第5話 吉宗の自室で


 征夷大将軍とはとても思えない身軽さで、俺達を出迎えてくれた吉宗様に連れられて向かったのは、二階の最奥にある吉宗様の自室だ。


 この江戸城にあってこの自室だけは板張り畳張り、障子戸の部屋となっていて……将軍の部屋とは思えない程に質素で、飾り気のない仕上がりとなっている。


 その部屋の入口……玄関のような造りとなっている一帯で、草履を脱いだ俺とポチは、一礼をしてからゆっくりと足を踏み入れる。


「そこら辺に座って楽にしてくれ」


 と、部屋の最奥にある自らの席に向かう吉宗様にそう言われて……俺達が吉宗様の御前へと足を進めていると、控えていた着流し姿のコボルト達が座布団を持って来てくれる。


 コボルト達に礼を言いながら受け取り、座布団を敷いて腰を下ろすと……今度は別のコボルトが茶を持って来てくれて、茶菓子の羊羹を持って来てくれて……と、室内を何人ものコボルト達が慌ただしく行き交う。


 吉宗様は綱吉公のことを深く敬愛していて、綱吉公に習ってか多くのコボルト達を友として側に置いている。


 その数、十か二十か……直属の御庭番としてちょくちょく顔を合わせる俺でも把握しきれない程の数だ。


 そしてこの自室は、吉宗様の仕事部屋でもあり、ここに居るコボルト達のほとんどが、俺は勿論のこと博識で知られるポチよりも賢い、この国の行政と吉宗様を支える碩学の徒だったりする。


「表の連中、どうだった?」


 席にどかんと腰を下ろして肘掛けに体を預け、コボルトが持って来てくれた茶をがぶりと飲み干してからの吉宗様の言葉に、「どう」とは一体どういう事なんだろうかと俺が悩んでいると、その意図を察したらしいポチが言葉を返す。


「うーん……武器や体は見事でしたけど、気配からすると二流ってところではないでしょうか。

 彼等を一つとすると、狼月さんが五つ、吉宗様が七つという評価になりますね」


 その鼻でもって群れの中の優劣……強者と弱者を見分けることに長けているコボルトの中でも、特に優れているポチの言葉に、吉宗様は苦い笑顔を浮かべてため息を吐く。


「一流を集めたつもりだったのだがなぁ……全く、ポバンカは世辞を言わんし、加減もしてくれんなぁ」


 と、吉宗様はそう言って、一際大きな羊羹を手で鷲掴みにし、一口二口と噛み、ごくりと飲み下す。


「……それで、今日はどうして俺達をお呼びに?」


 吉宗様が二杯目の茶を飲み干すのを待ってからそう尋ねると、吉宗様は近くに置いてあった紙束を掴み、こちらに投げて寄越す。


 その紙束を受け取り、ポチと一緒に中身を検めていると、検め終わるのを待つことなく吉宗様が口を開く。


「かつてコボルトやエルフ、ドワーフ達がこちらにやってきた際に出来たひびの残滓……裂け目のことをお前達は知っているか?

 空にできた驚く程に大きかったらしいひびの末端辺りに浮かび上がった……人間二人分程の大きさの空間の裂け目。

 これをな、幕府がずっと……綱吉様の頃から隠匿した上での調査をしていたんだが……どうだ、知っているか?」


「まぁ……噂程度は」

「僕も噂なら聞いたことがあります」


 俺とポチがそう返すと、吉宗様は「わっはっは」と豪快に笑ってから、言葉を続ける。


「ま、そうだよな。

 これだけの長い間、何人もの人員を使って調査をしていりゃぁ噂くらいは立つわな。

 ……で、だ。この裂け目の中にはな、異界の景色、森やら荒野やら、洞窟の中やら城の中なんかが広がっていてな……出来上がった経緯と、そうした景色から、裂け目の最奥に至ればあちらに行けるのではないか、帰れるのではないかと考えられていたんだ。

 で、あちらに行きたがってる連中や、帰りたがってる連中……エルフやドワーフが中心になっての調査が行われてきたんだが……ま、結論から言っちまうと、裂け目の向こうにあるのはただの行き止まりでしかなく、あちらに行くことは何をしても、絶対に不可能なんだとさ」


「はぁ……」

「なるほど……?」


「そもそも裂け目の向こうに広がっている景色ってのはな、森のようで森ではない、荒野のようで荒野ではない、見せかけの光景なんだそうだ。

 そこに木があるはずなのに触れることが出来ない、石があるのに拾い上げることの出来ない見せかけの世界……。

 そこに住まう魔物達も、あちらの魔物達と同じ強さ、同じ特性を持っているそうなんだが、いざ倒してみると、戦闘後に霞のようにかき消えちまって……死体や血糊どころか、その手にあった武器さえもかき消えちまうんだそうだ。

 何もかもが見せかけの……霞にあちらの世界の写し込んだかのような紛い物だらけの世界って訳だな」


「魔物……!? そ、そこに行けば魔物がいるのですか!?」

「す、凄い! まるでお婆ちゃんから聞いたおとぎ話のようではないですか!!」


 コボルトやエルフ、ドワーフ達が暮らしていた世界―――異界に住まうという異形の生物……悪鬼、妖怪にもたとえられる魔物達が、そこに居るのだと聞いて沸き立つ俺とポチに、吉宗様は片手を上げて落ち着けと伝えてくる。


「話はまだ途中だ、騒ぐのは最後まで聞いてからにしろ。

 長年の調査の結果、この裂け目はこちらとあちらを繋ぐ通路のようなものではなく、あちらとこちらの間に出来上がった空間……家と家の間にある狭間のようなものだということが分かった。

 この狭間、エルフ達の発案で『異界迷宮ダンジョン』と呼ぶことになった空間は、何処かに繋がっている訳でもなく、霞の紛い物しか存在しない無益なもの……かと思われていたんだが、一つだけ得るものがあったんだ」


 そう言って吉宗様は手の平程の金属の塊を投げて寄越す。

 銀に良く似ているが、銀にしては綺麗過ぎるというか、煌めき過ぎているというか……とにかく俺が今までに見たことのない金属だ。

 

「それはミスリルといってな、あちらの世界でよく知られていた魔力を放つ金属だ。

 ……どうだ? 驚いただろう?

 なんとも不思議なことにダンジョンにはな、そういった異界産の何かが淡い光を纏いながら落ちていることがあるんだ。

 そういった物に限っては木や石と違って触ることが出来て、持ち上げることが出来て……こちらに持ち帰ることが出来る。

 そこら辺に落ちていることや、魔物との戦いを終えた後に何処からかぽろりと落ちてくること、異界からの落とし物って意味も込めてエルフ達はドロップアイテムと呼んでいたかな。

 ……ほんっとにあいつらはエゲレス言葉が好きだよなぁ」


 そこでようやく俺とポチは、手の中にある紙束の意味を理解する。


『噂の異界迷宮、ついに庶民にも解禁 腕に自身あるものは名乗りを挙げよ』

『金銀財宝がざっくざく、物によっては幕府が高価買取』

『活躍次第、功績次第では幕閣にもなれる』


 瓦版を模した作りで、そんな文言が並ぶこの紙束はつまり……そのドロップアイテムとやらを餌に、人々を駆り立てる為に用意されたものなのだろう。


 しかし、幕府が買取をする上に、幕閣の席まで用意されているとは、幕府は……いや、吉宗様は一体何を目的にこんな馬鹿なことを……?


 と、俺がそんな疑問を抱いていると、同じ疑問を抱いたのだろう、ポチが吉宗様に問いを投げかける。


「吉宗様、一体どうしてまたこんなビラをお作りに……?

 あんな物騒な連中をここに集めて、僕達を呼び出しまでして……この話の裏にはどういった事情があるのですか?」


 すると吉宗様はにやりと笑いながら、


「流石に気付いたか。

 それでこそ御庭番筆頭の犬界とポバンカだ」


 と、そう言って、朱墨で極秘と書かれた紙束を懐の中から取り出し、こちらに投げて寄越すのだった。





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