第75話 猪鬼

 

 牧田が作ってくれた新装備を身に付けて、その動きに慣れる為の鍛錬と、第三ダンジョン攻略のための予行練習なんかをして……三日後。


 俺達は第三ダンジョンの前へとやってきていた。


 江戸城本丸裏手、資料保管用だったはずの石室内部。


 ダンジョンの入口が出来たせいなのか、そこにあった物は全て運び出されてのすっからかん。

 なんとも寂しい光景となった石室のど真ん中に第三ダンジョンの入り口となるひび割れがぽかんと浮かんでいる。


 それを目にしてこれから触れるとなって……俺達は改めて自分達の装備を確かめる。


 今回は洞窟やら森の中を歩く必要はなく、荷物は少なめだ。

 背負鞄も空っぽにしてのドロップアイテム回収専用とし……いろいろな薬を用意しているシャロンだけが重たい箱鞄を背負っている。


 俺の武器は黒刀で、防具は牧田印の小袖と脚絆、革の履物に手甲。

 ポチの武器は例の刃を飛ばす小刀で、防具は牧田印のコボルト用小袖に脚絆、革の履物に手甲。

 シャロンの武器は変わらず投げ紐で、防具は牧田印の割烹着と着物。

 

 そして新しく仲間となったクロコマは、牧田印の狩衣を身にまとい、頭襟をしっかりと結び……今回の要となる符術用の符に穴をあけて紐を通し、束としたものを腰に下げている。


 その束から必要な符をちょいと千切り、ぺたりと貼ればそれで発動……いろいろな素材を使って作った符が何枚も重ねられている関係で、それを売れば屋敷が立つんじゃねぇかという程の価値があったりもする。


「うむ、では行こうではないか!!」


 それ程の価値を任されたことで気が大きくなったのか、仁王立ちのクロコマがそんな声を上げる。


 その態度に対し思う所がないでもないが……戦いを前にして勇ましいことは良いことだと頷いた俺達は、石室の中へと足を進めて……そっとダンジョンの入口に手を触れる。


 いつもの感覚があり、世界が歪み……そうして広々とした草原が俺達の前に現れる。


 俺達の背後には出口となる裂け目、それ以外は何もなく、周囲どこを見ても見回しても、草原しか見えない程に草原なダンジョン。


 いやはや全く……何がどうしてこんな空間が出来上がったのやらなぁと驚きながら俺達は、移動せずにその場で戦いの支度を整える。


 話に聞くところによると猪鬼……オークとも呼ばれるらしいそいつは、すこぶる鼻の良い魔物なんだそうだ。

 俺達がここに立っているだけで……何もせずにじっとしているだけでも匂いを嗅ぎつけて襲ってくるんだそうで……俺達は迂闊に動かずに、いつでも逃げ帰ることの出来るここに陣取り、猪鬼共を迎撃することにした……という訳だ。


 そしてその要はクロコマの符術で……そのための符を束からばりっと切り取ったクロコマが、それを地面に貼り付けてやろうと、足元の草に手を延ばしかき分けていく。


「……ふむ、土を踏み固めてから貼ろうと思っていたのだが、やはりここの地面……いや、床か。床も尋常の存在ではないようだな。

 草には触れられるし踏むことも千切る事もできるが……それが生えている土には触れられず、何か硬い見えない板に遮られているかのようだ。

 ふーむ、これについても詳しく調べてみたいものだが……ま、今はそんなことよりも符術だな。

 この見えない床に貼ることになるが、ま、問題なく発動はしてくれるだろう」


 そう言ってクロコマは手に持っていた符をペタリと貼って……その符術を発動させる。


 あらかじめ符に名前を書いておいた俺達には影響せず、敵にのみ影響する符術。


 その効果が実際どんなものかは敵が来ないことには分からない訳だが……と、そんなことを考えていると、草原のあちこちから重く響く、牛のものかと思うような足音が聞こえてくる。


「早速きやがったか」


 それを受けてそう呟いた俺は相変わらずの重さの黒刀を抜き放ち……ポチは小刀を構え、シャロンは投げ紐を構えて……そしてクロコマは符に手を触れながら符術の方に意識を向ける。


「ワシは符術が途中で消えたりしないか、符が破れたりしないかの確認をし、消えたなら即座に次の符を使用するという……符術の維持で精一杯だ。戦闘には参加できんからそのつもりでな。

 ……更なる符術が欲しい場合にはその旨を大声で叫べ、余裕があれば発動を検討してやらんでもない」


 符術に意識を向けたままそう言ってくるクロコマに……俺は黒刀を構えながら、


「それで十分だ」

 

 と返す。


 そんなやり取りの直後に、一番大きな足音を響かせていた方角から赤茶肌の腰布鬼が、がむしゃらといった様子でこちらに駆けてくる。


 大きな豚鼻をふごふごとならし、雑な作りの棍棒を両手で握り、鋭い牙を構えた口をだらしなくあけて、大きな舌をべろんと投げ出して。


 大きな体に酷い体臭、醜いことこの上なしと言いたくなるような猪鬼が……ざっと数えた感じ恐らく十五体。


「……この距離で漂ってくる程のひでぇ体臭をしておきながら、よくもまぁ俺達の匂いを嗅ぎつけられるもんだな」


 俺がそんなことを呟く間も猪鬼達はこちらに駆けてきていて……そして、その棍棒を触れば届くというような距離まで来た所で、突然猪鬼達が、まるでそこに壁があるかのように『何か』にぶつかり、醜い顔を更に醜く変形させながらその勢いを失う。


「くっさくっさ、くっさぁぁぁぁ!?

 なんという体臭だ、この猪共め!? ああもう、敵を寄せ付けない弾力の符術だけでなく、匂いを弾く符術も用意しておく必要があるようだな!!」


 と、符に手をやり、魔力とやらを送り込みながらそんな声を上げるクロコマ。


 符術に関してはまだまだ詳しくねぇが、とにかく弾力の符術というのはこういうことが出来る代物らしい。


 術者以外の物体を弾き飛ばし、寄せ付けない符術。

 基本的には術者以外の生物全てを吹き飛ばすものらしいが、符の呪文に名前を書き加えて例外指定をしておけば、弾かれないで済む……らしい。


 俺とポチ、シャロンの名がその符には書かれていて……名前の書かれていない猪鬼は符術の力に弾かれこちらに近寄る事ができない。


 クロコマの魔力以上の、符術の発する弾力以上の突進力でもって突っ込んできたなら、符術を打ち破る事もできるらしいのだが……どうやら猪鬼の力では、そうするには足りないようだ。


 あるいはその手に握られている棍棒を投げるなりしたなら、生物では無い以上こちらに届くということになるのだが……当然その対策はきっちりしてあるし、そもそも猪鬼の頭ではそういった対策は思いつけないようだ。


 見えない壁を前にして……弾力の符術を前にして、ただただひたすらに前進をしようとし続けるだけで、一旦引くだとか、原因を探るだとか、対策を練るだとかそういうことは一切しようとしない。


 本当にがむしゃらで、本能的で……頭の質という意味では小鬼やアメムシの方が何倍もマシなのだろうな。


「お、おい!?

 ぼさっとしてないで、攻撃をしろ攻撃を!!

 弾力の符術は確かに見惚れる程に凄まじいものだが、いつまでも効果が続くもんでもないんだからな!!

 お高い符を使ったのに戦果は無しですなんてことになったら、ワシは許さんからな!!」


 符術の力と猪鬼の醜態を前にして……動きを止めてしまっていた俺達に、クロコマのそんな喝が飛ぶ。


 それを受けて俺とポチとシャロンは、それぞれの得物をそれぞれの方法で振りかぶり……猪鬼に向けてそれらを振るうのだった。


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