第22話 来客とアフターケア 2

「騒いじゃ駄目よ。せっかく安眠したこの子を起こすことになるから」


 人差し指でしーっとジェスチャーをされながら顔を向けられ、その表情に浮かぶ慈愛の感情にスーツの女の激情はすっと静まる。

 自分でも不思議なくらいの落ち着き具合にスーツの女はなんらかの術でもかけられたのかと、落ち着いた心の中で考える。


「危ないものはしまって座ったらどう?」


 この女は地宏に危害を加えることはないと疑いを持つことなく信じ、クナイを懐にしまって畳の上に正座する。

 向き合ったスーツの女に、地宏を抱えている女は微笑みを向ける。


「初めまして美咲。私は母神。いつもこの子の世話をしてくれてありがとう」

「それが仕事なので。いえ、そうではなくどうして私の名前を? それに母神とは?」

「仕事とあなたは言うけれど、それ以上の思いを込めてこの子と接してくれている。それは褒められることだし、私としてもありがたいことなのよ」


 母神は疑問に答えず、まず美咲が受け取らなかった礼の正当性を述べる。そして疑問に答えるため続ける。


「あなたの名前を知っていたのは、私がそういった存在だから。地球で生まれたすべての存在は私の子供。神も人も動物も植物も皆等しくね。親が子供のことを知らないわけはないでしょう? 母神とは地球の意思が、なんらかの存在に接触するときに名乗るもの。疑問は晴れたかしら」

「……ありがとうございます」


 答えてもらったことに頭を下げながら美咲は納得していた。

 地宏と自分に向けられた慈愛の表情も、地宏を害さないと思えたことも、少し叱られただけで治まった激情も、母からのものだと思えばすんなりと受け止められた。

 母神という在り方も怪しむことなくすんなり納得できた。この方がそういうなら、そうなのだろうと。


「さらに質問をいいでしょうか」

「どうぞ」

「どうして今日この場に姿を見せたのでしょうか。地宏君が怯えてすぐに姿を見せてもよかったのでは」

「そうしたかったのだけど、こうして姿を見せるのも準備が必要でね。力を抑えるための調整やほかの細々としたフォローもする必要があったの」

「なるほど。あなたがこうして来たからには地宏君は以前のように落ち着きを取り戻すと思っても?」


 それに対して母神は首を横に振る。


「落ち着くには連れ出す必要があるわ。そのことを告げるためあなたを待っていたの」

「連れ出すって!? 外に出すには許可が! そんなのでるはずもないっ」


 美咲も地宏の相手をしていて何度かつまらなそうな様子を見せたことが気にかかり、気晴らしきに外へ連れて行こうと思ったことがある。そのための許可申請を出したのだが、いつも却下という短い返答が戻ってきていたのだ。

 そんな美咲に母神はかわらず笑みを向ける。


「許可を誰にとる必要があるというの? この子は私の子であり、私の眷属。人間の許可などとる必要はありません」

「眷属?」

「この子がどういった存在なのか知らなかった?」

「はい」


 素直に頷く。天皇陛下を通して天照大御神から丁重に扱うよう話があったとだけ聞いていて、日本神話に連なる存在なのだと考えていたのだ。


「この子は星の子と呼ばれる存在。星の子とはあなたたちが地球と呼ぶこの世界に危機が訪れると、それに立ち向かう役割を負っているの」

「危機とはどんなことで、どの程度のことをいうのでしょう。大地震とかが起きたときに動くのですか?」

「一番有名なのは恐竜を滅ぼすきっかけとなった隕石ね。あれは当時の星の子だったパキケファロサウルスが全力で体当たりして威力を減らしたことで、あの威力にまで減ったの。なにもしなければ今頃地球は死の世界だったわ」

「だったらいずれ地宏君もその命を使って大災害を解決するんですか!?」


 再び大声を出した美咲に母神はジェスチャーで静かにするように指を唇に当てる。


「星の子になったからといって必ず出番がくるわけではないの。役割を果たすことなく一生を終えることも珍しくはないわ」


 母神の返答に美咲はほっとした様子で座りなおす。


「命をかけることが確定ではなくて本当によかった。それにしても人以外も星の子になるのですね」

「むしろ人間以外が星の子になることが多いわよ。地宏の前はウミガメで、その前はユーラシア大陸にあるとある湖。人間は人間自身が思っているほど重要な存在ではないの。ほかの生物たちと同じこの世界に生きる生物の一員というだけ。繁栄しているから勘違いしがちなのでしょうね」


 少しだけ困ったように母神は笑う。母神からすれば微生物も人間も大型生物も無生物も同じ子供なのだ。好き勝手やっている人間の現状を困った子供だと感じている。やりすぎると母神の無意識な反応で諌めるための災害が起こるので、人間にはもう少し落ち着いてほしかった。

 繁栄や進歩が悪いこととは言わないが、ここ百年二百年の発展は生き急いでいるのではと思えてしまう。


「話を戻しましょうか。この子を連れ出すことに問題はないから連れて行くということです」

「地宏君はここを出ていくのでしょうか。それとも少しでかけるだけなのか」

「少しでかけるだけ。向こうも預けられると困るでしょうし。ここは少々窮屈ではあるものの、生きていくうえで不自由はありませんからね」

「どこに行くんです?」

「地宏がこうなった原因を作った子のところ」

「あ、地宏君がどうして怯えているのかわかっているんですか」


 母神は頷く。地宏が怯えているのは母神にも関係しているのだ。


「なぜ怯えているのか教えていただけませんか。なにがあったのか私には心当たりはなく」

「少し前に怒りが世界を覆い尽くした。その怒りは神界や魔界まで届いたくらい」

「そんなことなかったと思うのですが」


 まったく覚えのないことに美咲は不思議そうにしている。将義の魔法は美咲たちにはきちんと効果を発揮していた。


「それは怒りを発した本人が皆の記憶を消し、それで生まれた被害も元に戻したからね」

「……え? たぶんですけど世界中で起きたことですよね。記憶を消して、生じた被害も戻した? 神とかの高位存在ってそんなことまでできるのですか」

「各神話や宗教の最高神は苦労するでしょうけどできる。でも今回それをやったのは人間の男の子。子って年齢でもないかしら」

「人間がそんなことできるわけないです!」


 美咲でなくとも誰もが同じ感想を抱くだろう。

 母神は悲しそうに頷く。母神も将義の夢から流れてくる情報で詳細を知っていた。


「ただの人間ならば無理よ。でもあの子は可能になってしまった。その分だけ必要のない苦労をしたようだけど」

「……本当に人間がそんなことを?」

「嘘を吐く理由はないわ。なにをしてできるようになったのか聞いても無駄よ。実践なんてできないから。そんな子が母を害されて怒りを発してしまった。それによって起こしてしまったことのフォローはしたけれど、地球上のみで、神界といったところまでは届いていない。当然神たちはその怒りを覚えている。その中には私もいる。そしてこの子は私と繋がっていて、記憶が消えなかった。消えなかったというよりはすぐに欠落した記憶を補完され思い出してしまったというべきね。世界を覆うような怒りを、小さな子が耐えきれるわけがなく、怯えていたの」


 そりゃそうだと美咲は納得する。そこらの能力者を超える霊力を持っているとはいえ子供なのだ。凄まじい怒りを感じて怖がらないはずがない。自分たちは記憶がなく、どんなに励まそうとしても共感できないのだから上辺のものとしか感じられなかっただろう。一人怯えることしかできなくて当然だった。


「そのような人のところに連れて行って大丈夫なのでしょうか。というか連れて行く必要があるのでしょうか」

「大丈夫。怒りっぽい子ではないし、人並みに優しい子だから。直接会わせて怖くない子だと理解してもらった方が早く元に戻る。誰が怒ったのか、どうして怒ったのかわからないから、こうまで怯えているの。誰だって未知は警戒したり怖かったり不安がったりするものでしょう?」

「それは、わかります」


 わからないことやものが怖いというのは美咲も経験がある。小さい頃施設の大人に暗闇を怖がって泣きついた記憶が蘇る。あれも見えない向こうに何があるのか何が起こっているのかわからず怖がったのだ。


「私も同行したいのですが、よろしいでしょうか。相手がどのような行動にでるかわからず不安なのです」

「んー了承はできかねるのだけど」

「どうしてでしょう」

「あの子は平穏を望んでいる。もうごたごたはこりごりだと裏側に関わる気がない。私と地宏はあの子に会うだけの理由があるけど、あなたはないでしょう? 地宏の問題を解決するのは私が連れて行けばいいのだからあなたがついてくる必要はない。それにあなたは行った先であったことを上司に報告するでしょうし」

「秘密にしてほしいのならば秘密にします」

「嘘は駄目よ?」


 美咲のこの場を誤魔化すための発言をすぐに見破り、叱るように言う。

 事実でまかせだった美咲は詰まる。


「あの子、トラブルがあったら容赦なく行動するわよ? あなたの報告でトラブルが降りかかれば、陰陽寮全体がしばらく活動不能になるだけの覚悟はしなさいね」

「個人がそんなことできるわけない、と思うのですけど」

「できる。全人類の記憶を消すなんてことよりも簡単でしょ。あの子を甘く見て痛い目を見るのは、あなたたちということを理解しなさい。もう一度言うけど、あの子は敵対者には容赦ないわよ? 怒気だけで下位悪魔を滅ぼした子を相手したいならもう止めないけれど」


 微笑みを消して、忠告するように母神は言う。

 下位悪魔といって馬鹿にできはしない。強値で表せば悪魔は10が最低値なのだ。能力者の中から上の能力者と同程度だ。

 常に発せられていた慈愛の雰囲気を消して真剣なものへと変えた母神の様子から、美咲は本当のことなのだと確信は持てないものの忠告は本物だと察する。この忠告を受けたからには美咲の報告でなにかしらの不都合が起きたとき、神々は解決に力を貸すことはないのだろうと考える。

 母神がどれくらいの神なのか美咲には予想もつかない。しかし地球の意思という存在が低位なわけはなく、母神の発言でほかの神々も対応を決めるだろう。陰陽寮の機能が停止したとしてその後の騒動を人間のみで対処しろといわれると、色々なことに手が回らない光景が簡単に想像できた。手が回らず発生する被害は想像もしたくない。


「報告はしません。地宏君のことが心配なので、どうか同行させていただけませんでしょうか」


 両手を畳につけて頭を下げる。今度は陰陽寮のことなど考えていない、純粋に心配する思いからの懇願だ。

 それを理解した母神は条件をつける。


「今回の話を報告しない。三時間ほど人間の姿を認識できない呪いをかけるから受け入れること。相手を刺激するようなことを言わない。この三つ、どう?」

「わかりました」


 即答した美咲に母神は認識の呪いをかける。これにより美咲は地宏が人間かどうかもわからなくなった。母神の姿は変わらず、自身の手を見てもモザイクがかかったように見える。


「さて行きましょう。向こうに連絡を入れてないから、最初は荒っぽい歓迎になると思うけど、おとなしくててね」


 美咲の頷きを確認し、母神はその場の全員で転移する。


 ◇


 パゼルーが侵入の反応元へ到着すると、そこには片手で地宏を抱く母神と傍らに立つ美咲がいた。即座に彼女たちへと魔力弾を飛ばすが、母神が手を緩やかに振ったことで魔力弾は消える。

 それだけでパゼルーは相手の方が強いと理解するが退く気はなく、さらに威力を高めた魔力弾を放とうと力を込める。

 そのパゼルーに母神が声をかける。


「待ってちょうだい。戦いに来たわけではないの。この空間の主に用事があるの、連絡を入れてもらえないかしら」

「侵入者の言うことなど聞くわけないでしょう! 逆の立場ならそちらも追い出そうとするとわかっているはず」

「そうなのだけど、あの子は表立ってのコンタクトは嫌がるでしょうから、こういった少し迂遠な方法で接触するしかないのよ。この前の怒りの件で話があると伝えてほしい。あなたのせいで小さな子が苦しんでいると」

「裏に関わるつもりがないとわかっていながら主の手を煩わせるつもりか! この命賭しても追い返してみせる」


 準備していた魔力弾を消して、分霊の全魔力を燃やすように全身を薄い紫の炎が包む。

 あれは人間がくらえば跡形もなく消えると美咲は冷汗を流し、炎に包まれたパゼルーを見る。


「それはやりすぎよ」


 母神がパゼルーへと手をかざすと、炎が消える。

 燃やした魔力の消失からくる気怠さを感じながらパゼルーは母神を睨みつける。


「実力差はわかっているでしょう。このまま戦おうとしてもなにもできずに無駄死にするだけ。あなたは任された仕事があるのでしょう? それを放置して必要のない戦いを行う気?」


 追い出すこともできず無駄に命を散らすだけとパゼルーも理解し、舌打ちし渋々本体に連絡を入れる。

 その本体から将義へと連絡が行く。将義もこの呼び出しを怪しく思うが、この前の件だと言われると放置もできなかった。

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