第9話 馴染みの商店
幕府の方針転換により解禁されることになった馬と馬車の民間利用。
それに伴い東海道は大改修が行われ、道幅が広くなったのは勿論のこと、石畳での舗装がされたことで以前のそれとは全く違う姿へと変貌していた。
街道なんて言葉では生ぬるい大街道……いや、同様の改修が行われた他の五街道を全く寄せ付けぬ別格―――巨大街道とでも呼ぶべき姿へと。
そんな東海道からの客を迎え入れる宿場街も、当然それに見合った規模となっていて……ドワーフ達の手によって建設された火山灰土造りの大旅籠やアパートメントが立ち並ぶ、宿場大街とも呼ばれる凄まじい光景が広がっている。
無数の人とコボルトと、無数の馬車と馬と、無数の旅籠とアパートメントと商店と。
そんな光景の中を俺とポチは、人垣をかき分けながら目的の商店の方へと突き進んでいて……あまりの人の多さと埃っぽさから目眩を覚えたりしながら、どうにかこうにかその商店へと辿り着く。
『よろずや 澁澤』
真新しい店舗を構える他の商店とは全く別の、昔ながらの店蔵を構えるその商店は、祖父の代からの付き合いがある……色々と融通を効かせてくれる馴染みの商店であり、暖簾をかき分けて中へ入ると、馴染みの顔が視界に入り込んでくる。
艷やかなまとめ髪を大きな花飾りのついた櫛で整え、真っ赤な下地に銭柄の着物を身に纏い、算盤を振り上げ帳面を小脇に抱えて、仁王立ちで従業員達に指示を下す女主人、澁澤ネイはいつものキンキン声をいつも以上の勢い、大きさで張り上げていた。
「またとないこの商機を逃す訳にはいかないんだ! さっさと動いてさっさと仕上げな!
これが終わったら支店の開店準備もあるんだからね!
……ああもう、辰二! アンタそんなグズグズしているようじゃぁ支店長は任せらんないよ!!」
齢十五で父親からその座を奪い取……もとい、受け継ぎ、廃業寸前のこの店をたったの五年で立て直した『辣腕おネイ』は今日も相変わらずの働きっぷりだ。
「ダンジョン解禁をきっかけに始まるだろうこの一大商機! 絶対に逃す訳にはいかないんだよ!
アタシの夢の万国百貨店を、このお江戸のど真ん中におっ立てるまでは怠惰も無精も許さないからね!!
そんでそこの狼月にポチ!! そんなところでボヤっとしてないでさっさとこっちにお上がり!!」
従業員を叱責するついでに名を呼ばれた俺とポチが、履物を脱いで足を上げ、帳場へと向かうと、仁王立ちになっていたネイもまた帳場へと足を向けて……今日はまだ一度も腰を下ろしてないらしい帳場に俺達の分と自分の分の座布団を敷いて、しずしずと腰を下ろす。
「話の大体のところは聞いてるよ!
ダンジョン解禁……まったくありがたい話じゃないか! うちの常連がそこに潜るってんだから尚の事だね!!
で、わざわざお江戸の中央じゃぁなしにこっちに来たってことは旅具絡みが欲しいんだろう?
そうかと思って用意しておいたから、さっさと受け取ってさっさとダンジョンに潜って来な!
何か良い収穫があったらうちに卸すのも忘れるんじゃないよ!」
しずしずとした態度と、洗練された仕草に全く似合わない声で、手早く話を終えたネイは、先程叱責を受けていた男……辰二とかいう名の男に「用意していたものを持ってこい」と指示を出す。
そんなネイの言葉と態度に驚かされた俺とポチは、互いの顔を見合って訝しがり……そうして俺が代表として声を上げる。
「おいおい、まだ注文もしていないし、代金の話は一体何処へいった。
お前はいつでもそこが第一だったろう」
するとネイは、面倒臭さそうな五月蝿そうな表情となって、いちいち説明しないといけないのかと、そんな想いが混ざっていそうなため息を吐いてから口を開く。
「代金なんてそんなものはいらないよ。
どうせアンタ達のことだ、武器だ防具だで蓄えを使い切ったんだろう?
そんな状態でこのアタシから何を買えるってんだい? まったく……。
だからアタシが最高の旅具を用意してやったよ……ま、先行投資とでも思ってくれたら良いさ。
下手に安物を使われて死なれるよりかは、最高の旅具で最高の結果を出してもらって、そのお溢れを頂戴した方が得ってもんだ」
ネイの言葉とは思えない、全くの予想外のそんな言葉に、俺とポチが目を丸くしていると、ネイが大きなため息を吐き出してから言葉を続けてくる。
「上様は既に動かれている。
江戸城近くの一帯を買い上げて、そこに様々な施設や商店を建てるおつもりらしい。
大手の商店は勿論、アタシなんかにも話が届いていて……本当に本気なんだということが伺えるよ。
文明開化以上の大変動……江戸の在り方や商いの在り方が根底から変わる、そんな気配を感じ取って動いている商人も居るほどさ。
そんな中にお人好しのアンタ達を放り込んだら、良いように搾取されて使い潰されるのがオチってもんだ。
……だからこのアタシが後ろ盾となってなんとかしてやろうってんじゃないか……」
先程までとは打って変わって、静かで落ち着いた……真剣な様子でそう言ってくるネイに、俺とポチはなんと返したものかと困り果ててしまう。
そうして何とも言えない居心地の悪さに身を捩ってから……またも俺が代表として声を上げる。
「あー……ネイ、俺達のことをそこまで考えてくれてまったくありがたいばかりなんだが……今回俺達がダンジョンに潜るのは、吉宗様の命を受けてのことなんだ。
だからまぁ……俺達の後ろ盾って言うと、幕府ということになる訳で……。
なんか、その、心配して貰ってのことだってのに……悪いな」
俺のそんな言葉を受けてネイは、そんなの聞いてないとばかりに口をぱくぱくとさせて、その顔を真っ赤に染めて……そのまま言葉を失ってしまう。
そうしてそこに辰二が大きな荷を抱えながら戻って来て……なんとも折りの悪いところに戻って来てしまった辰二は、ネイの八つ当たり半分、気を紛らせ半分の叱責を受けることになってしまうのだった。
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