第65話 休み終盤の再会 5
「わしにもどうしてこちらに来たのか、わからん。お前は以前よりも力が増しているように思えるな? 正確なところはまったくわからんから、強くなったなとしかいえんがなにがあった」
「帰るときに寄り道したら、そこで色々とあったんだ。爺さんだけなら話すが、二人に聞かれているから話さない」
「すまんが、二人は出てもらえるか。マーナは呼んでおいて追い出す形になってすまん」
そうかと頷いて山神はマーナと護衛に顔を向け言う。
マーナは素直に頷いて外に出たが、護衛は渋る。将義を信用していないのだ。
「先ほども言ったが警戒も護衛も、こやつが本気を出せば無意味だ。こやつが暴れたとしてかばって時間稼ぎをしようとしてもわしもお前ももろともに死ぬ」
「まあそんなにいたいならいてもいいけど。最後に記憶消すし」
いつもの手段を述べる将義。
「そのようなこともできるようになったのか」
「向こうで使えていたものを発展させ応用を覚えたらできるようになったよ」
会話を外で聞いていたマーナが戻ってくる。記憶を消すことに頷くなら聞いてもよいと判断したのだ。
将義は好きにしたらいいと追い出すことはなかった。護衛もいざとなったら力尽くで拒否すると考えつつ部屋に残る。
一同は座り、将義は影から鏡とガラスの器を出す。
「それは?」
「土産を持ってこいって言ってたろ。久々に飲みたいって気持ちもあるから、ああ言ったんじゃないかってね」
「主さん、私はブドウジュースで」
「はいはい」
影からコップを取り出し、マーナに放る。
器にシャム酒を注いで、マーナが差し出したコップにブドウジュースを注ぐ。
漂う酒の香りに、山神が懐かしそうに表情を緩める。その香りだけで久々の好物だとわかったのだ。気持ち急いた様子で、術で器を浮かばせて手元に寄せる。
護衛の妖怪が止める前に、器を口に運び、酒を飲む。飲み込み、至福といった吐息を吐く。
「山神様! 毒見もせずに!」
「必要ないわい。こやつがわしを害する理由がないからの。それにしてもまた飲めるとは思わなんだ」
「この鏡を使えば、以前飲み食いしたものは魔力と引き換えに自由自在に出せるんだ」
「便利じゃのー、捧げものとして贈ってきてもよいのじゃぞ?」
「ははっ、ねえよ」
そう言って将義は即座に鏡をしまう。将義もこれは便利と思っているのだがら、誰かに渡す気などさらさらなかった。
「そう急ぎしまわんでもよい。冗談じゃ」
「半分本気だっただろうが」
「ばれたか」
山神は誤魔化すように「美味いのう」と飲酒を再開する。
ちびちびとジュースを飲んでいたマーナが尋ねる。
「主さんと山神様はどうしてそうも気安いの?」
「わしの前世とこやつが知り合いだったのだ。わしはこことは違う世界に生まれ、そして寿命が尽きた。死ぬ間際に、もう一度こやつの会いたかったと思ったことが原因かは知らぬが、意識が閉じた次の瞬間にはこの山として自我を持っておった。こうして分霊を生み出すほどの力はなかったから、しばらくは日々周囲を眺めることくらいしかできんかったな。今から三百年以上昔のことだ」
山神の前世は、将義が召喚された世界でただ一人最後まで将義に対する態度を変えなかった人物だ。
名前はホールム・ハウセーゲン。将義が魔王を倒した時点で七十歳だった。様々な知識を蓄え、術を使いこなす賢者として名を知られていた人物で、五十歳ほどから人里離れた山の中で一人暮らしていた。俗世の喧騒に疲れて静かな場所に移り住んだのだ。家族や親類が財産目当てに争う姿、貴族の腹の探り合いに疲れたとも言われていた。
将義との出会いは、魔王の配下が特殊な病をまき散らし、それの対処を聞くため訪ねたことが最初だ。
将義が人の限界を超え始めた頃で、仲間はよそよそしくなり始めていたが、ホールムは将義の力量に気づきながらも態度を変えなかった。そのことからまとまった休憩が取れると将義はホールムの家を訪ねたのだ。
ホールムが交流していくうちに態度を変えていれば、将義は魔王討伐も帰還も放り出してどこぞに引きこもっていただろう。
そういった精神をホールムは見抜いて、力だけが並はずれた人間だと理解し付き合っていたのだ。
「神様の前世とか考えたこともなかった」
「神でも人間でも魂をもって誕生するのだから、その前があってもおかしくはなかろうて。将義、お前さんが去ったあと向こうがどうなったか聞きたいか?」
「興味ない」
一応尋ねてみたが、その返答は予想できていた。山神はここ数日で掘り返した記憶をさっさと忘れることにする。
「じゃろうな。わしはお前さんのその後に興味あるから酒の肴に話してくれんか」
「そう起伏にとんだ話じゃないよ。それでもいい?」
「かまわんさ」
将義は山神と別れて、城の魔法陣であの世界から帰ったこと。世界と世界の狭間に留まったこと。そこでの暮らし。地球に帰ってきたことを話す。
その話でマーナは納得した表情になる。
「宇宙船なんてものどこで手に入れたのかと思ったら、そこで拾ったんだ。そりゃこの世界から外れた雰囲気があるはずだわ」
「鏡もそうだし、ほかの面白そうなものも影の倉庫に入れてある」
「狭間な、そんなところがあったんじゃな。魔王を一人で倒したお前でも過ごすのに苦労する場所とは、すごいところもあったものだ。ただの人間が迷いこめばどうなる?」
「即座にショック死は確実。マーナくらいの力の持ち主でも一日もてばいい方」
「怖っ!? そこにいるだけで死んじゃう場所なんて行きたくもないわ」
「普通は異世界に行くことすらないから、怖がる必要もないだろ」
異世界ではなく狭間に行く可能性はさらに低い。もっと可能性が高ければ、狭間にはもっと物があふれていたはずだ。
たくさんの物が漂いはしていたが、億を容易に超える年月が流れていることを考えると、入ってきた物は少ない方だった。
「今でもいけるのかの?」
「行けるよ。今は行く理由がないけど」
「今は?」
「両親が死んだら、あそこに引っ込むのもありだと思ってる」
「そうか」
山神はそれは駄目だろうと言いたかったが酒とともに飲みこむ。
自身も前世では山に篭っていたが、それでも人間社会とは完全に繋がりを断っているわけではなかった。一人きりになるのが寂しかったのだ。
そんな自分とは違い、将義は人間どころか世界との繋がりもあっさりと切り捨てることを本心で言っている。
こちらに帰って精神状態が癒されているかと思ったが、そうではなかった。少し癒えた時点で痛みに慣れたか、心の傷を凍らせて痛みを消しているだけだとわかる。
今この場でそれについて指摘しても意味はないと思えたので、山神は語らない。
語らず考える。将義はやるべきことをやりとげた。ならば幸せになってもいいだろう。地球に帰ってこれたことは幸せだろうが、心の方もどうにかしてやりたい。
前世では何度も会いに来てくれた。下心などなく会いたいと思っての訪問はホールムも嬉しかったのだ。その恩を心を癒すことで返したい。
希望はある。完全に他人を拒絶しているなら、マーナという存在はここにいないのだ。マーナをそばに置いていることが、まだ世界との繋がりを切っていないという証拠だった。
「まったく今生でもお前に苦労させられるとはのう」
言ったこととは裏腹に、表情は笑みを浮かべている山神。その言葉と笑みの意味するところがわからず将義は戸惑う。
「いきなりなんだよ」
「もうちょっと世界に関心をもてということじゃよ。たしかに今のままで幸せなのかもしれんが、壁を作ったままでは十分に人生を謳歌しているとは思えん。といっても今はわからんかもしれんが。マーナ、お前さん以外にこやつと繋がりのある者はいるのか?」
「そうですね、未子やフィソスやパゼルー、灯ちゃんはどうなんだろう。このほかにもともとの友達といったところでしょうか。友達や両親には力があることは秘密にしているようですが」
「では未子とフィソスとパゼルーとやらに話を聞きたいな。こやつがどう過ごしてきたか」
「俺から聞けばいいじゃないか」
「その者から見てどう思ったのかが気になるのじゃよ」
気になることかと将義は首を傾げている。
「おかわりを頼む」
差し出された器に、将義は酒を注ぐ。
「将義、お前ここに所属せんか?」
ついでのように聞く。
「しないよ。もう引退したんだ。あとはもう表で普通に暮らしていく」
「そうか。わかった、忘れてくれ」
その力があればここを守るのも容易くなる。将義自身も害意から守りやすくなるだろう。それらを期待して駄目元で聞き、断られあっさりと引く。関わる気がないというのは聞いていたことだ。断られることは容易に想像できた。力のせいで避けられるという向こうと同じになることを避けているのもわかる。だから誘いは本当に一応聞いてみただけなのだ。
「この酒をまた飲みたい。また訪ねてきてくれると嬉しい」
「それくらいなら別にいいけど。というか甕でも持ってくれば、それに入れるよ」
「そんなことすれば、お前さんは顔を出さなくなるじゃろ。人付き合いのリハビリじゃよ」
「リハビリねぇ」
それを必要とされる理由がわからない将義ではあるが、せっかく再会できた親しい知人とこれっきりというもの味気ないため来訪を断ることはない。
「そのときは今回のようにこっそり来るよ」
「堂々と来る気はないのか」
護衛の妖怪が聞く。
「堂々と会いに来たら顔を見られるじゃん。爺さんに会いたいとは思うけど、こっち側に関わる気はないってのは変わらないし」
「たかだか人間一人が歩いているだけで気にすることはないと思うがな」
「そこは同意するけど、何度も爺さんに会いに来たら目立つだろうに」
「なにかやましいところがあるから隠れるのではないか?」
「同じ問答を繰り返す気はない」
引退し穏やかに暮らすという目立ちたくない理由は言ってあるのだ、これ以上話すつもりはない。会話をさっさと切り上げて護衛の妖怪から視線を外す。
護衛の妖怪は睨むように見ていたが、なんの反応も返されなかった。
「用件はすんだし帰る。マーナはどうする?」
「帰るよ」
「ここのトップにコネができたし、契約を切ってここに居を構えるのもいいと思うけど?」
多少の優遇はできるんだろうと将義は山神を見て言う。
「まあ可能じゃの、来るかい?」
「いえ帰ります。こちらは居心地はよかったですけど、感覚的に向こうが家って感じなんですよね。それに安全面で見るとあっちの方が断然上なので」
「ここの治安も相当なものだが」
自治管理を担当している護衛の妖怪が少しむきになって言う。
「向こうには負けます。住人の数が少ないし、完全に独立した空間ですから安心安全の度合いが段違い」
こちらの隠れ里は欲しいものがすぐ手に入るという点では便利だった。しかし住人が多くもあり、トラブルの数も多いのだ。心のそこからのんびりとできるのは鍛錬空間だった。
「なんじゃ将義お前、隠れ里を持っておったのか?」
「もとは身内の鍛錬用空間として作ったんだよ。せっかく作ったそれを潰すのももったいないし。最近はあちこち手を加えて過ごしやすさを整えている」
「独立ということは、お前個人で支えているのか。大変じゃないか? こちらは余裕あるし、繋げたら少しは楽になると思うが」
護衛の妖怪はそれに反対する。
「誰に相談もなく里を余所と繋げるのは賛成しかねます」
「だったらお主が確かめてくればいい」
「繋げないからこなくていいよ。それになんの苦労もしてない。正式な術式もらって作った当初よりも楽になったくらいだし」
「術式なしで隠れ里を作ったのか。無茶するのう。極小の空間でも相当な力を使うはずじゃぞ」
「魔力と魔法任せのゴリ押しでどうにかなったよ」
なんの気負いもないその返答に山神は嘘ではないと察した。自分が思った以上に将義が力をつけていることもだ。
「本当に以前よりも強くなったな」
「狭間でいろいろあったしね。あそこに慣れていざ帰ろうと思ったら魔王以上の化け物に襲われたりしたよ」
そう言いながら立ち上がり、記憶消しの魔法を使う。
背中に突然現れた光に、護衛の妖怪もマーナも回避などできず、聞いた話を忘れていく。
部屋に入ってからすぐにぽっかりとした空白があり、マーナたちは少し不快そうに顔を歪めた。
「過去を聞いたのは覚えてるのに、内容が欠片も思い出せないわ」
「そういう魔法だからな。じゃあ爺さんまたいつか」
「できれば早い再会を願っとるよ」
確約はできないと言って、将義は鍛錬空間への穴を開く。
マーナを先に入らせて、将義も入る。
山神と護衛の妖怪は穴の向こうが思ったよりも奥行きがあるように見える。もっと詳しく見ようと思っているうちに穴は閉じた。
「あやつ、どれくらいの広さで作ったのかのう。こっちの隠れ里よりも広く見えたが」
「神でもここの広さを支えるのは苦労するというのに、人間が一人でここ以上の広さの空間を支えるなど」
信じられないという護衛の妖怪に山神はそこが忘れた部分だと告げる。
「聞いたことを覚えていれば、あの空間に関してはすんなり納得はせずとも疑いは少なかったはずじゃて」
「どのような内容だったか、山神様から聞くわけにはいきませんか」
「無駄じゃろうて。そうすることをあやつが想定していないわけがない。おそらく話してもすぐに忘れるといった細工を施しておるじゃろ」
少しでも記憶を思い出そうとしている護衛の妖怪から視線を外し、山神は今後の予定を考えていく。
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