第15話 初戦闘を終えて


 ポチが手を伸ばし、それを掴み上げると、不思議なことにそれは纏っていた淡い光を少しずつ失っていって……それ本来の、あるべき姿を取り戻す。


 そしてポチの手の中にあるそれをじっと見つめた俺達は……何と言って良いのやら分からず、黙り込んでしまう。


 ……いや、それが何であるのかはひと目見れば分かることなのだが、まさかこんなしょうもない物がダンジョンで手に入るなんて……と、思わずにはいられない程にそれはしょうもない物だった。


「蓋……ですね」


「蓋……だな」


 思わずぽつりと呟いたポチに、思わずぽつりと返す俺。


 錆びた鉄製と思われるそれは、形から察するに急須か香炉辺りの蓋だった。

 

 蓋だけあって一体どうしろと言うのか。

 挙句の果てにそれは、申し分ない程に錆びきってしまっていて……どう見ても『ごみ』と呼ばれる類の代物であった。


「……それ、鉄か?」


 俺がそう言うとポチは鼻をすんすんと鳴らし……それの匂いを確かめ、


「はい、鉄ですね。

 見事なまでに錆びた鉄です、ちょっとなんかこう……焼いた草の匂いが染み付いているので、恐らくは香炉の類の蓋です」


 と、言葉を返してくる。


 やはり鉄か。

 ミスリルとかいう、あちらにしかない金属であればまだ話は違ったのだが……と、落胆した俺は、握っていた刀の様子を確かめ、手入れする必要が無いことを確認してからそっと鞘に収める。


 ポチも同様に刀を収めて……そうして同時にため息を吐き出した俺達は、背負鞄をぐいと肩から外して手に持ってから、くるりと身を翻し背中を合わせになりながら、すとんとその場に……広場の中央に座り込む。


 ポチの背中を俺の背中が受け止めるという形で、お互いの死角を補う形で胡座をかいた俺達は、背負鞄をそこらに置いて、再度のため息を吐き出してから……充分に警戒しながらの休憩へと突入する。


「……大した敵じゃぁなかったし、大したこともしてねぇんだが、なんだか随分と疲れちまったなぁ」


「荒事には慣れていますが、殺し合いには慣れていませんからねぇ。

 その上、相手は見たこともない異形の化け物です。

 ……化け物が確かな殺気を放ちながら襲ってくるだなんて、尋常のことではありませんからねぇ」


 背後から聞こえてくるそんなポチの言葉を受けて俺は、肩を回し、腕を振り回し、拳を握ったり開いたりと繰り返して体の具合を確かめる。


 無駄に緊張し、無駄な力を込めたことから多少筋が強張っているが、疲れてはいないし、痛みなども全く無い。

 

「……なるほど、疲れているのは心の方か。

 異界の風景の中、異形の化け物を目にして、それを手ずから殺して、尋常ならざる血しぶきを身に浴びて……。

 楽に勝てる小鬼が相手だから良かったものの、そうじゃない奴が相手だったなら……まずいことになっていたかもなぁ」


「ここを最初のダンジョンに選んで正解でしたね。

 まずはここで殺気の飛び交う戦場というものに慣れて、心根を根本から鍛え直してからでないと、同格や格上の相手なんて、とてもではないですが相手に出来ないですよ。

 戦国の世の人々ならいざ知らず、僕達は太平の世の人間……そもそも心が戦場に向いていないということですね」


 そう言ってポチはごそごそと背負鞄の中から何かを取り出し始める。

 それは音から察するに布か何かで……ポチはその布でもって先程の蓋を包み込み、そうして背負鞄の中へとしまい込む。


 あんな物でも一応は異界産。江戸城で待っている吉宗様に届ける必要があるという訳か……。


 ……と、そこで俺はあることを思い出し、腰の箱鞄の蓋をあけて、中から笹包を取り出す。


 紐を解き、笹の葉を広げて……リンが握ってくれたおむすびを顕にし、それをがしりと握ってがぶりと食う。


 するとまずは海苔の香りが口いっぱいに広がって、次に芳醇な白米の香りが広がって、そしてほのかな塩味が舌を刺激してきて……もぐもぐと噛んだことにより生まれた白米の甘さが疲れた心に染み込み、心をこれでもかと癒やしてくれる。


「あっ!

 なんですか、なんですか、もうおむすびを食べちゃっているのですか!

 あーあーあー、まだまだお昼には遠いっていうのに……」


 と、そんなことを言いながらもポチも食べたくなってしまったのか、ごそごそと音を立て始め……すんすんと鼻を鳴らす音が聞こえてきて、そしてもちゃりとおむすびに噛み付いたらしい音が聞こえてくる。


 そんな音を耳にしながら、再度がぶりと行くと……朱に染まった梅干しが姿を見せて、口の中にあの香りと酸っぱさが駆け巡る。


「リンの奴、分かってんなぁ。

 やっぱりおむすびにはこれだよ! 梅干しだよ、梅干し!」


「なーにを言っているんですか!

 コボルトクルミの甘露煮こそ至高の具材です!!

 この香り! この歯ごたえ! そしてこの甘さ!

 お米がコボルトクルミを引き立て、コボルトクルミがお米を引き立てて……ああ、さいっこうです!!」


 そんなことを言い合いながら俺達は、リンが握ってくれたおむすびを食べ尽くし……そうしてから水筒のねじり蓋を開けて、中の水出し茶をごくりと飲む。


 そうして再びの……先程のそれとは込められた意味の違う、心地よいため息を吐き出し……俺達はそれで心の疲れを癒やし尽くす。


 口の中に残るは白米と海苔と梅干しという大江戸の香り。

 それがあるだけでこの風景も、まるで見慣れた光景かのように思えてくる。


 そうやって落ち着いてみると、先程までの自分達の在り方が、先程の戦い方がどうしてもおかしく思えてしまって……


「へ……へっへっへっへ。

 まったく何だよ、さっきの戦い方は!

 あんな雑魚相手にびびりちらしちまって……!」


「……あっはっは。

 ご立派な防具があるっていうのに、本当に何をやっていたのでしょうねぇ、僕達は……!」


「挙げ句に手に入ったのが錆びた蓋ってなぁ!!」


「本当に! 吉宗様も驚かれるに違いありません!!」


 と、そんなことを言いながら小さく笑い……少しずつその笑いを大きくしていって、腹がよじれる程に大きく笑う。


 そうして存分に笑った俺達は、自分の頬を自分の手でもって思いっきりばちんと叩き、気合と心根を入れ直す。


 腹もふくれた、心も整った。

 であれば後はこのダンジョンを攻略するだけだ。


 そんな想いを強く抱きながら、立ち上がって背負鞄をしょい直し……さぁ、行くぞと足を踏み出そうとした俺達は、そこでようやく鉄菱を回収していなかったことを思い出し……気合を空回りさせながら鉄菱を拾い集めるのだった。




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