第32話 淫魔と分身のバイト 3
分身は強値で表すと二十五程度だった。天使や妖怪の平均値を超えるくらいで、マーナの全盛期よりも少し上だ。将義本人は休めば魔力が回復するが、こちらはそういったことはない。魔力を使えば使うほど消耗していく。といっても日常生活での力仕事程度ならばほぼ消耗しない。魔力が小さいため、将義本人ほど幅広く魔法が使えない。
ほかには飲食の必要がなく、睡眠やトイレも行く必要がない。独自に動くときの思考や趣味などは本人と寸分違わない。
魔力に関してはパゼルーの分霊などは自力で回復可能なのだが、分身として意識して作った魔法なのでそこらへんはオミットされている。
調べてわかることはこのくらいだった。
(こっちでバイトに行くなら、隠蔽の魔法とかの効力や精度が低くなるかもしれないし、あらかじめ本体で使っておいた方がいいかな。近所の人が同じバイトに来てる可能性もあるかもしれないから変装もしといた方がいいか)
ついでに力の欠片を持たせることにして、万が一の事態にも備える。
以前、未子の入院していた病院にやった変装セットを使い、見た目を変えて準備を終える。
(そういや、分身ができたことでフィソスの役割必要なくなったな。自分が動けないときのため、手が足りないときのための使い魔だったし。フィソスの家族がこっちに滞在できなくなったら使い魔契約を解くこと提案するか。力はあるし一人でも生きていけるだろうし)
義務などではなく将義を慕っているフィソスが聞いたら怒り悲しむようなことを考えている将義に、未子が不思議そうに話しかける。
「なんでその姿にしたの?」
二ヶ月ぶりくらいに見た変装姿に未子は首を傾げた。
「近所の人が同じバイトに来てたら、学校サボったと思われるだろ。本人は学校行っているのに親に話されると困る」
「あ、そうだね。名前はなんていうの? 書類作るときに必要だと思うし教えてほしい」
将義は少し考えて思いついたことを口に出す。
「弥生でいいんじゃないか? 初めてこの姿に変装したのが三月で、そのときに生まれたってことで。姓は遠山。遠山弥生。ついでだし、マーナの方も遠山マーナか遠山マナでいいんじゃないか」
「姓の方はなにか意味ある?」
「俺が九ヶ峰。もう一人の自分ってことで、一足して十。峰に関係ありそうなものをくっつけて山。あわせて十山。これだと珍しい姓で、身元が分かりやすいだろうから変換して遠くの山で遠山」
深く考えずに思いついたことを話し、未子はほうほうと頷く。
「それで二人分の書類作ってもらうよ」
「はいはい。それでどこにいつ集合で、どれくらい拘束されて、必要なものは?」
「えっとね」
父親から聞いたことを話していく。
汚れても平気な衣服ということで、弥生には無地の赤Tシャツとジーパン。マーナには中学校時代に使っていたジャージ上下を使わせることにする。
昼食は未子が用意するということで持っていく必要がなく、あとは軍手タオルなどだ。
話が終わり、将義は分身を眠らせ 土でベッドを作り、倉庫から布を取り出してベッドに敷いて、分身を置く。時限式の隠蔽魔法をそのベッド側に二つ置いて準備は終わりだ。
「朝になったらマーナと一緒に行動するようにしてあるから。あとこの隠蔽魔法に触れておいて。妖魔としての気配を隠すためのものだから」
「わかった」
「んじゃ帰る」
ばいばいという未子の声を聞きながら将義は家に帰る。
未子はもう少しここに残り、マーナとファッション雑誌を見ながら話す。久々の友達との会話に近いことができた楽しい夜だった。マーナも現代のファッションが学べて、会話も楽しんだ夜だった。
未子が帰ったあと、布団を持ったパゼルーが現れる。分身といえども将義であり、もっと良い状態で寝かせようと考えたのだった。
朝になり、空中に浮かんで眠っていたマーナは誰かに軽く揺すられて起きる。
目を開けると服を着替えた弥生に肩を掴まれていた。
「そろそろ出るよ。あれに着替えて」
テーブルの上に置かれた黒のジャージ上下を指差す。
地面に降りたマーナは、着ているものを脱いでジャージを着る。
テーブルには鏡から出された飲み物もあり、それを腹に入れて二人は鍛錬空間から出る。
九ヶ峰家近くに出て、そこから移動する。未子から聞いた場所は徒歩で行くには少し遠かった。だが二人の足なら問題なく、隠蔽の魔法が効いていることもあり、屋根から屋根へと移動して目的地に向かった。
集合時間前に目的地であるグラウンドに到着する。普段は少年野球などに使われる場所で、現状はいくつかの会社が貸し切って数日間の物産展と祭り会場として使われる。ここら一帯では一番大きなグラウンドで学校のグラウンドなど比較にならない。
当日使うステージは大まかに完成していて、あとは音響機器などを入れるだけだ。
日雇い担当の社員が一足先に作った本部にいると聞いていたので、二人はそこに向かい、ほかの日雇いらしき者たちが並ぶ列の最後尾に移動する。
順番が来るのを待っていた弥生は視線を感じ、周囲を見る。それで見られているのはマーナだと察する。
そのマーナを見ると落ち着いた様子だった。
(変わりものでもさすがサキュバスってところか)
妖魔としての力は隠しているが、容姿は隠しているわけではないし、色気も隠しきれていないのだろう。見られることに慣れた様子で、気にしていない。
「ん、どうかした?」
「注目集めてるなって」
「まあ、仕方ないでしょ。気にしない気にしない。昔からそうだったし。押しかけてくるなら嫌だけど、見られる程度なら問題ないわ」
「さすがにナンパは嫌だったか」
「平気ならもっと別の生き方してる」
平気ならばサキュバスとしてまともな生き方をできていて、日本まで流れてくるようなことはなかっただろう。
正統なサキュバスな自分はどんな感じなのか、そう考えているうちに順番が回ってきた。
係の男がマーナに見惚れながら、書類の提出を求めようとして何かに気付く。
「確認なのですが遠山姉妹で間違いないでしょうか」
「それであってる」
弥生の返答に男は頷いて、手持ちの出席表にチェックを入れる。
「こちらの本部テント内で仕事が始まるまで待っていてください。お客様がお見えになると聞いています」
「客……ああ、わかりました」
おそらく未子だろうと推測し、弥生はマーナとテントに入る。
そこでもマーナはスーツや作業着の男たちの注目を集めていた。やはりそれを気にせず、暇だった弥生と一緒にパンフレットを見ていた。
ステージを使うものは、ヒーローショーや歌手コンサートや太鼓コンサートなどが予定されている。屋台は地元住民が行うのではなく、各会社の取引している品を使ったものがでるらしい。そちらもバイトを雇って調理を行うことになっていると周囲から聞こえてきた。
弥生はパンフレットを最後まで見て、協賛の部分で目を止める。そこには父親の会社の名前もあったのだ。
(うん。真面目にやろう)
もとより手を抜くつもりはなかったが、父関連だとわかるとさらに気合が入る。
そうしているうちに見知った気配が感じられ、そちらを見ると四十歳手前の男の隣を歩く未子の姿があった。
見られていると気づいた未子が手を振ったあと手招きしてくる。それに弥生は軽く振り返し、パンフレットを置いてマーナとテントを出る。
「おはよー」
「はいはい、おはよ」「おはよう」
にこやかな未子に挨拶を返すと、未子の隣に立つ男が話しかけてくる。
「先日は未子が世話になった。私は唐谷正樹(まさき)。この子の父親だ」
「初めまして遠山弥生です」
「遠山マーナです」
未子から偽名や変装の件は聞いていたため、うんうんと正樹は頷く。
「話に聞いている。今回は忙しいところ、こっちの願いを聞いてもらって助かった。別の日に改めてお礼をしたいね」
変装した分身ではなく、本人と顔を合わせて話してみたかったのだ。
そんな正樹に対して弥生はそうですかと気のない返事をしていた。
そこにバイトは集まるようにとアナウンスが聞こえてくる。
「呼ばれていますので、もう行きます」
「ああ」
「九ヶじゃなかった、弥生さん。お昼になったらテントに来てね。お弁当あるから一緒に食べよう」
「あいあい」
了承したと片手を振って弥生は歩きだし、マーナは二人に一礼して弥生を追う。
五十人を超すバイトが集まった中には、男だけではなく女の姿もある。
男女問わずにマーナは注目を集め、ここではなくもっと向いたバイトがあるだろうという感想を持たれていた。
日雇い担当の正社員が拡声器を調整し、説明を始める。内容は二通り。給金のよい力仕事と並より少し上のセッティングといった雑務。力仕事は右へ、雑務は左へというものだった。詳細は分かれてからまたやるということで、バイトたちは指示された方へ動く。
そしてどよめきが湧いた。
どう見ても雑務と考えていたマーナが力仕事に動いたのだ。力仕事はマーナと弥生しか女がいない。
「そこの女性二人。そっちは力仕事ですよ」
思わず正社員が確認する。
「問題ありません。最初から力仕事を目的に来てますから」
弥生の返答に正社員は「でも」と渋る。その正社員にほかの正社員が話しかける。きついとわかった時点で雑務に移動させればいいと。だから今は説明を優先しようと。それに拡声器を持った正社員は頷く。
マーナの移動がなくなり、周囲の男たちのやる気が上がる。ここで親切にしたり、いいところを見せればもしかしてと考えたのだ。マーナは無理でも弥生ならばと考える者もいた。一方で女たちからは、ちやほやされることが目的だろうと冷たい視線を向けられた二人だった。
「では力仕事の説明を始めます。やることは簡単です。向こうにまとめてあるものを、指定された場所へ運んでください。重いものですから、誰かにぶつかると大怪我もあり得ます。できるだけ人のそばを通るときは注意するか、通りますと声をかけてください」
では開始と正社員が告げて、力仕事担当は動き出す。
その中の一部がマーナに話しかけて「困ったら力になりますよ」「無理はしないでくださいね」とアピールしていた。
「そのときはお願いしますね」
マーナのにこやかな社交辞令に話しかけた男たちのテンションが上がる。笑顔での返答をアピール成功と勘違いしたのだった。
テント資材がまとめて置かれている場所に着き、そこにいた正社員が次々と指示を出す。ここには雑務の女たちもいて、テントの支柱の束に番号の書かれたシールを急いで貼っている。
「え? 女性? 重いですよ?」
「大丈夫ですよ。ほら」
ここでもマーナたちは場違いではないかと思われた。言葉での説明よりも行動で示した方が早いと、マーナは近くにあった金属製の支柱の束を二つ両脇にヒョイッと抱える。ふらつくことなくまったく苦にした様子もなく小枝を持つかのようなマーナに、正社員は「あ、お願いします」と呆気にとられながら言う。
呆気にとられたのはほかの者たちもだ。男たちはもしかしたら自分よりも力が上かもと思い、女たちはまさか本当に力仕事目的だったとはと。女の中には嫌がらせの一つでもと考えていた者もいたが、マーナと弥生の筋力を見て接触することすら止めた。
マーナと弥生が去り、男たちは負けてなるものかと奮起する。同じように両脇に抱える者、抱えようとしてふらついて正社員に止められる者、素直に一つだけ運ぶ者と様々だった。
作業は順調に進む。マーナと弥生が疲れた様子なく、一定のペースで行き来するのにつられて男たちも頑張ったからだ。正社員的には嬉しいことだが、疲れた様子の男もちらほらといるため一度休憩を入れることにする。
「二十分の休憩です。ペットボトルのお茶を支給するので受け取ってください。トイレも今のうちにどうぞ」
『へーい』
ペースを崩された男たちの力ない返事に「さもあらん」と正社員は頷く。そして余裕のあるマーナと弥生に人は見た目じゃわからないなと内心頷いていた。
お茶を受け取った弥生たちは少し離れた場所にあるベンチに座る。
「働いてみてのとりあえずの感想は?」
「思った以上に楽よね」
怪我の心配をしなくてよくて、誰かとの面倒な交渉はなく、黙々とマーナ的に軽い荷物を運ぶだけでいいのだからそのような感想もでるというものだ。
弥生としても同意だった。
「今後もこういった仕事を中心に受けていこうかしら」
「そんな頻繁にイベントは開催されていないと思うよ」
「それは残念。今後も細かい作業よりも、こういったシンプルな方が助かるわ」
「いろいろと知識が足りてないだろうし、今はそうだろうね」
勉強が進めばまた違った意見がでてくるのだろうと思いつつ人の行き来を見ていると、父親の気配を感じそちらに視線を向ける。
そこには作業の進み具合を確認しにきた父親がいて、三十歳くらいの男となにか話していた。男は力を抑えているが能力者だ。悪魔の気配もかすかに男にまとわりついている。討伐したか、遭遇したのだろう。その男のそばには車椅子に座る七歳ほどの少女もいた。少女からはなにかの生贄になったような力の欠損を感じ取れた。
「なに見てるの?」
「能力者がいたからね。どうしてここにいるんだろうって思ったんだ」
「能力者? あ、たしかに小さいけど力が感じられる」
「術か道具で力を抑えるっぽいよ」
魔法を使えばわかるだろうがあの男に興味はないので、弥生は父親に変な手出しされないかの心配だけしている。
見守っているうちに休憩が終わり、二人は作業に戻る。
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