第56話 海と恋の行方 6

(頼りにするしかないとはいえ、勘も確実に当たるってわけじゃないからねぇ。どうにかなるなら香稲が怪我する前になってほしいもんだよ)


 思案げな穂波に香稲が心配そうに触れる。


「母様? やっぱり怪我がひどいの?」

「痛むから体を揺らすんじゃないよ」

「あう」


 無事な左腕で軽くデコピンをする。


「午前中の穏やかさが嘘みたいだよ、ほんと。ああ、そういえば待ち合わせに間に合いそうにないね」

「仕方ないよ。人間のいるところに行くわけにはいかないし、今はあっちよりも自分たちの方が大事だよ」


 力人の優先順位が低いのは当然と言っていいのだろう。現状命がかかった状況であり、向こうはそうではない。香稲の中では力人のことは放置しても問題ないのだ。行かないという選択は当然のものだった。


「里に帰れたらいいんだけど、あいつらの見張りがいるから挟み撃ちになっちまう。私が囮になるから久宝を」

「駄目っ。それなら私が囮になる」

「まあ、そう言うだろうね」


 香稲に囮を任せるという選択は取れない。親としてできるものかという思いもあるが、荒事が苦手な香稲ではすぐに捕まってしまうのだ。

 説得しようにも怪我をした自分では説得力はない。なので勘を信じて一緒に逃げ隠れしている。


「ん? ここもちょいとまずいね。移動しようか」

「うん」


 少し休めたことを幸運と思い、移動する。

 たまに追手の妖怪とすれ違いヒヤリとしたが、なんとか逃げ続けることに成功する。

 いつまで逃げ続ければいいのか母娘はストレスを感じるが、追う方もいつまでたっても捕まらずイライラとする。

 母娘が家に帰らねば誰かが心配して探し出すだろう。そうなれば追いつめられるのは自分たちの方だとわかっている。最初は衝動的に動いたが、今はある程度冷静になっている。母娘を捕まえて口裏を合わせなければ、人間に復讐などできずに同類に処分されることになる。

 そんなイライラとしているときに、森に人間が入ったことを察する。思わずニヤリと笑みを浮かべる。


「八つ当たりにはちょうどいい」

「一人くらい行方不明になったところで人間同士のやらかしと判断するだろうさ」

「憂さ晴らしに役立ってもらおう」

「しかし全員で行くわけにはいかないだろう。ここを空ければあいつらが里に帰る」


 などと話して二人の妖怪が残り、三人の妖怪が人間を捕まえてここに連れてきていたぶろうということになる。

 森の上空でこの会話を聞いてた将義はこの妖怪たちの処理を決めた。だがすぐに実行することなくもうしばらく静かにする。

 妖怪たちは母娘から人間にターゲットを変えて、気配のもとへと向かう。

 この状況の変化に穂波も気づく。


「やつらの気がそれた。なぜだ。それるだけのなにかがあったはず。放置はしてはいけない気がするね。香稲、動くよ」

「う、うん」


 穂波は香稲に支えてもらいながらできるだけ急ぐ。

 

 森に入った力人はまっすぐに進む。その力人に琴莉と大助は追いついた。


「止まりなさい! ここにいる人たちを刺激するだけよ!」

「でも香稲さんが」

「その香稲さんにも余計な負担を与えるだけでしょうが!」


 一度出るわよと声をかけて、渋る力人の腕を取って歩き出す。思った以上に強い力で掴まれ、力人は振りほどける気がしなかった。

 少し歩いて、琴莉は焦った表情で振り返る。


「どうした静川」


 大助が声をかける。以前見たことのある仕事用の表情を浮かべているためもしやと警戒する。


「二人で逃げてって、もう来た!」


 戦意を発する複数の妖力がすぐそこまで迫っていた。裸眼でも木々の向こうから接近する影が見えた。

 琴莉は久那賀を抜いて、警戒する。


「いきなりなんで刃物抜いたんだよっ」


 戸惑うしかない力人の肩を大助が掴んで下がらせる。自分も含めて邪魔にしかならないと判断したのだ。

 すぐに人外が姿を見せる。虎を思わせる大きさの猫、犬の特徴を持った人型妖怪、鳥の翼と足を持った人型妖怪だ。

 敵意が伝わってきて、無駄かもとは思いつつも琴莉は声をかける。


「なんの用事かしら? あなたたちの縄張りに入ったことを怒っているなら謝るわ。すぐにでていくから見逃してくれない?」

「見逃すと思うてか」

「なあに退屈はさせん」

「その表情と敵意がなければ安心できたのだけどねっ」


 殴りかかってきた鳥の妖怪の攻撃を下がって避ける。


「見習いが三人の妖怪を相手できるわけないでしょ! せめて一人ずつきなさい!」

「だったら向こうの二人も巻き込めばよいではないか。一対一が成立するぞ」

「わかって言ってるでしょ! あっちは素人よ!」

「くかかっ当然っ」


 琴莉はなんとか二対一に持ち込むことはできたが、フリーになった犬の妖怪が力人へと迫る。

 動けない力人の前に大助がかばうため出る。一般人がでたところでなにかできることはなく、犬の妖怪に殴り倒されて地面に倒れ伏す。

 生まれた初めて向けられた殺意ともいえる戦意に力人は悲鳴を上げて逃げ出す。


「一人になったら危ないわよ!」


 妖怪たちに足止めされて動けない琴莉がかけた声も届かず力人は森の奥へと走っていく。それを犬の妖怪が追って行った。

 走る力人は背後から迫る音に逃げるように足を動かし続ける。


「なんなんだ!? なんだなんだよっあれは!? うわぁっ!?」


 犬の妖怪はいつでも追いつけるが、怖がらせるためわざと速度を落として、たまに攻撃をかすらせる。

 全速力がそう長く続くわけもなく、体力が尽きて転んだところで、犬の妖怪も止まる。


「たいして面白くもなかったな。楽しめたのは悲鳴くらいか。さっさと殺すか」


 妖力を拳に込めて振りかざす。力人は怯えた表情で見上げるしかできないでいた。

 そこに妖力が込められた大きめの石が飛んでくる。それを犬の妖怪は手で軽く払う。


「ここは任せて早く逃げてくださいっ」


 聞き覚えのある声だとそちらを見ると、狐の耳と尾を生やした香稲と穂波がいた。


「え?」

「なにやってんだい。さっさと逃げないと脅しとかじゃなく本当に死ぬよ」


 困惑で固まっている力人に穂波が邪魔だと告げる。二人がかりでようやく犬の妖怪を抑えられるのだ。力人を守る余裕はない。


「香稲っしゃがみなさいっ。すぐ立って体当たり!」


 勢いよく接近し殴りかかってきた相手の攻撃を、香稲はしゃがんで避ける。母の勘を信じているからこそ、迷いなく従うことができる。体当たりして犬の妖怪を下がらせる。


「その勘の良さは厄介だな」

「取り柄だもの。役に立ってもらわなくちゃ困るわ」

「だが、これはどうだ」


 穂波と香稲に向けたものが対処されるなら、力人へと攻撃を行う。

 香稲は穂波を信じているから先ほどの指示が成り立つ。しかし状況についていけない力人に穂波が声をかけても、動くことも信じることも無理だ。


「ちっ」


 舌打ちしして穂波は痛む足を無理やり動かして、力人に体当たりする形で攻撃を回避させる。


「邪魔だよ。さっさとどこかに行きな」


 睨みつけながら穂波は力人に言い、力人は怯えその場からのろのろと逃げ出す。

 それを見て小さく安堵の溜息を吐き、穂波はその場を転がり、犬の妖怪の攻撃を避けた。ズキズキとさらなる痛みを発しだした足に顔が歪む。


「あとはあんたから逃げるだけなんだけどね」

「ようやくお前たちを捉えたのだからそう簡単に逃がしはせんよ」

「だろうね」


 さてどうしようかと心の中で呟く。どうにかできる策などなかった。今できることといえば母娘ともどもこれ以上怪我しないよう避け続けることだけだった。

 それもいつまでも可能かわからない。自身は怪我で動きが鈍く、香稲は荒事になれておらず精神的な疲労がすでに限界に近づいているのだ。

 それでも一応希望はあった。勘がなんとかなると告げ続けているのだ。この状況からどうやれば無事に終わるのか、穂波は偶然久宝が散歩に出てくるくらいしか思いつかなかった。

 耐久戦が始まり、それは五分ほどで終わりの兆しを見せた。


「あうっ」


 犬の妖怪に肩を殴られた香稲が地面に倒れる。

 穂波に指示に従って動いていた香稲の動きが鈍って、攻撃を避けそこなったのだ。


「香稲っ」


 こうなるとは予想できていた穂波は、香稲をかばえるように位置に移動し立つ。無理に動き続けて、足の痛みがさらに激しくなっていた。


「ようやく鬼ごっこも終わりだな。なに心配いらん。人間と違い。お前たちを殺す気はない。せいぜい俺らの言うことに従うまで痛めつけるだけだ」

「はんっ心配することしかないじゃないか」

「支えであるお前を痛めつければ娘の心も折れるだろう」


 穂波を殴ろうとした犬の妖怪に石が飛んでくる。なんの変哲のない石で払うまでもない。当たったところで怪我一つしない。

 その場にいた者たちが石の飛んできた先を見ると、いまだ恐怖の表情を浮かべた力人がもう一度石を投げるところだった。


「なんで戻ってきたんだい!?」

「か、かかか香稲さんを助けるんだ!」

「それは勇気じゃなくて蛮勇って言うんだよ! 今からでも遅くない、早く逃げな!」

「戻ってきたことだけは褒めてやる。それを誇りに死ぬがいい」


 犬の妖怪がいっきに迫り、殺気を込めた拳が振りかぶられる。

 それを見て力人は「ああ、ここで死ぬんだな」と他人事のように感じて、自身を殺す拳を見続けた。


「逃げたときはこりゃ駄目だなって思ったけど、戻ってきたから及第点か?」


 突然現れた将義によって、凶悪な拳は簡単に止められる。


「へ?」

「あんたは朝の」


 それぞれから驚愕の視線を注がれる中、将義は犬の妖怪に魔法を使う。


「『隠蔽』『圧縮』」


 犬の妖怪は悲鳴すら残せず、どう殺されたのかも理解できないまま、ゴルフボールよりも小さな肉の塊となって地面に落ちる。それを将義は踏み潰した。

 あっさりとした危機の終わりに、しんっと静まり返る。


「マサ、なんでここにってか、今なにをしたんだ?」

「魔法を使ったんだよ。お前を追ってきて、すぐに助けられたけど、そうしなかった。それは真実を知って、それでも恋愛感情を保てるかって思ったからだ」

「いや魔法って」

「妖怪殺すのに使ったろ。自然にあんなふうに縮みはしないよ。もう一度使ってみせようか」


 そう言い将義は穂波に近づく。


「こ、殺すな!」


 力人は将義の服を掴む。もう一度使うと聞いて、殺すと思ったのだ。将義が簡単に殺すという言葉を使ったことに驚いているが、穂波たちを殺させるかという思いが強かったおかげで止めることができた。

 殺されると思ったのは穂波たちも同じだった。


「殺しゃしないよ。あれを殺したのはお前を殺そうとしたからだ。この人たちは助けようとした側だろう。『隠蔽』『範囲』『治癒』」


 服を掴まれたまま将義は治癒魔法を穂波と香稲に使う。

 二人は痛みがすぐに引いたことで、思わず怪我していたところに触れて、何事もないことに驚きの表情を浮かべた。怪我をする前となんら変わらなかった。穂波などは無理しすぎてなんらかの障害が残るかもと思っていた足が完治したことに声もでない。

 驚きの表情のまま穂波は礼を言う。


「礼を言うわ。でもこんなことができるほどの霊力を感じなかった、というか今も感じないのだけど」

「隠してるから」

「……もしかして一昨日の侵入者?」


 確信を持っての問いかけではないが、あの人物ならばできるのではと思ったのだ。


「当たり。それで力人」

「なんだ?」


 視線を向けられて怯えたように一歩後ずさる。魔法を使ったことも、簡単に殺したことも、自分の知る将義と全く違い、本人かどうかすらわからない。

 予想していた反応なため、溜息一つですませて続きを話す。


「まだ恋愛がどうとか言うつもりなのか? お前が知らない世界があり、そこは簡単に命を落とすこともある。それでもすべてを捨てて恋愛を取るのか? 恋愛が成就するともかぎらないのに?」

「お、俺は成就させてみせるっ」


 そう言い切った力人に深い考えはない。助けられてかばわれて逃げたとき、このまま逃げていいのかと自問し、嫌だという感情が湧いた。それに動かされるまま動いて今こうしている。理屈ではなく、感情での返答で本心からのものだった。


「なにも考えてない馬鹿な返答。その自覚ある?」

「あるさっ。朝から悩んで、さらにいろいろとわからないことがあって、考えることはもう嫌だ! 頭が痛いし、考えたところでなにも答えはでない。心の発した答えをそのままに言って何が悪い!」


 やや喧嘩腰ともいえる返答に、将義は呆れた視線でありながら口元は面白そうに笑みを浮かべていた。


「ついさっきまで怖がってたくせに喧嘩腰とは。その返答は家族や人の生活を捨てるって判断でいいんだな?」

「知るか! 答えなんかでねえよ!」

「だろうな。捨てるって答えたら、本当に捨てさせたけど。悩みに悩んでその返答だし、ちょっと力添えしようかね」

「なにをするんだい?」


 静かに二人の会話を聞いていた穂波が聞く。


「そんなに世話するつもりもないし、幻をかぶせて妖怪のように周囲に思わせる。それなら香稲さんに会いに通っても隠れ里の妖怪を刺激しないだろうさ。たぶんね」

「霊力や匂いは誤魔化せられないだろう」

「そう?」


 将義は魔法を使い、力人を幻で覆う。見た目は穂波や香稲と同種で、弱いが妖力も感じさせ、匂いも人間のものと違うようになった。

 魔法を使われたと知らなければ、穂波たちも完全に妖怪だと判断するだろう。

 穂波と香稲は目を丸くして力人の変化を見ている。

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