第58話 思い出と悪魔 1


 魔界のとある地方の城の中。そこでヤギの顔に黒い翼を持った男が上機嫌そうに術を使う準備を進めていた。

 現世では魔界の王と同一視されることもある男だが、別々の人物だ。正確には王が自身の一部をわけて生み出された特殊な分霊だ。王の持っていた怒りの多くを注がれて、憤怒を司る立ち位置になっている。

 今では王との魂の繋がりも切れて、独立した個として存在している。生まれが生まれなので王は父親という認識だ。

 男から少し離れたところには額から真っ直ぐ伸びる角と白く長い髪を持った女もいる。椅子に座りテーブルにうつ伏せになり、顔だけ男に向けて心配そうに声をかける。


「本当にやるんですか主様ー」

「ようやく待っていた時期がやってきたのだ。ここまで我慢したことを褒めてほしいものだが」


 日本ではお盆の時期で、幽霊などの移動が容易になっている。それに紛れて日本に行くのだ。男ほどの地位の悪魔では移動制限がかかっているのだが、この時期は誤魔化せる。


「怒りを司っているとはいえ、短慮ではないでしょ。少し我慢したところで褒めてもらえないと思いますー」

「あれだけ見事な怒りを見せられては興味も湧こうというものだ。即座に行動しなかったのは我ながらよく我慢したと誇れることだぞ」


 当時のことを思い出す。突如感じられた怒りに感動したことを。ただ純粋に一つのことに対して怒り、それが世界中に発せられた。人間であれ神であれ悪魔であれ、ああも見事に怒ることなどないだろう。この先にもきっと感じられないものだと思えた。


「たしかにすっごい怒りでしたけどねー。あの方から関わるなって止められたでしょ」

「正確にはちょっかいをかけて悪魔に敵対されることを止めたんだ。俺がやろうとしているのは敵対することじゃないってのは説明しただろ」

「そうですけど。不安なんですよ。人間にとって悪魔はどうしてもマイナスイメージがありますからねー」

「なんとかなるだろ。あれだけ強ければ悪魔が近寄ろうが慌てることはないだろうしな。さっさと目的を告げれば落ち着いて話せるはずだ」

「だといいんですけどねー」


 男は話しながら準備を終えて、床に現れた魔法陣に魔力を注ぐ。

 魔法陣から黒い霧が出現し、陣の中央に集まっていく。すぐにそれは人型となった。

 黒の短髪をオールバックにした二十歳ほどの男で、革のジャケット、その下に血のような赤いインナー、濃紺のジーパンといった出で立ちだ。これは現世で動くための分霊だ。

 男は背もたれのある椅子に座って、分霊に意識を移す。体を動かしてみて、女に話しかける。


「魔力はこんなもので大丈夫だよな?」

「規定の範囲内ですよ。本体の意思が入っているからいつでも突破できて意味ないですけどねー」

「会うなら俺自身で会いたいからな。よっし行くか」


 すごく楽しみという感情がよくわかる表情で転移の準備を行う。


「叱られるときは主様だけで叱られてくださいねー?」

「叱ることなら、今ここに止めにやってくるだろうさ。それがないってことは様子見してみようって考えなんだろ」


 行ってくると男は告げて、手をひらひらと揺らす女に見送られ、転移で現世へと向かう。

 残った女は溜息を吐いて、椅子に座る男の膝に座ったり、頬を突いて遊びだす。


 現世に移動した男は超高度に現れる。特に出現位置をしていなかったため眼下は海のみだった。

 まずは日本を目指すかと遠見の術で現在位置を確認し、日本へと飛ぶ。

 九ヶ峰家に到着したのは数時間後だ。


「魔力が低いとこうも遅いもんだったか。ちゃんと出現位置を日本にしていればよかった」


 そんなことを言いながら家の前に立ち、反応がないことに首を傾げる。

 大騒ぎにならない程度の魔力を出しているが、なにも反応がない。それどころか強い霊力の持ち主の気配もない。

 

「……留守か?」


 魔力を小さくしながら敷地内に入る。

 将義だけでなく、その家族の気配もないことを確認して、そろってどこかにでかけたのだろうと思う。

 帰ってくるまで暇だと思い、久々の現世を日が暮れるまで歩き回る。

 パチンコ屋といったギャンブル場に入って欲望を浴びたあとは、人間が原因の犯罪現場を見学して回る。詐欺、窃盗、殺人、強姦、様々な悪事を手を出すことなく見たあとは、逆のものを見に行く。災害救助、ボランティア、それら以外の小さな人助け。

 別の場所で人間が人間を殺し、また別のところで人間が命をかけて人間を助ける。


「やっぱりいろいろな面があって面白いな」


 人間の綺麗な面も汚い面も男は楽しんでいく。男にはこれといって人間に拘るものない。人間のあらゆる面を楽しみ愛することができた。

 彼の持つ怒りは、人間にも向けられるものだが、常に怒り続けるわけではなく、怒る場面がある。今はそのときではないのだ。人間が調子に乗りすぎたとき、堕落の限りを尽くし始めたとき、そのときが彼が思う存分怒るときだった。

 人間を堪能した頃には、午後七時を過ぎていて、もう帰っているだろうと九ヶ峰家に向かう。しかし家には誰の気配もない。


「もしかして遠出してる?」


 タイミングが悪いなと溜息を吐いて、将義の力を探る。

 家の地下に魔法陣があるため察知は容易く、それと同種のものがどこへ向かったのか探る。

 これだろうというものを見つけた男は空を飛ぶ。


 ◇


 海水浴が終わって八月に入り、将義は残る宿題をさっさと片付ける。

 残る自由時間は、のんびりと復習に使ったり、フィソスを連れて仁雄や双子と遊んだり、家事手伝いをしていた。

 力人と遊ぶ時間はなかった。力人は香稲の下へ通う電車賃を稼ぐためガッツリバイトしていたのだ。それに加えて妖怪関連の勉強も陰陽寮側から指定されていて、それらへの対処のおかげで忙しかった。

 指輪を陰陽寮に預けて無関係に戻るなら必要ない勉強だが、今後も関わっていくならいらぬトラブルを起こさぬためにも必要なことだと言われては、やらぬわけにはいかなかった。

 遊ぶ時間が削れているが、力人的には充実しているようで、大変だがやりがいがあることができたとラインで言ってきていた。

 それを見た将義と仁雄は宿題を放置しているような気がして、あとになっても見せないからやっておけよと返しておいた。

 ほかにやったことは灯の治療だ。三回目の治療で、灯は問題なく話せるようになり、足も動くようになった。長く使っていなかった足の筋肉も常人並となっていて、リハビリを必要とせず、動けるようになってから毎日ように散歩や友達との遊びに夢中になっている。だが筋肉は元通りでも体力まで常人並になっているわけではないため、すぐにばてる。地道な体力作りが今後の課題だろう。

 今日はなにがあった、誰とどんな遊びをしたといったことを未子にメールし、交流は続いている。

 そういった聞いたことを未子は将義に話し元気に過ごしていると伝える。それを聞いて将義は四回目の治療は必要ないなと判断して、未子を通して治療は終わりと伝えた。

 一応一週間後に遠見の魔法で様子を見て、問題なければ灯の治療は完了で、その後は様子を見たりせず記憶の隅へとおいやって思い出すこともなくなるだろう。

 

 穏やかに休みを過ごしていた将義は両親と一緒にでかける準備をしていた。他県に住む父方の祖父母に会いに行くのだ。

 母方の祖父母には母親と一緒に八月初週に会いに行っていた。

 一泊分の準備を整えて、将義は一階に下りる。似たようなタイミングで両親も準備を終えていた。


「それじゃ出発しようか」

「ええ、毎年のことだけど少し緊張するわね!」

「そんな緊張しなくても。まあ、俺もそっちの親父さんに会うのは少しばかり気合いを入れるが」


 嫁姑問題みたいなものなんだろうと思いつつ、父親は玄関へと歩く。

 将義も鞄を持って家を出て、車のトランクに入れる。ついでに車にも家の地下に仕込んだ魔法陣を使って運転疲れを解消させる。

 父親は普段の通勤で車を使ってないので、長距離移動では疲れもひとしおだろうと思ったのだ。


「だすぞ」


 エンジンを動かし、父親は慎重に車庫から車を出す。

 助手席には母親が座り、将義は後部座席だ。そして母親の守護を任せているパゼルーの気配も外にある。

 将義が窓の外を見ると、普段よりも幽霊の姿が多い。お盆ということで霊界から出てくる幽霊が多いのだ。

 日本だと、お盆に祖先が帰ってくるという伝承があるので、今の時期は霊界との区切りが緩むのだ。自我が残っている魂は家族の様子を見るために出てきて、自我のない魂もふらりとでてくることがある。

 そういった幽霊が起こした事件が激増する時期であり、陰陽寮も裏堂会も激務の時期だった。そちらに関わったばかりの力人も書類仕事に駆り出されて、忙しい時間を過ごしている。

 忙しい彼らのことなど知らない将義を乗せた車は高速道路に上がり、途中でサービスエリアに寄って、名物を食べて、目的の県で高速道路を下りた。

 四十分ほど車を走らせて、小さな山が離れたところに見える住宅街に到着する。その中に祖父母の家はあり、少し離れた駐車場に停めて、将義たちは車から降りる。


「最近ずっと調子がいいせいか、久々の長距離移動もたいして疲れなかったな」


 父親は嬉しげに言いながら、荷物をトランクから取り出す。

 それを将義と母親は受け取り、歩き出す。五分ほどで祖父母の家に到着し、父親がただいまと言いながら入っていく。

 そう特別なところのない一軒家で、十年前にリフォームしたおかげで古臭さもない。


「いらっしゃい、おかえり。永義、織江さん、将義、よく来たね。さあさあ居間に」


 にこやかな祖母が奥からやってきて、三人を出迎える。父親の名前が永義で、母親の名前が織江だ。


「お義母さん、これお土産です」

「あら、ありがとうね」


 織江が祖母に挨拶してお土産を渡し、そのまま台所へと向かい、将義と永義は居間に入る。

 そこに祖父がいるかと思ったが、いなかった。


「母さん、父さんは?」


 永義が聞き、知人に呼ばれて出ていると返ってくる。


「そっか、爺ちゃんには挨拶できる?」

「できるわよ。部屋でテレビ見てるはず。でも最近ボケてきて、すっとんきょうな返事になることがあるから」

「ボケてきたのか」

「そうなのよ。きちんと看病できる施設に入ってもらった方がいいのかとお父さんと相談してるわ」

「そっかぁ。将義、一緒に挨拶に行こう」


 少し悲しげな顔になった永義は将義を誘い、一階の曽祖父の部屋に向かう。

 ノックしてから扉を開けて、永義は久しぶりと声をかける。曽祖父は趣味の囲碁を流しているテレビから視線は外し二人を見る。


「おー、久しぶりだな。二人とも元気していたか? 織江さんはどうした」 

「母さんの手伝いしていたよ」

「そうかそうか」


 ニコニコと永義たちとの再会を喜ぶ曽祖父を見て、永義はぼけているように思えない。返事はしっかりしているし、どこか悪そうにもしていない。


「婆さんも挨拶できたらよかったんだけど、でかけていてな」

「そ、そうか。まあ、爺ちゃんの元気な顔を見れただけでもよかったよ」


 動揺で永義の返事が少し揺れる。

 これかと永義は祖母の言葉を理解した。曾祖母は数年前に病気で死んでいるのだ。生きているかのような言動は明らかにおかしかった。

 会社や学校はどうだという会話をして、部屋を出る。曾祖母以外のことはなにも問題なく、だからこそ異常が際立つ。

 居間に戻ると、祖母と織江が人数分のお茶とお土産をテーブルに置いていた。


「挨拶してきたよ。いつから婆ちゃんのこと言い出したんだ?」

「お盆前からね。急にそんなこと言い出すから、私もお父さんも驚いてね。寝言で謝りだしたのが最初かしら。それは何ヶ月か前なんだけど」

「謝っていたんですか?」


 織江の言葉に祖母はそうなのよと頷く。


「なにを謝っているのかはわからないんだけどね。昼寝してるときとか、すまんってこぼすことがあってね」

「爺ちゃんと婆ちゃんって仲悪かったか?」


 永義は実家暮らしのことを思い出してみたが、特別仲が悪かった記憶はない。

 祖母は否定する。そこそこ喧嘩もしていたが、それは夫婦としてみれば当たり前のものともいえる。祖母と祖父も軽い喧嘩はするのだ。思い返してみても、自分たちと似たような喧嘩でのちのちにまで影響のある大喧嘩をしているところは見たことがない。


「なんで謝ってるんだろうな。母さんたちは直接聞いてみた?」

「聞いたけど、本人もよくわかってないみたいよ」


 なにか謝っているようだけどと聞いてみたが、不思議そうな顔をされたのだ。起きると謝っていることを忘れるようだった。

 なにが原因なんだろうねと話していると、用事をすませた祖父が帰ってきて、話題は別のものに変わる。

 そうして一時間ほど時間が過ぎて、将義たちは墓参りに向かうため家を出る。

 十分ほど車を走らせた山近くの墓地に到着し、九ヶ峰家の墓を皆で掃除する。

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