから、それまでは大人しくしていやがれ」


「なぁによそれぇ。

 私なんかじゃ襲う気にもならないってこと?」


「ならねぇなぁ。

 そういう気になったらその時は、正々堂々口説くだろうよ」


「ば……ば、ばか……馬鹿じゃないの……?」


「上さ……じゃねぇな、新さんの前で酒の一気飲みをやって、我を失ったお前ほど馬鹿じゃぁねぇさ。

 ま、お互いまだまだやりたいことがある今は、そういう時期でもねぇんだろうさ」


「時期、ねぇ……。

 時期が来てないって言うのなら……まぁ、仕方ないってことにしてあげるわよ」


「そうかい」


 と、俺がそう返すとネイはそれきり黙り込む。

 

 黙り込んで一段と脱力して体を預けてきて……寝ちまったかな、なんてことを考えながら、よいしょとネイの軽い体を軽く持ち上げて、跳ねさせ、背負い直していると……ネイがぼつりと言葉をもらす。


「は、吐きそう」


「……黙っていた理由はそれか……!!」


 瞬間、夏独特の湿気って緩んでいた周囲の空気が一瞬で凍りつく。


 一歩間違ったらゲロまみれ、宴と花火で折角良い気分になっていたのが台無しになっちまう。


 家までは……そう遠くない、なんとか間に合うはずだが……いっそ駆けちまった方が良いだろうか?

 ……いや、振動でネイの腹のものがうねり上がってしまうかもしれねぇな……。

 それならば……と、俺はすり足でネイを揺らさないようにしながら、出来るだけ速く、可能な限り速く足を進めて……我が家へと向かう。


「うぅぅぅ……っぷ」


 そんな声が背中の方から響いてきて、俺は更に焦り、一段と加速し……そうしてどうにか我が家が見えてくるところまで来て、家に向かって声を上げる。


「ポール! ポリー! ポレット!

 俺だ! 急いで戸を開けてくれ! 緊急事態だ!」


 家にいるだろう、ポチの弟妹達に向けてそう声を上げると……庭で花火見学でもしていたのだろうか、ザザザッと慌ただしく塀の向こうの気配が動く。


 耳が良いコボルト達はこういう時に本当に頼りになるなとありがたく思っていると、すぐ様に戸が開けられて、ポール達が何事だろうかと三つの顔を並べてひょこりと覗かせる。


「ネイが酒に負けた! 今にも吐いちまうかもしれねぇ!

 お袋とリンを呼んできてくれ……!」


 その顔に向けて俺がそう言うと、ポール達はその毛をぞわりと逆立たせて一目散に駆け出して、お袋達を呼びに行ってくれる。


「……よし、すぐに寝かせてやるからな。

 白湯もあるし、湯浴みも出来るし……そのキツめの帯を緩めれば少しは楽になるはず……!」


 ネイにそんな声を駆けながら俺は、戸をくぐって塀を越え、ポール達が戸を開けてくれていた玄関へと駆け込み……そしてそこでネイが我慢しきれなくなり、決壊する。


 まさかその状態で家に上がる訳にもいかねぇなと、俺は玄関で足を止める。


 するとすぐにお袋達がやってきてくれて……お袋は口に手を当てて「あらまぁ」なんて呑気なことを言い、リンは「あちゃぁ」とそんなことを言ってから「湯殿の準備してくるね」と、そう言って駆け出してくれる。


 ……そんな光景を見やりながら俺はとりあえず、事態が落ち着くまでそのまま……その場に立ち尽くすのだった。




 翌日。

 

 あれからネイをお袋に預けた俺は、湯浴みを済ませ着替えを済ませ……そのまま自室に戻って就寝することになった。


 ネイのやらかしを片付けた方が良いかと玄関に向かおうとしたのだが、お袋から言伝を預かったポールからの「アンタは余計なことをしないで寝てなさい」との言葉を受けて、素直にその通りにしたという訳だ。


 お袋曰く『俺に処理をさせるなんてのはネイちゃんが可哀想だ』……とのことで、ネイの着替えやら何やら、その後のことは全てお袋が上手く片付けてくれたようだ。


 俺が寝ている間にポチも帰ってきたようで……ポチ曰く新さんもちゃんとあの後『自宅』に帰ってくれたらしい。


 ……花街なんかに行かれた日にゃぁ大騒動だったが、どうやらそういうことにはならねぇで済んだようだ。


 ともあれそうして迎えた朝食の席には、当然ネイの姿もある訳で……お袋の着物を借りて、化粧を落として、いつもと違った雰囲気のネイは、なんとも申し訳なさそうに意気消沈しながら膳の前に腰を下ろしていた。


「……そんな気にすることでもねぇだろうさ。

 誰しも酒を飲めば一度や二度、ああなるもんだからな。

 ……お袋もリンも、勿論俺も気にしちゃいねぇよ」


 俺がそんな声をかけながらいつもの席へと腰を下ろすと、ネイは顔を上げて、なんとも言えない苦い表情をこちらに向けて……その口を何か言いたげにもごもごと動かしてから「はぁー」と深い溜め息を吐き出す。


「……そうね、気にするのは止めにするわ。

 随分と恥ずかしい目に遭っちゃったけども、もうお嫁に行けないってくらいの恥をかいちゃったけど、そこら辺のことはもう気にしなくても良いみたいだし。

 ……いつかその時期がくるのか、楽しみに待たせてもらうわ」


 ため息の後にそう言ってきて……俺がなんとも苦い顔を、家族の前で何を言い出すんだコイツは!? という顔をしていると……お袋は一切の動揺することなく、いつも通りに涼しい顔で膳の支度を整えていって……リンとポチとポール達は満面の笑みをこちらに向けて来やがる。


 そしてこういう時に誰よりもうざったくなってしまう親父は……きらきらとその目を輝かせ、頬を上気させて、これまでの人生で見たことないような大きな、嫌な笑顔を浮かべて、たまらなくうざったい視線をこちらに向けきやがって……。


 俺はそんな針のむしろの中、親父を殴り飛ばしたいという衝動をぐっと堪えながら……とにかくこの場から一刻も早く逃げ出そうと、朝食を口の中へと一気にかき込むのだった。



以下お知らせです


本作に関する重要なお知らせを本日近況ノートに掲載しました。

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