第37話 桜


 追加の肉入り蕎麦を食べたポチとシャロンは、案の定いうかなんというか、腹をぱんぱんに……限界を超えて膨らませて、そのまま動けなくなってしまった。


 仕方ないなとため息を吐き出しながら俺とネイは、支払いを済ませ、ポチとシャロンをそれぞれ抱えて……春風を浴びながらの休憩をしようと、近くの川の土手へと足を向けた。


 いざという時の備えとして整備された土手には、多くの人を呼び集め土手を踏み固めて貰う為にと、何本もの桜が植えられていて……まだまだ満開とは言えないがそれなりに花を咲かせての春の景色が出来上がっている。


 そしてそこには当たり前のように商売に励む者達が居て……俺は適当な、真面目そうな連中に声をかけて、いくらかの銭を渡し、ござと桜湯を注文し……土手を超えた向こう、川のほとりへと足を運ぶ。


 すると先程の連中がそこまで追いかけて来てくれて、適当な良さそうな場所にござを敷いてくれて、俺達は履物を脱いでそこへ上がり……ポチ達をそっと寝かせてやる。


「す、すみません……うぇっぷ」


「お、おにく、おにくがお腹の中で暴れてます……」


 なんてうわ言を口にするポチ達の顔に、日光が眩しくないようにと手ぬぐいをそっとかけて覆ってやって……そうしてから先程の連中が持ってきてくれた桜湯を受け取る。


 まん丸のガラスの容器に、いっぱいになるまで沸かした湯を注ぎ込み、桜の花びらの塩漬けを適当に投入し、桜の木で作った蓋で栓をする。


 そうすることで湯の中でひらひらと桜の花びらが舞う素敵なガラス玉が出来上がり……土手の上の桜だけでなく手元でも桜を楽しめるという寸法だ。


 用意された湯呑は四つ……だが、今使うのは二つで良いだろう。

 隣に座るネイに一つを手渡し、ガラス玉の栓を抜いて……桜湯をゆっくりと注いでやる。


 そうしてから自分の湯呑にも桜湯を注ぎ、栓をし直したガラス玉をそこらに置いて飾り……春風を楽しみながら桜湯を口に含む。


 桜の香りをそうやって楽しんでいると、桜餅に長芋の桜和え、桜飯なんかを食べたくなってきて……桜が満開となる頃にまたここらに足を運び、それらを食ってやろうと決意する。


「春ねぇ」


「春だなぁ」


 一言だけを呟いたネイに、そう呟き返した俺は……もう一口桜湯を口に含む。


 色々な技術が発展し、暖房が驚く程の発展を見せた昨今だが、それでも冬は寒く厳しいものであり……冬が寒ければ寒い程、厳しければ厳しい程、それらを乗り越えた後の春の暖かさが骨身にしみる。


 近くで悶えるポチ達の呻き声も同時にしみ込んでくるが……まぁ、そちらについては気にしないことにしよう。


 それから俺達は特に何をする訳でもなく、桜湯と桜と春風を堪能しながら時間を過ごして……夕方頃。


 ようやくポチ達が歩けるまでになったので、今日はこのくらいにしようとネイを家まで送り、シャロンを家まで送り……そうしてから家に帰ることにした。


 家では当然夕食が用意されていたのだが……ポチの腹はまだまだ受け入れ体制が整っていないようで、そのまま自室に直行。


 ポチの分の夕食は俺の弟の弥助と、ポチの弟のポールが半分ずつ食べることになり……そうして翌日。


 今日も今日とて道楽だと思っていたのだが、ポチの腹具合が思わしくなく、昼過ぎまで休むことになり……今日も今日とて道楽だと思って遊びに来た、ネイとシャロンを俺の部屋に迎えて雑談をしながら過ごしていると、どたばたと凄まじい足音を立てながら誰かがこちらへと駆けてくる。


 そうして挨拶もなくバタンと部屋の戸を開けたのは、愚弟二人組の弥助とポールで……俺が叱ってやろうと拳を握り込みながら立ち上がると、俺の部屋をぐるりと見回して、それからネイのことを凝視した弥助が、とんでもない大声を上げてくる。


「兄貴!! ダンジョンに行くと良い女にモテるって本当か!?

 ダンジョンに行くと金持ちになれて、良い女を侍らせることが出来て、毎日毎日遊んで暮らせるってそんな噂が江戸中に流れてるぞ!!」


 そんな大声を受けて俺が、十五にもなってこいつは何を言っているんだと頭を抱えていると、弥助の隣でシャロンのことを凝視したポールがこれまた大声を張り上げてくる。


「狼月さん! おいらも良い女にモテたいっすよ!!

 モテるにはどうしたら良いんすか!! ダンジョン行ったら良いんすか!? ダンジョンに行くにはどうしたら良いんすか!?」


 こいつはこいつで全く何を言っているんだと呆れ果てた俺は、大きなため息を吐き出しながら二人に言葉を返す。


「……お前らはまずダンジョン云々の前に、道場での鍛錬をこなすことに集中しろ。

 特に弥助、お前は親父の道場を継ぐことになっているんだから、そんなことにうつつを抜かしている場合じゃぁないだろう。

 道場の鍛錬をこなして、親父に認められて、更にそこから一段上へ、二段上へと精進することで、ようやく一人前のことを言えるようになるんだ。

 モテるだのなんだのは、それから考えれば良いことで……そのくらいまで己を鍛えれば自然と自信が身につき、モテることにも繋がるだろうよ。

 ……ちなみにだがダンジョンは、俺とポチでも命を落とす危険性のある、戦国の世よりも危険かもしれねぇ過酷な場所だ。

 そんな未熟さでモテる為にダンジョンに行くなんて言い出した日には、そのひょろっこい腕と足を折ってでも止めるからな……覚悟しておけ」


 力を込めて想いを込めて出来るだけ声を太くして、二人の脳裏に刻み込まれるようにと願いながらそう言うと、愚弟達はお互いを見合いこくりと頷いてから、その馬鹿丸出しの顔を輝かせながら口を開く。


「つまり道場で身体を鍛えれば女にモテるんだな!!」


 と、弥助。


「狼月さんや兄ちゃんが毎朝毎朝道場に行っていたのはそういうことだったんすね!!」


 と、ポール。


 こいつらは全く……なんだってこんなにも馬鹿なんだと、呆れ返った俺が言葉を失っていると、どうやら馬鹿二人はそれを同意しているものだとみなしたようで……そのままどたばたと、道場の方へと駆けていってしまう。


 その姿を見送って大きなため息を吐き出した俺に、にやにやとした表情で事の成り行きを見守っていたネイは、


「ま、いいんじゃない?

 ダンジョンに行けば女にモテるってなれば、それはそれでダンジョンの悪い噂を払拭するっていう、アンタ達の目的を達成したことになるじゃないの」


 なんてことを言ってくる。


 ネイの隣のシャロンも全く同意見なのか、こくこくと頷いていて……そのにやけた表情を見た俺は、ああこいつら『良い女にモテる』って噂の出処が自分達だからと喜んでいやがるんだなと、再度のため息を……大きなため息を吐き出すのだった。

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