第28話 どこかの事件と淫魔 4

「俺は呪いを解かなくてもいい、かな。母さんは別の返答かもしれないけど」

「どうして?」


 期待を隠して将義は聞く。


「呪いを持ったまま生きてきた母さんたちが、俺の見たかぎりでは不幸を嘆いているように見えなかったから。このまま呪いを抱えていても、不幸になるのが決まっているとは思えないんだ。だから誰かに迷惑かかるなら解かなくて大丈夫、このまま抱えておこうって言うのはちょっとかっこつけかな」


 青臭さに少年は自分で自分を笑う。

 将義も青臭さに笑ったが、聞きたい答えでもあった。誰かを思える優しさは心地よいものだった。異世界では自分は最終的に切り捨てられる側で、切り捨てる人間の心情には飽き飽きしていたのだ。


「よし呪いを解こう」


 そう言う将義を少年は驚いて見返す。


「へ? いや解かなくて大丈夫て言ったよ? それに困る人が出るかもしれないって言ったじゃん」

「そこは俺がどうにかするさ。サキュバスが暴走するならさっさと倒すし、おとなしくするならこっちで保護する。君の答えが俺の気に入るものだったからやる気がでた」

「……呪いを解くって答えていたらどうしてた?」

「どう思って呪いを解くように言ってたかによって違ってくるけど、一応解いてたね。その後のフォローはなし。俺に迷惑がこないように細工してあとは放置」


 誰が不幸になってもいいから自分たちだけのために呪いを解いてほしいと少年が答えていたら、将義は彼らから出会っていた記憶を消してなにもせずに去っていた。


「解いてはくれるんだ」

「一応だけどね。その場合、おそらくだけどサキュバスは君らに縛られていたと思うよ。縁が繋がってるからね。空腹のサキュバスに襲われて命の危険もあったんじゃないかな」

「あっぶな!?」

「さすがに空腹ならリアルは無理とか言ってられないだろうしね」


 一家揃って腹上死かなと将義は笑い、少年は引きつった笑みとなる。エロに興味はあるが、死に繋がるようなエロは遠慮したい。

 将義はフィソスを抱いたまま席を立つ。


「今から石碑に行こう。ほら立って」

「ほんとに解くんだ」


 将義に促され少年も立ち上がり、一緒に家から出る。

 そこで将義は魔法を使って、腕を掴んだ少年と一緒に空を飛ぶ。


「うわぁ!? と、飛んでるっ」

「生身で飛ぶなんてそうそう体験できないし楽しむといいよー」

「いやいや怖いよ! それにこんな目立つことして大丈夫なのか!?」


 隠蔽の魔法を使っているから大丈夫だと将義は返し、軽く走る程度の速度で海へと飛ぶ。

 将義が腕を放さないかぎり大丈夫だともう一度説明され、少年は諦めたように静かになり眼下に見える風景を眺める。初めて見る生まれ育った地の風景を感慨深い様子で眺めているうちに海に到着し、石碑のある浅瀬に着地する。


「ちゃっちゃと解くよ。髪の毛一本ちょうだいな」

「これでいいのか」


 前髪を抜いて少年は将義に差し出す。

 それを受け取り、持ったまま魔法を使う。体の一部と一緒に魔法を使わないと、サキュバスとの縁も一緒に切れないのだ。


「『隠蔽』『解呪』」


 魔法が使用されると、石碑がいっきにぼろさを増し、小さな石の欠片が地面に落ちていく。

 少年はなんとなくなにか繋がっていたものが切れたような気がした。それは少年の母親も同じだ。

 そして石碑上部の風景に揺らぎが生まれ、一人の女が姿が見せる。

 二十歳手前くらいで、可愛らしい系の顔立ちだ。薄いピンクの長髪の間から小さな蝙蝠のような羽が生えている。フリルのついた水着のような服を着て、つるつるとした細く黒い尾も見える。

 見たまんまサキュバスだと少年が思っていると、そのサキュバスはふらふらと地面に落ちて、うつ伏せになる。


「お、お腹すい、たぁ」


 か細い声でそう伝えてくるサキュバス。


「襲いかかってくる元気もなかったか。生き残るだけで限界だったんだな。『隠蔽』『拘束』『補給』」


 将義はサキュバスの動きを縛り、力を与える。

 力を与えられたサキュバスは空腹が満たされるのを感じたかと思うと、いっきにそこを通り越すのも感じた。結果、将義たちの目の前にはむっちりというには無理のある太ったサキュバスの姿があった。

 サキュバスは元気を取り戻し立ち上がろうとして、体の重さに首を傾げる。自分の体を確認し、ぶよぶよした腹、だるんとした二の腕と太腿に顔を青褪め、恐る恐る顔に触れる。頬や顎にもたっぷりと肉がついている。

 それを見て、フィソスは太りすぎは駄目だなと学んだ。


「おおう。可愛かった姿がどこにもない」


 自身はデブ専ではなかったと自覚した少年の声がとどめになった。


「ギャーッ!? な、なんでどうしてこんなことに!? やっとあれの妄執から逃げられたと思ったら、今度は肥満に!? どうなってるのよぅ」


 妄執とはあの侍のことで、魂になっても封印の中で長くサキュバスを追い回していたのだ。封印が解かれた今は、限定された空間からでたことで自己を保てず世界に還っていった。

 半泣きのサキュバスに、将義が両手を合わせて「ごめんね☆」と軽い感じで謝る。


「力の加減がきかなくてやりすぎたわ。ちょっと回収するよ」


 魔法で力の吸収を行い、最初見たような体型に戻る。

 サキュバスは慌てて自身の体中を触り、標準に戻ったことに心底安堵した様子を見せる。

 そのサキュバスに将義は話しかける。


「封印を解いたわけだけど、今後どうする?」

「え? あ、そうよ! 封印が解けたんだった。空腹からの肥満でそんなこといっきに吹っ飛んでた」

「だろうね」


 無理もないと少年が頷く。


「え、ええと。動けない?」


 サキュバスはさっさと逃げ出そうと思ったのだがその場から飛び立てないことに気付く。顔や腕や胴は動くが、足はぴたりと地面に吸い付いたように動かない。これをなしているであろう張本人に視線を向ける。


「動きは拘束してる。それで返答は? それによってこっちもとる手段は変わってくる」

「どのような返答がベストだと思います?」


 確実に自分よりも格上だとわかる相手で、襲うことも逃げることも諦めて逆に問いかける。

 冷静に考えると、自分にあれだけの力を与えてケロリとしている相手と敵対はなかった。見た目人間だが、絶対人外だろうと思っている。


「最悪の返答は昔を懐かしんで力を求めることかな。地道にコツコツやるならまだ見逃せるけど、派手に動かれると少し困る」

「はいっ。力は求めませんっ。生きてるだけで満足です」


 将義を怖がっての返答ではあるが、それだけというわけでもない。以前は上手くいって調子にのってやりすぎて封印されたが、次は死ぬかもしれない。そう思うと再度力を求めようとは思えなかった。


「それなら解放でいいかな。世の中かわって、君にとって生きやすくなってるよ。やりすぎずこっそりやるなら十分生きてけるだろうさ」

「あ、動ける」


 本当に解放してくれたことを不思議そうにしながら少しだけ空中に浮く。

 このまま去ろうと思ったが、それでいいのかと思う。目の前の男たちの服装を見ても時代が流れているのはわかる。男は生きやすいとはいったが、いろいろとかわった世で生きていけるのだろうかと思った。


「あのー、厚かましいかもしれないんですけど、ちょっとお願いが」


 将義は視線で続きを促す。


「今の世の中のことを知ってから自由に生きたいと思うので、それまで配下にでもしてほしいなーって。強い人の下の方が安全でしょうし」


 駄目でしょうかと胸の前で両手を合わせて、わざとらしくも見える仕草で可愛らしく頼んでくる。


「話の流れによっては保護も考えてたけど、うちに来ても住むところは隠れ里っぽいところになるよ。安全だけど暇なところだ。それでいいなら」

「それでいいです! 安全第一で、その次に飢えないことですから!」


 先ほどの補給をやってもらえれば飢えることはない。安全と飢えの心配がないなら多少の住居性の悪さはプラスマイナスゼロだ。

 ちなみに飢えはしないのだが、味気無さはあった。あの補給に味はなく、必要最低限の栄養のみがある感じで、精神的な満足はないのだ。それを求めるなら自力で出歩いてどうにかするしかない。主となる将義にエロいことを頼む度胸は今のところなかった。


「じゃあ一時的に契約ね。名前は?」

「マルドフィーナ。マーナと呼んでください」

「あいよ」


 フィソスと結んだ使い魔契約を結び、マーナを使い魔にする。

 これによりマーナは絶対人外と思っていた将義が人間だと知る。信じられないような目で将義を見るマーナを、少年が不思議そうに見ていた。


「これで依頼は終わり、マーナが自由になったことで君らの運を代償にする必要もなくなっている」


 少年は首を傾げる。


「運がどうこうは実感ないんだけど」

「運なんてものを実感できる人はそうそういないと思うぞ」

「そりゃそっか。でもなんとなく、ほんと根拠はないけど呪いが消えたことはわかる。だから依頼終了でいいと思う」

「よかったよかった」

「じゃあ報酬だけど、これに関しては俺が勝手に決められるものじゃない。母さんも相場を知らないと思うし」


 やる気が出て、そう難しいことでもなかったので、報酬はなくてもいいと思った将義は喫茶店を何度か無料利用と言おうとして、隣に浮かぶマーナを見て思いつく。


「報酬だけど店長の古い服をわけてもらえる? マーナに着せる」


 フィソスのものももらいたかったが、サイズが合わないだろうとマーナのだけをもらう。


「母さんに聞かないとわからないけど、それでいいの?」

「服は助かりますけど、それが報酬でいいんですか?」


 少年とマーナがお金とかではなくていいのかと聞いてくる。


「古着を一式買うのも安くはないしね」


 ちょっと待って言い少年はスマートフォンで母親に連絡を入れる。

 それを見て不思議そうにしているマーナに、将義は遠くにいる人物と即座に連絡を取れる道具だと説明する。

 時代の流れを感じさせる道具を物珍しげに見るマーナは、やはり自由に行動しなくてよかったと思う。いろいろとわからないことが多くて、能力者的にアウトな事柄をしでかしてどこかで野垂れ死にしていたかもしれないと思ったのだ。

 電話に出た母親は呪いが解かれたということに納得する。予知夢を見るといったこともあり、能力者ほどではないがそちらへの感覚が鋭く、呪いが解けたと聞かされ素直に受け入れることができたのだ。

 報酬に関しても了承し、収納ボックスに入れてある物なら持っていいと伝えてくる。


「電話変わってくれって」


 差し出されたスマートフォンを受け取り、かわったことを伝える。


『突然の頼みだったのに今回は本当にありがとう。お礼がそれで十分なのかわからないのだけど、来るお客さんにあなたのことを宣伝しましょうか?』

「いえ、しないでください。余計な仕事を受ける気はないので」


 すっぱりと断られたことに店主が向こうで戸惑っている。

 将義からすれば余計なことすんなという思いなのだが、善意からの提案とわかるので穏やかに断る。


『ええと、それでいいの? 名が広まった方が今後有利だと思うのだけど』

「有名になろうという気がありませんから。その気があるなら、こっちからあなたに話をもちかけていたでしょう?」

『……そうよね。うん、ごめんなさい。あなたのことは誰にも話さないわ』


 再度礼を言って店主は電話を切る。

 スマートフォンを少年に返して、全員で藤林家に戻る。

 夫婦の寝室にあるクローゼットから収納ボックスを取り出し、その中からマーナは服を選んでいく。

 現代の服はこんな感じなのかと興味深そうでありつつ楽しそうに選んでいく姿は、普通の女性と同じに見えた。

 一時間後も悩んでおり、そろそろ帰るという将義に名残惜しそうな様子でもう少しと頼むが断られる。悩んだ末に上下五着分を選び、もらった紙袋に入れる。

 マーナが悩んでいた間に将義は、この家の住人に魔法を残す。自分のことを話さないようにというものと能力者が記憶を覗き見れないようにしておいた。

 玄関前まで少年に見送られ、将義たちは姿を消して飛んで家に帰る。

 九ヶ峰家の屋根に着地し、そこから鍛錬空間へと移動する。


「ここが隠れ里。フィソスもここで過ごしていて、あとは管理を任せている悪魔とか動物とかだけ」

「悪魔?」

「おしかけてきた悪魔にここの管理を押し付けたんだ。ほら来た」


 将義の訪問と覚えのない気配を感じたパゼルーが飛んでくる。

 嫌そうな顔の将義に怖い悪魔なのかとマーナはここでの暮らしに不安を抱く。

 着地したパゼルーを見て、マーナは分霊だとすぐに気付いた。だがその分霊が自分と同じくらいの強さで、これを生み出せる本体の強さが容易に想像できた。この分霊も戦闘が得意ではない自分では負ける確率が高いと考え、マーナはおもわず将義の背後に隠れた。だがこんな悪魔を従えている将義もわけがわからず、離れようかどうしようか迷っているうちにパゼルーが口を開く。


「こんばんは、主様。初めて感じる気配があったので、御前に参りました。そちらのサキュバスは?」

「一時的に使い魔にした。マーナという名だ」

「そのサキュバスは運がようございましたね。主様のような素晴らしい存在の使い魔になることができたのですから。一時的ということですが、離れるような愚行を犯すことはないでしょう」

「離れるか留まるかはマーナの決めることだ。強要するなよ」

「はっ」


 頭を下げたパゼルーの将義への心酔ぶりに、マーナの将義像がさらに定まらなくなった。

 この実力の悪魔を力尽くで従えるのもありえないが、心酔させることなどありえない。


「あなたは人間のように見えて、実は巧妙に気配を誤魔化してる悪魔?」

「なにを言う。主様は正真正銘人間だ。使い魔のお前ならばわかるでしょう」

「わかるけど、ただの人間があなたほどの悪魔を従えているのはありえないよ!」

「主様の力があれば私はおろか本体ごときいくらでも従えることは可能です」

「ごときって言った!? 私の全盛期が足元にも及ばない強さの悪魔をごときって!」

「主様は超人なのです。人を超え、悪魔を超え、神を超えた存在。どのような存在も下なのですよ。そのような方にお仕えできるのは幸運の極み。あなたにもわかるはずです」


 パゼルーの本気がわかり、その言葉すべてを信じたわけではないが、マーナは主に選んだ人間がとんでもない存在だったのではないかと思う。

 将義を見てみると、パゼルーの言葉を迷惑そうにしているものの、否定している様子は見られない。

 といってパゼルーの言う通り下に見ているという感じではなく、そういったことに関心がないのではと思う。自分にわざわざどうするか聞いて、自由にさせようとしたことがパゼルーの言葉への違和感を抱かせた。すべてを下に見ているのなら問答無用で自分を消すか配下に加えていたはずなのだ。

 馬鹿をしようとしなければ、害されることはないかもと考えて少しだけ不安がなくなる。


「まあ庇護を得られるのは運が良かったかなと思うよ」


 そう言うマーナの言葉は本音だ。これだけ強い存在のそばならば、一人だった昔とは違いかなりの安心感があった。

 マーナは妖魔としては平均以下の力しかなく、誰かの下について働き続けられるほどの要領の良さもなかった。だから地元を追い出されたし、一人でうろつくはめにもなった。

 このままここにいられたらという思いも少しはあるが、いずれ力不足などで追い出されると考えている。それまでは平穏な日常を堪能することが封印から解放された祝いと思うことにした。

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