第2話 二家団欒
折角熱く語っていたのに、最後まで聞いて貰えなかったと知って、立てていた尻尾と頭の上の耳をぺたんと垂らすポチ。
そうして道場の中に静寂となんとも言えない空気が充満していく中……小さな足音がトタタタタッと母屋の方から響いてくる。
「朝餉が出来たよ~!」
「美味しいご飯の時間だよ~!」
「今日は鯵の干物と、お野菜の漬物、コボルトクルミの甘露煮、ジュンサイのお味噌汁だよ~」
そう言いながらポチそっくりの姿でポチそっくりの着流しを着た三人のコボルト……ポチの弟であるポールと、妹のポリー、ポレットが道場に駆け込んでくると、ポチの尻尾にぐぐぐっと力が込められていく。
大好物のクルミの名前を耳にして、落ち込む気持ちよりも喜びの感情が勝ったのだろう、尻尾が左右に振り回され始めて、耳がピンと立ち上がる。
それを見た俺は振り回していた刀を鞘に納めてからポチの近くにしゃがみ込み、ポチの頭をぐしぐしと撫でてやる。
「良かったじゃねぇか、今日はコボルトクルミが出るってよ!」
ポチが特に好む撫で方をしてやりながら、そう声をかけると、ポチはその尻尾を激しく振り回しながら……半目でもって俺を睨みつけてきて、
「汗臭過ぎるにも程があるので、食事の前に水浴びして来てください」
と、持ち前の少年のような声をなんとも低く、太くしながら言い放つのだった。
水浴びを済ませ、火炎模様の真っ赤な着流しに着替えてから母屋の居間へ向かうと、囲炉裏を囲う形で膳が並べられていて、そこにこの屋敷で暮らす全員が顔を揃えていた。
古めかしい剃り頭ちょんまげで道着姿の俺の親父と、長い髪を櫛で簡単にまとめた小袖姿の俺のお袋と、道着姿のポチの父と、花柄着物のポチの母と。
宿題を終えてほくほく顔のリンと、道着姿の弟弥助と……ポチと、ポール、ポリー、ポレットの仲良し兄妹達。
犬界家とポバンカ家が勢揃いしたその席へと、俺がどかんと腰を下ろすと『いただきます!』との声が一斉に上がり、そうして朝餉の時間となる。
まずは味噌汁をがぶりと飲んで、ジュンサイの食感を存分に楽しみ……漬物を摘んだら、クルミの甘露煮を一粒だけ噛み砕く。
そうしてからなんとも良い匂いをさせている鯵の干物へと箸をつけて、ほかほかと湯気を立てている白米を楽しんでいると、隣の席のポチが俺の膳の……クルミの積まれた小皿をじぃっと見つめてくる。
何も俺のクルミも睨まなくても自分のクルミを食えば良いじゃねぇかとポチの膳へと視線をやると、そこには空となった小皿があり……おいおい、もう食べちまったのか。
いつもなら白米と一緒に楽しむはずのクルミを真っ先に食べ尽くしてしまって、なんとも侘びしくなってしまった膳がどうにも耐えられないらしく、じぃっと……凄まじいまでの熱視線でもって俺の膳を睨んでくるポチ。
そんなポチの熱視線に負けた俺は「仕方ねぇなぁ」とため息を吐いてから、小皿を摘み、ポチの膳の上に置いてやる。
するとポチは尻尾を激しく振り回しながらクルミと白米を堪能し始めて……俺とポチ以外の皆から小さな笑い声がくすくす、あははと上がる。
そんな笑い声に包まれながら、膳の上に並ぶ食材を一つ一つ、ゆっくりと堪能していって……そうして膳が空になる頃、今日のお茶係の弥助とリンが全員分のお茶を用意してくれて、茶碗へと注いでくれる。
満腹になった腹を撫でながらがぶりと良い渋さのお茶を飲んでいると……胡乱げな目をした親父が声をかけてくる。
「狼月、今日もお前は自宅待機か?
……折っ角、二十歳という若さで吉宗様直属の御庭番になれたというのに、なんっとも冴えない話だな」
親父なりに俺を心配しての力の込もったそんな言葉に、俺はお茶をぐいと飲み干してから声を返す。
「いや、今日は登城だ。
吉宗様直々の命があるとかで……もうちょいしたら出かけるよ」
俺がそう言い終えた瞬間、囲炉裏を挟んでの向こう側に座る親父が、飲みかけていた茶をぶはっと吹き出して、囲炉裏の灰がぶわりと舞う。
「げっほ!?
おいおい、囲炉裏に向かって吹き出すんじゃねぇよ!?」
灰をもろに食らった俺がそんな声を上げて、他の皆が迷惑そうな顔をする中、親父は泡を食ったような態度で声を荒げてくる。
「お、お前というやつは、そんな格好で吉宗様のお目にかかるつもりなのか!?
登城するのであれば
お、おい、すぐにタンスからこいつの裃を……い、いや、儂が取ってくる!!」
そう言って居間を駆け出ていく親父を、皆は「またか」と、そんな態度で見送る。
「……今時分に裃なんて着るのは老中くらいだろうに。
親父は相変わらずだなぁ」
立膝に肘をつき、その手を枕に顔を預けた俺がそう言うと、俺以外の皆が同時にうんうんと頷いて……それを合図にして立ち上がり、それぞれのすべきことをし始める。
膳を片付けて、井戸に向かって歯を綺麗に磨き、厠に行く者は厠に行き、家事をする者は家事をし、出かける者はその支度をする。
そうして支度を整えた俺とポチが、玄関で羽織に袖を通し始めても尚、親父はタンスの奥の奥に押し込められた裃を探しているようで……親父の絶叫に近い悲鳴が屋敷の奥から響いてくる。
そんな悲鳴をしばしの間ぼんやりと聞いていた俺とポチは、お互いの顔を見合ってから頷き合い……面倒なことになる前に出かけるかと、草履をつっかけて、屋敷を後にするのだった。
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