第21話 来客とアフターケア 1
昼食を終えて和野花に出された課題も終えた未子は、動きやすい上下ジャージに着替える。精神制御法の鍛錬に向かうためだ。
母親に鍛錬空間に向かうことを告げて、早速自室で鍵を使って移動する。
「んん? なんか違和感が」
鍛錬空間に入ってすぐに未子は以前とは違う感じを受ける。ここにいることに恐怖感や嫌悪感といったマイナスのものを受けることはないが、これまでと違うというあやふやな感覚がぬぐえない。
なんだろうかと首を傾げつつ、闇のドームへと歩き出す。
その未子の目の前に誰かが上空から降りてきた。
できる女といった雰囲気のメイドの出現に、未子は驚き足を止める。
「え?」
「ここは主の所有空間。許可なきものは始末するが、その前に確認だ。お前の名前は?」
「唐谷未子だけど」
「ふむ。その名はここに入ることを許された者の名だな。では歓迎しましょう」
口調を固いものから柔らかいものへと変えて、パゼルーは頭を下げる。
「あなたは? 少し前までいなかったと思うけど」
「私は主である将義様にここの管理を任された者。悪魔パゼルーの分霊です」
「悪魔!?」
未子は驚き警戒するように一歩下がる。
「なにを驚くことがありましょうか。あなたは半妖、これまで妖怪など人外は見てきて珍しくもないでしょう?」
「いや私は後天的に半妖になったから。なって一ヶ月もたってないし、それまで幽霊とか妖怪とか見たことなかった」
「そうですか」
少しだけ未子の事情に興味が湧いたが、将義の客に無礼はできぬと流す。
「悪魔といっても私は管理人にすぎません。あなたがここを壊すといったことをしないかぎり、害すことはありませんのでご安心を」
「壊すなんてしないし、やれないよ」
なにをどうやれはこの空間を壊すことができるのか、未子にはさっぱりだ。
こういった空間を壊すには二通りの方法がある。外部から圧倒的な威力の衝撃を与える。内部の核ともいえるものを壊す。
未子がやれるとしたら後者だろう。ただし現状では実力不足なため核を見つけ出すことができないので、壊す手段はない。
「ならば問題はありませんね。それで本日はここになにをしにいらしたのですか」
「あそこのドームで精神を鍛える特訓を」
「ああ、あれはあなたのためのものだったのですね」
納得いったとパルゼーは頷く。ドームを外部から調べて、幻が動く魔法を使われているのはわかったが、どうしてそのようなものをそこに置いているのかはわからなかったのだ。
「こっちからも聞いていい?」
「なんなりと」
「あなたはどうしてここに来ることに? フィソスちゃんのように九ヶ峰さんに助けられたの?」
「逆ですね。私は分霊を使い、主と敵対し、怒りを買ったのです。そして分霊は滅ぼされ、分霊を通し主の素晴らしさを知った私は世界で一番偉大なこの方に仕えようと心に決めたのです」
「怒りを買ったことも気になるけど、滅ぼされたのに仕えようと思った部分が一番気になる。分霊についてよくわからないけど、自分に関連した存在が滅ぼされて好意を抱くのは悪魔だと普通なの?」
なにをして怒らせたのか未子にはわからない。わりとわがまま言っていた自分でさえ怒らせてはいない。
将義が怒るところを想像できないのは未子の思い込みもある。すごいことができるのだから、一般人よりも許容できる部分が広く深いと。一般人が怒るようなことでも軽く流せるのだと。
もちろん将義はそんなに心は広くない。未子が涙を見せたことで情に流され、体育祭の中止に怒りを感じ、生活圏内で誘拐が起きても無関係ならば動くことはない。甘さがあり、利己的な感情があり、無関心さがある。そこらの人間と似たようなものだ。
「悪魔でもそういった経緯で好意を持つことは滅多にありません。人間相手に滅ぼされることを前提に分霊を動かして、目的のまま終われば成し遂げた人間に好意を抱くことはあるでしょう。しかし今回はそれとは違っていました。私は主の母君にとりつき心を壊したことで主の怒りを買いました。その怒りは余波だけで世界を震わせ、直接怒りを向けられた分霊はそれだけで滅びた。あれほどの怒り、そして力の持ち主はこの先現れるかどうか」
滅びた分霊の記憶を思い出しうっとりとしたパルゼーに未子はどん引きだ。話した内容が、うっとりとできるものではない。人間の心を壊したことをなんでもないように話す彼女が未子は怖かった。
(九ヶ峰さんっ九ヶ峰さんっ)
『なんだよ』
鍵を通して呼びかけ、すぐに返事があることに心底ほっとする未子。
(今パゼルーって悪魔と一緒にいるんだけどすごく怖いんだけど!? なんでこんなのそばにおいてるのよ!)
『そうするしかなかったから』
殺してもどうにもならないし、記憶を消しても完全に消しきれるかわからなかったという事情を説明していく。
『手は出すなって言ってあるから、なにかされることはないよ』
(それはわかるよ。話していて物腰が丁寧で敵意とかまったくないし。でも怖いよ!)
『そこらへんは慣れるか諦めるか、そこに行かないようにして接触を避けるかでどうにかしてくれ』
将義の手にも余っているのだ、どうこうしろと言われても無理だ。精神鍛錬にちょうどいいだろうと放置の方向で決めた。
将義と話して静かな未子にパゼルーが話しかける。
「なにか考え込んでいるようですが、なにか疑問に思うことでもありましたか?」
「いや、とくに! あ、そうだ。この前なにか怖いことがあったって聞いたけど、もしかして消された記憶ってその怒りに関することだったのかな」
「主が発した怒りを覚えていないのなら、消されたのでしょう。あれを覚えていないなどありえません。世界各地に被害もでたようですし」
「それほどまでだったの。九ヶ峰さんを怒らせちゃいけないな」
怒らせないようにすると心に決めたが、パゼルーと同程度に怒らせることなど未子には無理だろう。世話になった人の家族を害そうとはまったく思わないのだ。
「ん? 世界各地?」
「なにかおかしいことですか」
「世界規模でなんらかの被害を出したのに、なんの報道もされていないのはおかしいなって」
「どうやらフォローをされたようで、記憶を消して、怪我人を治療し、壊れた物も修理したようですね」
「……記憶を消したのは聞いたけど世界規模でそんなことにしてたの? 思った以上に九ヶ峰さんってすごかった?」
なんとなく記憶を消したのはここら一帯のことだと思っていたのだ。そんなに広範囲に力を及ぼしていたとは想像もしていなかった。
「なにをいまさら。主ならばそれくらいはこなせるでしょう」
「人間ってそんなことまでできるようになる? いや、限界を超えたとか言ってたような。だったら神様とかの域なのかな」
恐れ敬い接した方がという気持ちが生まれかけたが、思い出す。将義が望むのは穏やかな日々ということを。当たり前の日常が大事と言っていたことを。
ならば恐れ敬うことは日常とはかけ離れたことで、そこらにいる人間の一人として接する方が嬉しいはずだと思い直した未子は、生まれかけた畏敬の念を忘れることにして、これからもちょっとしたわがままを頼むという神といった存在に接するものではない態度でいこうと決めた。
「最上位の神ならば可能かもしれませんね。ですが主はそれらすら超えた存在。こうして見(まみ)えた奇跡に感謝しなければなりません。我が生はあの方に仕えるためにあった!」
勝手に盛り上がってなにかに祈るパゼルーから未子はさらに一歩離れる。
自分になにかされるわけではないとわかっていても、このテンションとあり方はすぐに慣れるものではなかった。
ドームの近くにきたため、小走りでその中に入る。入る前から鍛錬していたような心境で、ドームに入ったことで少しだけ安堵してしまった。
ドームが作動したことでパゼルーは未子が離れていたことに気付く。
「問題なく始めたようですね。私は任された職務を全うするとしましょう」
その場から動かず鍛錬空間全体の様子を探っていく。少しでもおかしいと思えるところがあればすぐに向かう。主から任されたからには常に万全の状態を保たなければならぬ。そんなパゼルーのおかげで鍛錬空間は毎日メンテナンスされていて、異常などどこにもない。
「今日も大丈夫なようですね。念のために術式の方も見ておきましょう」
先ほど見たのは鍛錬空間の表層で、次は深層だ。
深層といっても地中にあるわけではなく、今見えている空間の裏を見ることになる。
パゼルーは目を閉じて、閉じたまま心の目を開く。瞼に閉ざされていた視界が白光の線があふれる光景にかわる。
常に流れる光の粒が線となって、鍛錬空間を一定の速さで流れている。その線が上空に集まって力強く輝き、なんらかの幾何学模様を描いている。そこが鍛錬空間の核だ。異変があれば、幾何学模様が崩れたり、なんらかの色が混ざる。
「術式も異変なしですね。いつ見ても美しいものです。さすがは我が神の御業」
いつまでも見飽きないとパゼルーはその場から動かず顔を上空に向けている。
過去に人間の苦しみもがく様が一番だと天啓を得た気持ちになり、以来そんな様子を見るため動きてきた。だが今ならばそれはただの思い込みだとわかる。楽しい日々ではあったが、現状に比べたらなんて味気ない日々だったのか。
将義という絶対の存在に仕え、命を受けて働くことの充実感。以前の自分ならば代わり映えのしない作業を馬鹿にしただろう。今はそんなことはない。繰り返しの作業でも、将義の役に立っているというだけで身に余る光栄だ。
外で別の命を受けている本体からも、私は素晴らしき主を得たという同じ思いが伝わってくる。
そんな思いに浸っているとパゼルーは空間を揺らぎを感じとる。未子のように許可を得たものが入ってくる静かなものではなく、少しばかり荒っぽい揺らぎだ。
「侵入ですか、愚かな」
不快そうなパゼルーは表情を引き締めて、揺らぎの元へ飛ぶ。
◇
京都市からずっと北にいった山奥。そこは国所有の土地で、一般人の侵入が禁じられていた。和風の屋敷があり、そこは山の下からでも見ることができる。重要文化財として指定されているのだろうと近隣住人は考えていた。重要施設なのはたしかなのだが、そう定められたのは近年だったりする。
そこはこっそりと改修され、人が暮らしていくのに不自由がないようになっている。
そこにいるのは大人がほとんどで、子供は五歳の少年一人しかいない。その一人の子供のために改修されたと知る者は少ない。
「今日も部屋に閉じこもりきり? 病気ではないのでしょう?」
「医者はそう言っていましたね。とてもショックなことがあって怖がっていると」
着物姿の女二人が調理場で話す。
「ショックなことといっても、こんな辺鄙なところでなにがあるってのよ。おかしなことがあれば、すぐになにがあったか広まるわ」
「そうですね。でも私たちには感知できないことを感知して怖がっている可能性もありますから」
「その方面は私たちにはどうにもできないからねぇ。コロッと忘れてまた元気な姿を見せてくれればいいんだけど」
「といっても屋内か敷地内の屋外かの違いだけで、閉じ込めていることに違いはないって思ってもしまいます」
「閉じ込めてるってことに否定はできないね。かといって勝手に連れ出すことなんてできないしね、そんな権限はない。私たちにできるのは無聊を慰めることくらいだよ」
話している二人にほかの女が手伝ってくれと声をかけてくる。それに返事をして、話は終わる。
調理場から離れたとある部屋の前で、スーツ姿の二十代後半の女が立っている。普段はクールな印象を与えるのだが、今は心配そうな表情でクールさの欠片もない。その手には盆があり、おかゆの入った小鍋が載っていた。
「地宏(ちひろ)君。中に入るわね?」
ここ最近と同じく返事がなく、小さく溜息を吐いた女は扉に手をかける。
地宏と呼ばれた部屋の主は、ここ数日部屋の隅で布団を頭からかぶって震えていた。どんなに慰めても励ましても震えが止まることはなく、どうしたらと頭を悩ませていた。上にこのことを報告しても、どうにかせよと対応を放り投げてくるだけで具体的な指示は返ってこなかった。
役立たずどもめと心の中で愚痴を言い、今日は元気な姿を見たいと思いつつ扉を開ける。
いつものように暗いだろうと思っていた部屋はカーテンが開けられ、電灯もついていて明るい。
その部屋の中に見覚えのない人物がいた。海を思わせる藍色の長髪を持つ三十代半ばほどの女で、穏やかな表情で畳に正座して地宏を抱きかかえていた。
瞬間、スーツの女は盆を投げ捨て、懐にいれていたクナイを取り出し、地宏を取り戻すため飛びかかろうとした。だが金縛りにあったように動けなくなり、動けないまま投げ捨てた盆や小鍋が元の状態に戻っていくところを見ることになる。
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