第12話 魔物
ポチの地図作りが一段落するのを待ってから、俺達は獣道の奥へと足を進めることにした。
刀へとそっと手をやり、いつ何処から襲われても良いようにと警戒を強めながら、すり足でもって少しずつ前へ、前へと。
そんな俺の足元には耳をピンと立てて、鼻を懸命に鳴らすポチの姿があり……ポチと歩調を合わせながらゆっくりと慎重に歩を進めていく。
そうやって数歩か、数十歩か……大した距離も進まないうちに、今までの人生で感じたことのない疑心が己の中で膨れ上がってくる。
本当にこれで良いのか、この足の進め方で間違ってないのか、こんな構えで本当に敵に備えられているのかといった、そういった疑心だ。
幼少の頃から道場で充分な程に身体を鍛えて来た。職業柄荒事の経験は数え切れない程ある。剣豪と呼ばれる連中と斬り結んだこともある。
だが、これから相手をするのは人ならざる魔物と呼ばれる連中だ。
この刀が、技が本当に通用するのか……今のこのすり足や取っている体勢も本当にこれで良いのかなど、様々な懐疑が生まれ出て、心を乱してくる。
事前に刀は抜いておいた方が良いのではないだろうか、すり足なんかではなくもっと良い別の歩き方があるのではないだろうか……こんな心の在り方で本当に戦えるのかなど、そんなことを考えて考えて考え続けて、目眩を感じ、視界が狭まって来た……その時だった。
足元のポチが俺の脚をポンポンと叩いてくる。
一体何事かとポチの方へと視線をやると、ポチは俺のことを見上げながら、その表情と目でもって「狼月さんなら大丈夫」と語りかけて来て……俺は大きく息を吐き出す。
……どうやら俺はまともに呼吸をすることすら出来ていなかったようだ。
何度かの深呼吸の後に、落ち着いた心とまともな視界を取り戻した俺は、ポチに向かって頷いて……俺一人で敵わぬ相手でも、ポチが居るのだからなんとかなるだろうと開き直り、慣れた動作が一番だとすり足でもって歩を進めていく。
すると人間二人が並んで歩けるかどうかといった幅の道が、じわりじわりと広がりを見せて来て……その先にちょっとした広い空間、木々に囲われた土広間といった様子の空間が見えてくる。
そして広間が見えてきたのと同時にポチの鼻がピクリと反応し、ポチがその手を上げてこの先に敵が居ると手仕草でもって伝えてくる。
俺の目では見ることが出来ないが、広間には何者かが居るようで……動きを止めた俺とポチは無言で相手の、広間の様子を窺って……そうしてから、お互いの目を見て頷き合い、慎重に、音を立てぬように足を進めていく。
そうやって少しの距離を進むと広間の中央に、子供くらいの大きさの何者かの姿が見えて……瞬間、俺とポチは身を屈め、そうしながらその何者かの様子を窺う。
相手はこちらに気付いていない、であれば物陰か何かに隠れた方が良かったのだろうが……生憎ここは何も無い一本道、こうやって身を小さくすることしか出来ない。
それでも効果はあったようで……何者かはこちらに気付かないまま広間をうろうろと、右往左往とし続けている。
「あれは何者だ……」
口の中で呟くような、小さな声で俺がそう言うと、ポチはこくりと頷いて腰の箱鞄から遠眼鏡を取り出し、相手の様子を仔細に観察し始める。
そうして少しの間があってからポチは、俺に聞こえるように俺よりいくらか大きな声で呟いてくる。
「青色の肌に、大きく裂けた口に鋭い牙に醜悪な顔。
歪ませた寸胴お鍋を鎧にして、丸いお鍋を兜にして、お鍋の蓋を盾にして、包丁を武器にしている……通称『小鬼』ですね」
「小鬼?」
「はい、異界では大昔に滅んだ魔物だとかで、異界での名前は伝わっていないのですよ。
人の家などに入り込み、家具やらを盗み出して武装し、子供や小動物だけを狙って襲う、非力ながら繁殖力と性根だけは凶悪で厄介な魔物だそうです。
異界ではかつて混沌時代、あるいは暗黒時代と呼ばれた、魔物達が闊歩する時代があり……その頃にはかなりの数が居たらしいのですが、人の世に明確な害を与えてくる関係で真っ先に駆除されて、絶滅したとかなんとか。
魔力なども持たず、これといった特徴もなく、手にした武器で襲ってくるか、噛み付いてくるか、引っ掻いてくるかが小鬼の攻撃方法となります」
「なるほどな……。
繁殖力が凶悪ということは……他にも仲間がいて、凶悪とまで言われる性根からして、あの広場の何処かに潜んでいる可能性もあるか」
「あり……ますかねぇ?
そもそもあれはダンジョンが生み出した仮初の、幻影みたいな存在なので繁殖をするのやらしないのやら……まぁ、警戒するに越したことはありませんね」
「なら……これで行くか」
と、そう言って俺が腰の鞄から、念の為にと持って来た小さな鉄菱を取り出すと、それを見たポチはこくりと頷いて賛同してくれる。
ならばと鉄菱を指先で軽く挟み、立ち上がってしっかりと構えた俺は、大きく振りかぶって鉄菱を小鬼目掛けて投げつけ……鉄菱は見事に命中し、小鬼の鍋鎧がカツンッと音を立てる。
そこで小鬼はようやく俺達に気付いて……こちらを見やりながら何やらギャーギャーと喚き始める。
さて、どうする。
こちらに襲いかかってくるか、それともそこで喚き続けるか、あるいは仲間を呼ぶか……。
目の前のアレだけでこちらに襲いかかってくるのであればありがたい、この場で迎撃してくれる。
そのままそこで喚き続けるなら、もう一度……いや、何度でもこの鉄菱を食らわせてやる。
仲間を呼んで複数で襲ってくるのであれば……数次第で俺達は来た道へと戻り、江戸城へと逃げ帰ってくれる。
小さな体ながらその数でもって襲いかかり、大人一人をあっという間に鎮圧する同心コボルト達の光景は見飽きるくらいに見ているからな。
相手がどんなに小さな、非力そうな相手だからといって油断はしねぇぞと、俺とポチが構えを取っていると……広場の小鬼は、これでもかと喚いた後に、包丁を構えながらこちらへと、がむしゃらと言った様子で駆けてくる。
「ポチ! お前は警戒だ!
左右後ろからの不意打ちに気をつけてくれ!!」
ここは摩訶不思議なダンジョン世界。
突然この壁といって良いのかも分からない壁をかき分けて魔物が出てきたり、背後の地面から魔物が這い出てきたりするかもしれねぇ。
そう思っての俺の言葉にポチは頷いてくれて……俺は愛刀を鞘からさっと引き抜く。
そうして愛刀を片手でしっかりと握った俺は、駆けてくる小鬼を迎撃すべくもう片方の手を腰の鞄へと突っ込み……ありったけの鉄菱を俺達の前方にばら撒くのだった。
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