第35話 淫魔と分身のバイト 6

「あの程度の頼み、手を煩わせるというほどのことじゃない。だから怒るな」

「申し訳ありません」


 パゼルーはしゅんと肩を落として落ち込む様子を見せる。


「マーナもあまり刺激するな。こいつはやると言ったら本当にやるぞ」


 認めたくないがパゼルーの忠誠心は本物だと将義も理解している。だから将義の不利益に繋がるなら、不興を買ってでも対処に動く。それも理解しているのだ。


「はーい」

「んで、方法だが二つある。一つはこれを速度用に調整して与える」


 影からフィソスにも与えたことのある欠片を取り出す。

 なんでもないかのように取り出し与えるといえる将義に、その価値を知るパゼルーはますます敬意を深める。

 マーナもどういったものか予想はつき、本当なのかと驚きの視線を向ける。


「自分に使わないで、私にくれるの? それすっごいものだよ?」

「これは俺の力を増すことには使えない。もとは俺の力だ。使ったところで消費した力が回復するだけだ。余った力を日々溜めて凝縮させたものだからな」

「……人間が作れるってのが信じられないんだけど、目の前にあるのよねぇ。つくづく規格外の主をもったもんだわ。ちなみにどれくらいあるの?」

「さあ? 数えたことはないけど、こうやって気軽に渡せる程度には倉庫に転がっている」

「もしかしてフィソスにもあげた? 年齢に見合わぬ妖力を持ってたわよね、あの子」

「試練を二つ課して、それを乗り越えた褒美に」


 どのような試練なのか聞いてきたパゼルーに、将義は内容を話す。マーナも興味をひかれたようで自分も同じ試練を乗り越えたら、欠片をもらえるのか尋ねる。自衛のためにも少しくらいは地力を上げたかった。


「やるとしたら百体組手だけだぞ。自分の影との戦いはフィソスが自分になにができるかわかっていなかったからやっただけで、マーナには意味がないし」

「一つもらえるだけでもありがたいから挑戦する」

「主、私も挑戦してよろしいでしょうか。欠片はいりません。日々のトレーニングとして使用したいのです」

「好きにすればいい。突破すれば欠片もやる」


 パゼルーを好きではないが、努力を認めず評価しないというのもどうかと思い、突破すれば渡すことにする。

 パゼルーは嬉しそうに一礼し、将義はそちらを見ない。

 考えがまとまり話を聞いていた未子は、そんな将義を噂に聞くツンデレというやつかなと心の中だけで思う。


「話がそれてたけど、もう一つの方法は?」

「唐谷さんに渡した鍵を作る。会社近くとここを繋いで行き来できれば時間はかからないだろ」

「それいいね。そっちでお願いしたいわ」

「だったら一度その会社近くまで行く必要がある。パゼルー、記憶を見るぞ」

「どうぞ」


 会社の位置確認のためパゼルーの記憶を覗き、位置を把握する。


「マーナ、あとで一緒に現地の移動するよ」

「わかった」


 話が一段落ついたと判断し、未子が口を開く。


「私からも九ヶ峰さんにお願いがあるんだけどいいかな」

「話を聞いてから引き受けるかどうか決める」

「うん。今やってるイベントが終わったら、立食式で慰労会が開かれるんだ。そこにお父さんも参加するんだけど、大内幸次って人も来るかもしれない。そこでもなにかやらかさないか心配だから一緒に参加してほしいなって」


 将義はめんどうだと思ったが、すぐに父親も参加するかもしれないと考える。ついでに大内幸次のことも少し気になった。だから頷いた。

 将義の浮かべた表情で駄目かなと思っていた未子は驚いた。


「ほんと!? ありがとう」

「でも理由はどうするんだよ。俺にしても弥生にしても参加理由はないぞ」

「どうしよっか……お礼ってことでどうかな。助けてもらったのは事実だし、お礼として食事に誘ったとか。詳しい事情は個人的なことだから話さないってことで」

「俺が美味しいもの食べたいって言って、ちょうどいいタイミングで慰労会があったから誘ったって感じか。ちょっと苦しいかもしれないけど」

「人がそれなりに参加するだろうし、気にされないはず」

「あと俺は正装持ってないよ。制服ですむし」

「それでしたら私が準備しております」


 いつか必要になるかもしれないとパゼルーが準備していたのだ。現代の情報を調査したうえで用意したものなので、まっとうなスーツだ。

 少々お待ちをと言ってパゼルーが建設途中の屋敷に向かう。


「……使わないであろうものをなんでも準備するなあいつは」

「主人に恥をかかせないため、できるだけのことはしてるんじゃないかな。もう少しおとなしかったら従者として上々だと思う」

「そもそも従者を必要とはしてないけどな」

「なんというかパゼルーに対して辛辣よね。なにかしでかしたの?」


 事情を知らないマーナに未子が説明し、それは無理もないとマーナも納得する。


「そういえば慰労会とやらには、そのままの姿で参加するの?」

「顔だけ変えるつもり。テレビだか雑誌だかでてきとーに顔を選ぶさ」


 そう言ってテーブルに置かれている雑誌を手に取って、ぱらぱらとめくってこれでいいやと自身と似た年齢の男を指差す。

 未子はあとで父親に変装用の顔を見せておくと言って、ページ上部を折る。

 戻ってきたパゼルーがオートクチュールのスーツ上下一式を見せる。色はチョコレートブラウン。シルクのシャツ、深みのある赤のネクタイ、黒の革靴。それらを見て全員が高価な物だと思う。


「無駄に金かけてんな」


 自身のために用意されていたそれを見て、将義は呆れたという感想を漏らす。


「主が使うのですから最上のものを準備しなければなりません。決して無駄ではありませんよ」

「使うかどうかもわからないものに金をかねるのは無駄だと思うけどな」

「こうして使う機会が巡ってきたのですから、準備しておいてよかったと思っております」


 パゼルーは胸を張って言う。実際に必要になった現状ではパゼルーの方が正しいのだろう。

 本番前に試しに着て、微調整を行うということで将義は土で衝立を作りささっと着替えたが、ネクタイのつけ方はわからない。これまで一度もネクタイをしたことがないのだ。


「これどうすりゃいいんだ」


 将義としてはできるなら未子かマーナにやってもらいたかったが二人ともわからないので、事前に学んでおいたパゼルーが失礼しますと言ってセミウィンザーノットで結ぶ。

 次からは世話にならないよう魔法を使ってやり方を多方面から見て覚える。

 

「苦しくはありませんか」

「ない」

「もう少しお待ちください」


 世話できることが嬉しそうにパゼルーは櫛を手に髪を整える。

 将義はそのまま立たされ、女三人でチェックしておかしなところがないか探す。

 スーツを着こなしているとはいえないが、スーツの格に負けていることもない。もう少し外見年齢を重ねると違和感を感じさせることがなくなるだろう。


「手直しがまったく必要ないのはすごいよ」


 店に服を作ってもらったことのある未子は、寸法を測るところから仮縫いや仕上げなど何度か呼ばれたことがある。そういった手間をまったくかけずにぴったりのものが出来上がったことに驚いている。


「どこで作ってもらったの?」

「天使が趣味でやっている店を聞いたことがあったので、そこに注文を」


 服作りにはまった天使たちがこっそりとやっている店が外国にあるのだ。知る人ぞ知るという店で、通常は注文しても完成は数ヶ月先になるが、世話になった母神が注文したことを知り口添えしたことで完成が早くなった。


「そんな店があるんだ」

「私も初めて聞いた」


 女三人が話している間に将義はさっさと着替え、スーツを返す。パゼルーは受け取ったスーツを屋敷へと持って帰っていった。


「マーナ、会社を見に行くぞ」

「あ、うん」

「私もついてく。暇だし」


 未子も連れて、鍛錬空間から出て、隠蔽魔法で身を隠す。空を飛べない未子と空を飛べても速度はそれほどではないマーナと手を繋いで上空に移動する。そこから西へと飛ぶ。

 かなりの速度と高度だったが、将義が一緒なら大丈夫だと未子は怖がることなく眼下の光景を楽しむ。マーナは空を飛べるので落ちる心配すらせず、手を引かれるまま移動している。

 パゼルーの記憶で見た光景に従い、会社の近くに着地する。五階建てのビルがあり、そこの三階に妖怪など専門の派遣会社がある。窓や壁に目立った看板はないが、妖怪の気配がそこから感じられた。

 鍛錬空間からの出現地点を決めるため周辺を少し歩き、ビルの屋上でいいだろうということになる。


「挨拶っていうか、所属登録に今から行く? それとも明日くらいに一人で行く?」

「一緒にお願い。強引なところだと困るし」

「あいよ」


 三人は屋上から三階に降りて、篠目派遣と表札のある扉を開く。

 二人いた妖怪のうち一人が奥の机から、入口へと歩いてきて声をかけてくる。見た目は三十歳ほどの男で、感じられる妖力から動物系統の妖怪だとわかる。


「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか」

「ここは妖怪とかに仕事を紹介する場所で間違いないよね?」


 確認のため将義が聞くと、男は頷く。


「こっちの女がバイトを探しているんだ。ここがどういったところか説明をお願いしたい」

「承知しました。こちらへどうぞ」


 応接用のコーナーに移動し、対面するようにソファーに座る。


「説明を始めさせていただきます。ここはあなた方が知るように人外に仕事を紹介するところです。神、天使、悪魔、妖怪などが所属していますね。紹介する仕事は一日で終わるものから一定期間行うものまで。その存在にあった方面で紹介させていただいていますよ。おそらくあなたはサキュバスですね? でしたらキャバクラやクラブはいかがでしょうか。天職といって差し支えなく、また収入も多い。ぜひぜひお勧めしたいところです」

「あ、そっちはなしでお願いします」


 マーナが断り、男は少し固まる。


「え? 断るのですか? 力の補充もできますし、収入も多いです。これをやらずになにをやるというくらいの職です」

「そっち方面は苦手なので」

「失礼ですが、サキュバスではなかったり?」

「サキュバスです」

「だったらこれをやるべきです。なんといっても収入が多い。そして上位の人気を得て、うちにたくさんの仲介料をっ」


 力説する男の頭部にプラスチック製のカップが飛んできた。コーンといい音をさせてカップが当たり、男が止まる。


「はい、そこまで」


 奥にいたもう一人の妖怪が近づいてくる。男と同じく三十歳ほどの女で、感じる力だけではどのような妖怪かはわからない。


「こめんなさいね。こいつお金が大好きで、儲けることができそうになると強引になるのよ。うちは説明したようにその存在にあった職を紹介するけれど、無理に働かせるつもりもないから」


 女は交代だと男を立たせて、奥へとおいやる。気心が知れる間柄なのか、軽く蹴っておいやっていた。


「では改めて。篠目派遣へようこそ。どのような職を求めているかお聞きしても?」

「まだまだ現代日本の常識が完全じゃないから、単純作業が望ましいです。昨日やったイベントの会場設営は楽だったわ」

「あら、すでに働いた経験があるのですね」

「この子の紹介で一日だけね」


 女は未子に視線を向けて、未子はぺこりと頭を下げた。


「戸籍を持たない妖怪などは、ここのような場所以外の紹介で働くのは難しいのですが、そこらへんどうしたのかお聞きしても?」

「お父さんが会社経営してますから、そのツテです、必要書類は細工して誤魔化したとだけ聞いてます」


 ガタンと奥で音がする。そちらを見ると男が立ち上がっていた。


「新たなコネが向こうから来たー!」

「はしゃぐんじゃないの。恥ずかしいでしょ。でもあれの言うこともわかるのです。働き口が増えるのはこちらとしてはありがたいですから。お父様に挨拶の手紙を出したいのですが、渡していただけませんか? もちろんまずは話し合いです。いきなり職をくれと強引に迫ることはありません。まずはここがどういったところか、どういったことができるのか、雇用条件など話し合ってからになります」

「渡すだけなら。お父さんが受けるかどうかはわかりませんよ」

「ええ、わかってます。ありがとうございます。それでは話を戻しましょうか。こちらの書類に働く方の情報を書き込んでください」


 履歴書に近い書類を渡されたマーナは書き込んでいくが、すぐに問題が発覚する。

 マーナのかける文字は日本語もいけたが、古い書き方だった。


「現代日本の常識が完全ではないと言っていましたが、どこぞの隠れ里にずっといました?」

「ちょっとやらかして百五十年以上封印されてて」


 あーそれで、と女は書かれた文字に納得する。封印されていたことには特に思うところはない。悪戯して封印された妖怪などがいて珍しくないのだ。


「私は読めるんですが、こういった書類は現代のものの方が助かりますので」

「じゃあ、俺が代筆を」

「おねがい」


 マーナは将義にペンを渡し、新たな書類が女から将義に渡される。

 さらさらと書き込まれていく情報を見て女は、マーナには本人の望むように日雇いの力仕事を勧めようかと考える。折を見て資格の勉強を勧めてやれることを増やせればと頭の中で計画を立てていった。

 女は完成した書類を見て、必要事項の書き損ねがないか確認する。


「お二人の関係が主と使い魔ですか。そういったご関係で?」

「たぶんだけど想像しているものとは違う。保護を頼まれたから一時的に主従となっただけで、常識とかお金とか問題なくなればマーナとの契約は解除する」

「そうでしたか。存在を維持するためにも肉体関係を持っているのかと」


 女の発言で光景を想像したのか未子が顔を赤くする。


「私そういうの苦手だから。他人がしているところにこっそり近づいて吸収したり、淫らな夢を見ている人間から吸収してたわ」

「直接どうこうできないのは大変そうですね。今もそんな感じで?」

「今は主から補給してもらえるから」

「してないと言ってませんでした?」

「魔力を直接もらえるの」


 女は目をぱちぱちと瞬かせ、将義を見る。


「ずいぶんとレアな技能を持ってますね。あなたもここに所属して、力に困ってる精霊とかに補給しません?」

「しません」

「すごく助かる技能なので、報酬は弾みますよ」

「しません」


 取り付く島もない様子に、これは無理だと女はさっさと諦めた。


「マーナさんは携帯を持っていないので、こちらから有料で貸し出すことができますが、どうしますか。できるのは連絡を取ることのみです。貸し出しを断られた場合は、毎回こちらに来てもらって、仕事の予定日を話し合うことになります」


 どうしようかとマーナは将義を見て、首を横に振られる。住んでる場所が場所なので電波が届かないのだ。

 携帯電話が使えない場所に住んでいるからという理由に女は納得する。


「では今から仕事の予定を決めます? それとも今日は登録だけで終わりますか」

「どういったものがあるか聞けますか」


 そう聞くマーナに頷き、女はノートパソコンをとってきて、短期と単純作業という条件で範囲を絞り、出てきた一覧をマーナに見せる。

 仕事はテナント内の棚の移動といった内装に関したこと、公園掃除、講演会の椅子並べといったものがあった。

 マーナは公園掃除を選ぶ。朝にここに集合で現地まで車移動、準備するものは軍手というわかりやすい条件だった。 


「公園掃除。明後日から三日間。午前八時にここに集合。登録しますよ?」


 最終確認にマーナは頷く。

 女はパソコンを操作し、登録作業を終わらせる。


「はい、終了です。給金の受け取りは最終日にここで行います。税金などはこちらで処理しますから、気にしないでください」

「うん、そういったところはまだ知らないし、そっちにおまかせするわ」

「お任せください。ではお渡しする手紙を作りたいので少しばかりお待ちくださると助かります」

「どれくらい時間がかかる? ここらへん散歩でもして時間を潰そうかと思うけど」


 将義の質問に女はにこやかに答える。


「企業へ説明するための雛形がありますから、そう時間はかかりませんね。三十分もいただければできあがります」

「じゃあそれを目安に戻ってきます」


 将義たちが出ていき、女はノートパソコンを持って机に戻る。

 さっそく作業を始めた女に男が話しかける。


「サキュバスが掃除ってもったいないよな」

「そうね。でも性格的にできないのは仕方ないわよ。客を楽しませる仕事を無理にやらせても問題を起こしかねないし」

「そうなんだけどさ。よく生き残れたよな」

「そこは運がよかったとかじゃないかしら。いえ封印されてたって言ってたし、運じゃなくてそのせいかしら? 私としては主の方の力が使えないのが」


 作業する手を止めずに女は溜息を吐く。


「あー、便利だもんな。おそらく吸血鬼といった連中にも有効だろうし、穏便にことをすませるのに向いてそうなんだよな」

「ほんとにね。あの年齢なら高収入につられると思ったけど、まったく効果なかった。あの力のせいで嫌なことでもあったのでしょうね。それで力を広める気がないと」


 勘違いの予想だが、将義の考え方として方向性がずれていない。

 二人は今日知ったことを話さないことに決めている。互いにそう話し合うことすらせずに同じように思っていた。人外として生きてきて、力のせいで起きた厄介事にいくらか心当たりがあるのだ。巻き込まれたくないし、隠していることをばらすような性格でもない。


「まあ、こうして新たなコネ獲得できるかもっていう収穫はあったし、それでよしとしましょ」

「だな。陰陽寮のトップが変わってやりやすくなったし、運が向いてきたのかね?」

「だといいわね」

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