第3話 大江戸の光景


 屋敷を出て、雲ひとつ無い春の青空を眺めながらざしざしと土道を歩いていって……少し経った頃、ポチがこっちを見上げながら声をかけてくる。


「どうします? 今日は馬車で行きます?」


 そう言いながら馬車専用道のある方を指差すポチに、俺は首を左右に振って声を返す。


「いや、余裕もあることだし歩いていこうぜ。

 馬車道はどうにもなぁ、埃っぽいのが嫌なんだよ」


「あー……あちらは馬車が絶え間なく行き交っていますからねぇ。

 いくら舗装されてるとはいえ、どうしても埃が立ってしまいますよねぇ」


「それによ、楽しいぜ、こっちの道を歩くのは。

 のんびりと行き交う人がいて、噂話や商売話に花を咲かせる人がいて……並ぶ屋台を冷やかすのも最高だ」


 そんな会話を交わす俺達の前に広がっているのは江戸城大手門へと続く、大街道の光景だ。


 家が二軒か三軒か入ってしまうような広い道に、数え切れない程の屋台が並び、行き交う人々があり、立ち止まって言葉を交わす人々があり……時たま元気に駆け回る子供達の姿なんかも見ることが出来る。


 皆が笑顔で、楽しそうで、平和で……これこそが太平の世だと言わんばかりの光景が広がっている。


 そんな光景の端から端までを眺めながら、賑やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで堪能していると、ポチは何も言わずに付き合ってくれて……そうして二人で無言のまま、のっしのっしと大街道を進んでいく。


 俺達が無言でも大街道は十分過ぎる程に賑やかで……賑やかな声に引っ張られて右へ左へと視線を揺らしていると、大街道脇の店蔵と店蔵に挟まれた小道から、騒がしい声が響いてくる。


「御用だ、御用だ、御用だー!」

「同心コボルトのお通りだー!」

「神妙にお縄につけぇーい!」


 そんな声に追いやられて、一人の冴えない男が小道から駆け出て来て……男を追いかけているらしいコボルトが三人、姿を見せる。


 コボルトに合わせた大きさの十手を握りしめ、着流しに巻き羽織を身に纏い、猛然と駆けるコボルト達を見て、大街道の人々がなんとも楽しげな声を上げ始める。


「おおっ、捕物だ!」

「あの野郎一体何をやらかしやがった!」

「同心共ー! 悪人を逃がすんじゃねぇぞー!!」


 そんな人々の歓声に背を押されたコボルト達は、どんどんと加速していって……そうして大街道のど真ん中で男へと飛びかかり、その勢いでもって男を地面にどぱんと押し倒す。


「観念しやがれ、食い逃げ犯め!」

「一杯の蕎麦なんざぁ、たったの一刻、真面目に働きゃぁ腹いっぱい食えるだろうが!」

「蕎麦つゆの匂いをたっぷりと漂わせやがって、そんな様でコボルト様の鼻から逃げられる訳がねぇってんだ!」


 一人が右手を押さえつけながら、もう一人が左手を押さえつけながら、最後の一人が地面に突っ伏す男の背中に仁王立ちになりながらそんな声を上げると、捕物を見学していた人々からどっと笑い声が吹き出す。


「お~お~、このご時世に食い逃げとは馬鹿なことをしたもんだねぇ。

 コボルト同心の鼻は僅かな残り香さえも嗅ぎ分けるし、何処までも響く遠吠えとよく聞こえる耳でとんでもねぇ連携とってくるし、そのしつこさで地獄の果てまで追いかけてくるってのになぁ」


 人々の笑い声の中で俺がそう言うと、隣のポチがぐいっと胸を張りながらなんとも自慢気な声を張り上げる。


「どんな手段を使おうとも、どんな逃げ方をしようとも、僕達コボルトの鼻からは逃げられないのですよ!

 このお江戸で罪に手を染めるくらいなら、皿洗いでもして日銭を稼いだ方がマシってもんですよ!!」


 ふんすふんすと鼻息を荒くし、尻尾を振りながらそう言うポチを見て、俺がたまらず笑っていると……次々と同心コボルト達が駆けつけて来て、男をコボルトまみれにしながら、荒縄でもって縛り上げて、ぐいぐいと引っ張りながら連行していく。


 人々の笑い声と、拍手に見送られながら罪人を連行していくコボルト達は、とても誇らしげで満足気で……俺達も良いものを見させてもらったと力いっぱいの拍手を送る。


 そうして足取りを軽くした俺達は、改めて大街道を真っ直ぐに……周囲に広がる光景を楽しみながら進んでいく。


 建築途中の店蔵の、人じゃぁ入れねぇような小さな隙間に、するすると入り込んで仕事をこなす大工コボルトに。


 人には聞こえねぇ微妙な音を聞き分けて、馬車の車輪のかみ合わせを調整する職人コボルトに。


 精緻に綺羅びやかに作られた銀細工を、屋台に並べる細工師コボルトに。


 人とコボルトが並び立っていて、人とコボルトが笑い合っていて、人とコボルトの子供達元気にじゃれあっていて……俺はこのなんでもない毎日の光景を見るのがたまらなく好きだった。


 人とコボルトが手を取り合ったからこその、大江戸と呼ばれるに相応しいその光景を、心ゆくまで楽しんだ俺は、ついつい口から、


「たまんねぇなぁ」

 

 と、こぼしてしまう。


 するとポチはにっこりとした笑顔を俺に向けて来て……俺もまたポチに同じような笑顔を返す。


 そうして俺達は笑い合いながらあれこれと言葉を交わしながら大街道を進んでいって……先代将軍が改築した真新しい大手門へと到着するのだった。

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