第25話 どこかの事件と淫魔 1


「母神に星の子か。誰にも言わず秘密にしていた計画が知られているのだから信じるしかないな」


 陰陽寮総務長の部屋で、顔を顰めた男が書類を置いて呟く。

 この書類は美咲が提出したもので、将義についてはまったく触れられていない。


「日本守護の駒が手に入ったと思ったら、手を出せなくなった。さてどうするか」


 地宏という将来有望な能力者が使えないことに肩を落とす。強力な能力者は国内守護のみならず、外国に一時派遣することも良い外交手段となり得ただけに、手を出せなくなるのは痛手だった。派遣を主導することで自分に入ってくる利益も消えたということで溜息を吐く。


「さてなにか代案でもあるか……」


 少し考えて、以前上がってきた超人に関しての報告を思い出す。


「超人というのが本当かはわからんが、強力な能力者ということにかわりはないだろう。それを手に入れられれば補填となるか。即戦力というのもおいしいしな」


 再度以前の報告書を読んでみようと、パソコンからデータを呼び出す。

 それを読んで、舌打ちする。どこの誰なのか、名前も所在地もわからないのでは引き入れようがなかった。

 かろうじて似顔絵が載っているが、それのみで探せるものなのか考え、首を横に振る。犯罪者ならば警察を動かせるが罪をでっちあげるのは難しく、探偵は似顔絵のみだとどれくらいの日数がかかるかわからなかった。


「先に探している者に聞くのがいいか」


 総務長は内線で部下に連絡を入れる。短いコールで、すぐに涼やかな声が耳に入ってくる。


『なにか御用でしょうか』

「ああ、相談役の潮崎椿を呼んでもらいたい」

『時間はいつを指定しますか?』


 時間帯を告げると電話を切り、総務長は書類仕事に戻る。

 少しして内線が鳴り、椿がいつ来るか連絡が入る。

 時間が流れて夕方になって、部屋の扉がノックされる。総務長が返事をすると、椿が入ってくる。


「呼び出しとは珍しい。なにか話でも?」


 部屋に入ってすぐに、少しばかり棘を感じさせる口調で椿が聞く。これは総務長が能力者たちを道具のように扱っていることに思うところがあることに加えて、地宏の扱いの報告を椿も受けていたからだ。

 それを気にせず総務長は口を開く。この程度の嫌悪の感情など日常的なものだ。


「超人に関してなにか進展はあっただろうか」

「さっぱりよ。人を雇って似顔絵を元に探してはいるけど、まったく当たりがないわ」


 総務長は存在を隠しているかと思ったが、椿にそんな様子はない。


「探している範囲は?」

「最初はあの事件のあったところを中心に、そこから県内にまで範囲を広げたわ」

「それでも駄目だったわけだ」

「ええ。報告通りの実力があるなら、距離などあってないようなものかもしれないし、県外から来た可能性もある。けれどもあの事件で迷惑したと言ってたそうなのよね。あの事件が県外にまで影響を及ぼしたと聞いていないから、なんらかの迷惑をこうむったなら県内にいたと思うわね」

「そうか。ありがとう」


 聞きたいことは聞けて、下がっていいと告げる。通常の方法では探せないという収穫だけでも呼んだかいはあった。

 椿は下がらず聞く。


「彼女を引き入れる気?」

「人材不足を嘆いている君たちにとっても歓迎できることではないのかね?」

「おそらくは劇薬となるわ。それをこれまで通り御せると思っているのかしら」

「劇薬でも人間だ。ならばどうとでもなる」


 金に権力に男。そこらで攻めて駄目ならば、周辺の人間を使った絡め手。ぱっと思いつくだけでも、これだけ取れる手段があった。そしてこれまではそれで上手くいっていた。


「だといいけどね」


 椿はそれだけ言って、部屋から出て行った。人を超えた人にこれまでの手段が通じるのか、椿には疑問しかなかった。強大な力は人の常識など軽々と超えていくと理解していた。

 総務長は椿の言葉を気にせず、超人を手に入れるための手段を考え始める。


 ◇


 日本各地で春の運動会の時期が終わり、そろそろ梅雨の気配がしてきた。

 田んぼに植えられた稲がのびのびと育ち始め、綺麗な緑の風景に人も神に喜びを見せる。

 外ではそんな感じだが、鍛錬空間はあまり大きな変化はなく、緑が増えたくらいだ。

 将義の目を楽しませるため、パゼルーが花を植えていた。しかし春の花が開花するには時間が足らず本格的に楽しめるのはもっと先のことだろう。夏に楽しめるようにとひまわりを多く植えている区画があるので、そこが最初の花見になるはずだ。

 土曜日の午後に誰とも約束がなかった将義は、北の方でなにか騒動が起きたのを感知したが気にせず、フィソスの様子を見るため鍛錬空間に来ていた。騒動の起きた方面に家族や知人はいないので興味を持たなかったのだ。

 空間内の様子を報告に来たパゼルーの話を聞き、フィソスが何をしているか聞く。家族との時間を過ごしているなら邪魔しては悪いと思った。


「なにかご用ならば呼び出しますが」

「散歩ついでに自分で行く」

「承知いたしました。フィソスは山の訓練所での用事を終えて、休憩中のようです」


 パゼルーから居場所を聞き、そちらへと向かう。ついてこようとしたパゼルーを仕事してろと追い払い、一人で歩く。

 パゼルーは同行拒否に落ち込むことなく、仕事に精を出せというふうに受け取り指示に喜ぶ。そして今日は終わっていた点検を再度行い始めた。ついでに花を植えている区画の温度調整なども行い、環境を整える。

 二十分ほど歩いて将義は訓練所に到着する。土で作られた建物で、配色は考えていないので茶色一色だ。

 将義が近づいてきたことに気付いたフィソスがすぐに姿を見せる。


『あるじ。ボクに会いにきた?』


 そうだったらいいなと言う期待を感じさせる問いかけに将義が頷くとフィソスは尾を揺らし機嫌の良さを表す。


「鍛錬の進展とか、日頃の様子を聞きにきたんだ」

『見てて』


 フィソスの姿がぶれると、黒髪おかっぱの少女に変わる。以前練習したものと寸分違わぬもので、将義の目から見てもおかしなところはない。変わっているところといえば、九歳くらいだった容姿が十歳くらいになったという少しの変化だ。これはフィソス自身の成長に引きずられた形で、術の行使に問題があったわけではない。


「上手く変化するようになったなー」

「おかしなところない?」


 発声の練習もしていたのか、以前は猫の鳴き声と同時聞こえていた人語が、今は人語のみになっている。


「ないよ」

「だったらこれでお外に出てあるいてみたい。人のすがたでうごくれんしゅう。でもへんげがとけたらたいへんだから、いっしょに行きたい」

「いいけど、どこを歩くかねぇ。希望はある?」


 フィソスはないと首を横に振る。一緒に歩けたらそれで満足だったのだ。

 将義は考え込み、行き先を決める。


「だったら海なんてどうだ。海岸を歩くなら肌寒いくらいですむだろうし。おそらく海は見たことないだろう?」

「うん、ない」

「じゃあ決まりだな。ここから一番近いところでいいな」


 二人は鍛錬空間から将義の部屋に移動し、そこで隠蔽の魔法を使って空を飛ぶ。

 すぐに海岸が見えて、砂浜に着地して将義は抱っこしていたフィソスを降ろす。このままでは少しばかり季節感がずれた服装なので、薄手の白いカーディガンの幻をかぶせた。


「ひろいっ」


 初めて見る海の大きさにフィソスは、ぱちぱちと目を瞬かせる。


「においもへん」

「潮の匂いだな。なんでこんな匂いになってるのかは俺も知らん」

「ちかづいてもいい?」


 将義が頷くと、てってってっと小走りでひいては寄せる波に近づいていった。

 鍛錬空間の湖でも少しだけ波はあるため、波自体に珍しさはない。しゃがんだフィソスは砂に手を置いて、砂と一緒に指の間を通り抜ける感触に目を細める。

 砂を手に取り、波に流して遊んでいると、砂上をちょこちょこ移動するスナガニを見つける。フィソスは手についた海水と砂を振り払って、スナガニを追っていく。スナガニの速さもそれなりにあるが、フィソスの方が速い。しかしフィソスは捕まえる気はないようで、楽しそうにあとを追っていくだけだ。

 その後ろを将義がのんびりと歩く。フィソスのとる行動が人間の子供そのままで、見ているだけで和んでいる。視界の端の小島になにか不穏な感じがしたが、気にすることなくフィソスを眺める。

 フィソスはそのまま二十分ほど自由に歩いて、満足したのか将義に駆け寄ってくる。


「もういいの?」

「うん、いっしょにさんぽする」

「あいよ」


 隣に並んで差し出された手を将義は握る。それをフィソスは嬉しそうに振って歩く。鼻歌でも歌いそうな雰囲気だが、そういったことは知らないようで静かに歩く。

 一時間を超える散歩で、少し喉が渇いた将義は自動販売機でもないか探し、オープンテラスの喫茶店を見つけた。築何年なのか、不潔にならない程度に古さを感じさせる。あそこでいいかと、フィソスを誘って店に入る。

 カウンターの向こうで作業をしていた店主らしきエプロン姿の三十代の女性が顔を上げて、少しだけフィソスに注視してからいらっしゃいませと告げる。

 将義は店主に呪いのようなものを感じたが、これもまた気にしないことにした。


「カフェオレとぬるめのホットミルクを頼みたいんですが、大丈夫ですか」

「ええ、すぐにお持ちします。中と外どちらで?」

「外で」


 注文した将義たちは誰もいないオープンテラスで海を眺めながら飲み物を待つ。

 七分を少し過ぎて、注文したものを持ってきた店主がテーブルに置いて、少し迷った様子を見せてから口を開く。


「あの、そっちの子は妖怪ですよね? その子と一緒にいるということはあなたは霊能力者なのかしら?」

「!?」


 フィソスが驚いた様子を見せたことで肯定したも同じだった。

 せっかく練習した変化が失敗していたのかと動揺するフィソスの頭を撫でつつ、将義も少し驚いていた。自身の力の隠蔽はもちろん、フィソスの隠蔽もやっていたのだ。そこらの能力者にばれない自信もあったが、どうやって見破ってきたのか気になる。同時に能力者として上位にいると自信があったが、実はたいしたことないのかと少し落ち込む。

 質問に答える前にカフェオレを一口飲んで心を落ち着かせて、店主を見る。


「そうですね。ですがそういった気配は隠していたんですが」


 将義の言葉に店主は慌てて頭を下げた。


「あ、ごめんなさいっ。隠していたのなら聞かれるのは嫌だったわね」

「どうやって見破ったのか聞いても?」

「見破ったというか、おそらくそうなんじゃないかって思っただけなの。たまに予知夢を見るんだけど、完全に時期も場面もランダムで役立つことはなくて。その予知夢にその子が猫に変化するところがあって、もしかしたらって声をかけたという感じ」


 将義に関しては完全に勘だったのだ。妖怪と仲良さそうに一緒にいるから、そっち方面の関係者かもしれないと考え声をかけた。


「……そうくるかぁ」


 能力者や神などがこっちを見ようとしたら防ぐことはできるが、たまたまいつかどこかを見て、それが自分たちに該当してた可能性など考えていなかった。

 そんな可能性を想定なんぞできるかと心の中で吐き捨てて、溜息を吐く。


「それで聞きたいことはそれだけですか? 呪いに関してどうこうって話ではない?」

「わかるの?」

「まあ、能力者ですからね。でも積極的に活動するつもりもないんで、このまま帰りたいんですが」

「できれば解呪を受けてほしいのだけど。あなたなら大丈夫そうだし」

「なぜそう思うんですか?」

「客商売してるから、多少は人を見る目が鍛えられてるわ。あなたは解呪と聞いて少しも困ったという様子がなかった。やれるけどやる気がないって思ったの」


 正解ですと軽く拍手する。


「正直それに苦労はしないです。まあ、解くだけならって話ですが」

「呪い以外のなにかあるの!? そっちに関しては私知らないんだけど」

「俺もまだ詳しくわからないですね。今わかっているのは、その呪いは古いもので、ただ呪われたわけではないということ」

「調べたらわかるかしら」

「わかりますね……あ、そうだ」


 なにか思いついたようで、静かにホットミルクを飲んでいたフィソスを見る。

 視線に気づいたフィソスはマグカップを口につけたまま将義を見返す。


「フィソス。この呪いに関してちょっと調べてみてごらん。戦うだけじゃない能力を生かす実践だ」

「なにもわからなかったら?」


 飲むのを止めて、不安そうに聞くフィソス。この失敗で捨てられないかと不安なのだ。


「そのときは俺が全部解決するだけ。どんなふうに動くのか、どこまでわかるのかを見てみたいだけだから失敗を気にしなくていいよ。今後こんなことがあったら今回の経験を生かせるだろうからね」

「ん、わかった」

「というわけでこの子にやらせてみます」

「えっと大丈夫なの?」


 自分にとっての問題が、軽い感じで扱われていることに不安と不満がある。


「解呪は無理でしょうね。その術をこの子は知らない。だからそこは俺がやります。まあ嫌というなら仕方ありません。俺たちはこのまま帰るだけです」


 将義にとっては解呪をしなくてもいいのだ。だから軽く扱っていると感じられるのだろう。

 店主にとっては生きていく上での重要な問題で、この機会を逃すと次はいつ機会が巡ってくるかわからない。なので頷くしかない。

 新たに客が来て、店主は店内に戻っていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る