第36話 創作蕎麦
人形芝居以外にも江戸にはいくつもの娯楽がある。
落語や講談、歌舞伎に演劇、紙芝居に機械芝居。
人形芝居で娯楽魂に火が付いたらしいシャロンは、それらに行こうとはしゃいだのだが……そろそろ昼時、腹も良い具合。それらは一旦後回しにして、まずは昼食にしようということになった。
「人形が全然人形じゃぁないみたいで!
鼻の動きも、耳の動きも、髭の動きも完璧で……操作していた黒子さん達もさることながら、あの人形を作った人形師さんも素晴らしい腕をしていますねぇ!!」
そんな風に鑑賞後の感想に夢中になって、手を振り尻尾を振り、楽しそうに声を上げるシャロンを伴って向かったのは芝居小屋からそう離れていない場所にあった蕎麦屋だ。
その店はそこらにあるような典型的な蕎麦屋ではなく、全く新しい蕎麦を提供する創作蕎麦屋なんだそうで……店内の小上がりは老若男女の客達で良い感じに賑わっている。
「こりゃぁ中々期待出来るんじゃねぇか?」
と、そんなことを言いながら履物を脱いで小上がりへ上がって……一番奥の誰もいない食卓の前に腰を下ろす。
俺の隣にはネイ、向かいにポチとシャロンという形で座って、食卓の上にあるお品書きを手にとって表紙をめくってみると……なるほど、創作蕎麦屋と言うだけはあるなという品が、簡単な説明と中々達者な絵とでもってそこに描かれていた。
『蕎麦粉を水で溶いて、薄く伸ばして鉄板で焼いて、その上にお好みの具材を乗せたもの』
真っ先にそれは蕎麦なのかと言いたくなる品を載せやがるとは、中々やってくれる。
見た目にも華やかで中々食欲を刺激してくれるのがまた油断がならねぇ。
『蕎麦粉を混ぜて作った生地で、餡を包んだ蕎麦団子』
……二番目に甘味を載せるのはどうなんだろうな。
『季節の野菜と、それに合う薬味と香辛菜をたっぷりといれた特別製のつゆで食べる蕎麦』
……ああ、大層な名前の割に蕎麦自体は普通のものなんだな。
そこに描かれている絵は、大きな器にたっぷりと、つゆが見えない程に野菜が盛られているもので……あの野菜群に絡めて蕎麦を食べるという感じなのだろうか。
『何の面白みも無い普通のつゆと蕎麦』
……。
食に関わる商売で面白さを優先しないで欲しい所だが……まぁ、客がこれだけ居るってことは、それなりの味なんだろうな、うん。
そんな、なんとも言えないお品書きに目を通して、周囲の客達の様子を伺って、そうしてからネイ達の方へと視線を向けた俺は、ネイとポチとシャロンが同じ品の頁をじっと見つめていることに気付く。
蕎麦を食べに来た以上は蕎麦を食べたい。
それでいて創作蕎麦屋に来た以上は風変わりな蕎麦を食べたい。
そんな想いを抱いているのは、ネイ達も同様のようで、ネイ達と無言のまま頷きあってから俺は、片手を振り上げながら、店員に向けて声を上げる。
「この季節の野菜が入っているとかいうつゆの蕎麦、四人前で頼む!」
するとすぐに返事があって……そんなに待つことなく四人前の大きなつゆ用の皿と、ざるにのった蕎麦が運ばれてくる。
せりに菜の花、玉ねぎに玉菜、ネギ、しょうが、しそ、蜂蜜梅肉。
なんだか随分と適当な組み合わせに思えるが……周囲の客を見ると皆これを食べているようだし、何はともあれまずは一口と、箸で持って蕎麦を持って……野菜と絡めながらつゆに浸す。
そうして口の中にそれらを突っ込むと……薬味と春の香りが口いっぱいに広がって、野菜の中でしつこくならないように調整されたつゆがなんとも良い仕事をしてくれる。
蕎麦については、正直普通でしかなかったが、野菜独特の食感と蕎麦独特の食感がなんとも面白く絡み合う。
「これはこれで悪くねぇのかもなぁ」
と、俺が感想を漏らすと、
「シャキシャキツルツル感がとっても良いですね! 僕は大好きです!」
と、ポチが続き。
「梅肉もつゆもそこまで塩っけがなくて、合わせて食べても違和感が無いのが良いじゃない。
後はこれにみょうががあれば最高なんだけどねぇ……」
「ネイさん、みょうがは夏の薬味ですから、春の季節の野菜には入らないんじゃないですか?」
と、ネイとシャロンが続く。
それから俺達は人形芝居の感想を言い合いながら創作蕎麦を楽しんでいって……そうする間にも、新しい客達が次々と訪れて、店内中が賑やかになっていく。
そんな中、一人の男が……いかにも常連ですといった態度の男がやってきて、店員に向けてまさかの注文をする。
「季節の野菜! 肉入りで!」
するとポチとシャロンが耳をピンと立てて、肉入りだと!? と言わんばかりの表情をする。
お品書きには書かれていなかったその単語に、ポチとシャロンが激しく同様する中、店員がその常連の下へと器を運んできて……その器へとポチとシャロンの視線が釘付けになる。
あれは恐らく豚肉だろう。
豚肉の良い所を湯がいているようで……ああ、もしかしたら野菜の切れっ端や薬味の切れっ端なんかを入れた湯で湯がいているのかもしれんな。
そうすることで余計な脂を落として、臭みも綺麗に取り去って……さっぱりとしっかりと肉と野菜と蕎麦を楽しむ。
これはまた新感覚というか、新食感というか……肉付きにはたまらない一品となっていることだろう。
そうして常連客がなんとも美味しそうに蕎麦を食べ始めるのを見て、ポチとシャロンは……、
「ぼ、僕も肉入りをお願いします!」
「わ、私も、もう一皿肉入りで!!」
と、止せば良いのに追加注文をしてしまう。
腹にたまりにくい野菜と蕎麦が相手とはいえ、お前達の身体で二皿目はきついだろうにと思いながらも……無粋な真似は良そうと言葉を呑み込んだ俺は、お品書きを手にしているネイの方を見やり、頷き合ってから、
「蕎麦団子と蕎麦茶をくれ! 二人前だ!」
と、食後の甘味と洒落込むための注文をするのだった。
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