第72話 美味い飯


「茶碗蒸しの店?」


 ネイと一緒に飯を食いに行くとなって家を出て、道を適当に歩きながら何処に行くかとなって……ネイが行きたいと口にした店はまさかの茶碗蒸しの専門店だった。


「そう、茶碗蒸し。

 いくらアンタでも食べたことくらいはあるでしょ?」


「そりゃぁまぁ、あるにはあるがなぁ……茶碗蒸しの専門店ねぇ?」


 色々な具材を茶碗に入れてからだし汁を入れて、更に溶き卵を入れて蒸したそれは、なんというかまぁ、普通に美味いと思うし、悪くはない料理だとは思うのだが……専門店があると言われても、わざわざ行ってみたいと思うような料理じゃぁなく……地味というか添え物というか……あくまでオマケ、何かのついでに食べるような、そんな料理だという印象が強いものだった。

 

 そんな茶碗蒸しだけに特化しているらしいまさかの専門店。


 あまり期待は持てないが、ネイがわざわざ行きたいと言い出すくらいだ。

 どんな茶碗蒸しが出てくるのかと興味を引かれる部分があり……俺は「茶碗蒸しも良いかもな」と、そんな言葉をぽつりと漏らす。


 するネイはにこりと笑って……その専門店があるらしい方向へと足を向け始める。


 俺は何も言わずにその後を追いかけていって……そうしてぱっと見には普通の民家にしか見えない、茶色で地味なのれんを下げているそこへとたどり着く。


 のれんに書かれた文字は『茶碗蒸し』で……どうやら本当に茶碗蒸しの専門店のようだ。


「ここよ、ここ。

 この店が美味しいの」


 と、そう言って戸を開けのれんをくぐって中へと入るネイ。


 それを追いかけて店の中へと足を踏み入れた俺は……予想外に多くの立ち食い客がいる店の中を通り過ぎ……常連のネイが相手だからなのか「いらっしゃい」との挨拶以外何の言葉もなく案内された、店の奥の個室へと足を進める。


 それなりの大きさの座卓に座布団に。

 小さな窓があってそこに花瓶が飾られていて……部屋の奥には『茶碗蒸し』との掛け軸。

 

 小上がりとなっているそんな部屋に履物を脱いでから入ったなら、座布団の上に腰を下ろし……そのまま店員が来るのを静かに待つ。


「すぐに来るわよ」


 と、ネイがそんなことを呟いて……それからすぐにやってきた店員の手には大きな、両手で支え持つような大きな茶碗の姿があった。


 茶碗というよりもかけそば椀……いや、それよりも更に大きいそれには木の蓋がしてあり……余程に熱いのだろう、分厚い白布で手を包みながらそれを運んできた店員は、それを座卓の中央へと置いて……そのすぐ後に白飯が入っているらしいおひつをもってきて……それを座卓の側に置く。


 その次に飯茶碗と箸が運ばれてきて……それで終わり。


 注文も何も無く運ばれてきたそれらに俺が唖然としていると、ネイが飯茶碗に飯をやや少なめに盛ってくれて……俺の方へと差し出し、自分の前にそっと置いて、そうしてから大きな茶碗の上の蓋をそっと取る。


 するとその中は茶色一色の茶碗蒸しの姿があり……それを見て俺はまたも唖然としてしまう。


 それは具が一つも、たったのひとかけらも無いなんとも質素な茶碗蒸しだったのだ。

 やたらとでかい茶碗に、たっぷりと入れられた茶色だけの一品。


 せめて緑の葉とか、かまぼこくらいは入れてくれよと俺が苦い顔をする中……ネイは茶碗の中にあった匙でもってそれを掬い、白飯の上にそっと乗せて……そしてそれをずずりとすするように食べ始める。


「お、おお……そのまま食うんじゃなくて飯にかけて食べるのか。

 ……なるほど、まぁ、たまごかけ飯みたいなもんだと思えば良いのかね」


 なんとも美味そうに、幸せそうな顔をしながら茶碗蒸し飯を食うネイを見て……とにかくまずは食ってみるかと頷いた俺は、ネイと同じように茶碗蒸しをすくい上げ、飯の上に乗せて……ほかほかと湯気を上げるそれを箸でもって口の中に流し込む。


「う、うめぇ!?」


 何の出汁だか知らないが、やばいくらいに出汁が効いている。飯の上にかける前提なせいか濃いめの味付けがされていて……基本的には醤油味のようだ。


 それらの旨味が箸でつつけばすぐに崩れてしまうような、柔らかい茶碗蒸しの中に凝縮されていて……独特の柔らかさのそれが米に絡んで、食感が楽しいやら喉を通る様が面白いやら……箸が止まらず、匙が止まらず、次々に腹の中へと流れ込んでくる。


 最初は少しは具を入れてくれよと思っていた訳だが、これに具があったんじゃぁ折角の食感が台無しだ。

 何もいらねぇ、ただ茶碗蒸しと米だけがあればそれで良い。


 茶碗蒸しが美味いし、米が美味い。

 とにかく箸が止まらない。


 そうしてふと気づくと茶碗とおひつの中は綺麗に空っぽとなっていて……熱い飯と熱い茶碗蒸しをこれでもかと放り込まれた腹から熱い息がこみ上げてくる。


「はー……まさか具なしの茶碗蒸しがここまで美味いとはなぁ。驚いたっつーかなんつーか……言葉もねぇな」


 俺がそう感想を口にすると、ネイはくすりと笑いながら言葉を返してくる。


「一応具ありも頼めるんだけどね、そっちは人気が無いのよ。

 しいたけとか干し貝とか干し魚とか……出汁を作る際に使った品をそのまま入れたって形になるんだけど……まぁ、邪魔っていうかなんていうか、すすれなくなっちゃうから。

 ご飯の方も麦飯とか、雑穀入りとかも頼めるけど……こっちも白飯が一番ね。

 具なし白飯、これに勝る組み合わせは無し……コボルトクルミ入りっていうのもあるけど、それはポチ達向けって感じになるのかしら」


「はぁー……なるほどねぇ。

 しかしこれなら立ち食い客が多かったのも納得だな。

 あっという間に食えて、思う存分に旨味を楽しめて……腹の奥から体が温まる。

 これを冬の寒い夜に食べた日にゃぁ感動するんだろうなぁ」


「冬はもう満員で満員で、こうやって落ち着いて食べられないから、知り合いと来るならこのくらいの時期が良いのよ。

 冬に来るなら立ち食い覚悟、一気に食べてさっさと出ていく、これしかないでしょうね」


「……なるほどなぁ。

 出汁にこだわっているにせよ、これなら値段も手頃なんだろうし……どうして今までこの店のことを耳にしてなかったのか不思議なくらいだよ」


「アンタがこの店を知らなかった理由は、その値段が手頃じゃないからでしょうね?

 さっきも言ったけど出汁にはいくつもの具材を使っていて……そのどれもが高級品なのよ。

 時期や卵の種類によって使う出汁を変えるそうだし、単純な料理に見えて職人技……それなりに高度な料理だったりするの。

 ……まぁそういう訳だから狼月、今日はごちそうになるわね……ありがとう!」


 そんなとんでもないことを口にしたかと思えばにっこりと微笑むネイ。


 それを受けて俺が慌てて品書きを手にとって値段を確かめると……そこには今までの道楽でも一番の、今までに見たことのないようなとんでもない値段が書かれていて……俺は思わず言葉を失い、大口を開けることになる。


 そのままパクパクと口を動かした俺は……高級料理のたまった腹をそっと撫でてから、つづらの中身は綺麗さっぱり無くなるなとの確信を得て……こうなっちまったら仕方ないと開き直っての笑顔となり……、


「店員さん、おかわり!!」


 と、自棄全開の大声を上げるのだった。


 

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