第13話 元幽霊少女と鏡の魔 4

 いつもの変わらない、将義が望んだ日常に包まれて夜が更け、朝になる。

 昨日と同じように将義は家を出て、授業を受けて帰ってくる。

 家に近くにあるコンビニの前を通って十メートルほど歩いた時、背後から誰かが早足で近づいてくるのに気づく。背後から近づいてくる者の視線が自分の背中に固定されていることから、なにか自分に用事かと振り返る。

 そこにいたのはスーツ姿の二十歳半ばの女性で、将義が振り返ったことに驚きの表情を見せていた。


「なにか用事ですか?」


 それに相手は応えず、じっと将義の顔を見てくる。十秒ほど見て、ようやく口を開く。


「突然で申し訳ありませんが、、一緒についてきていただけないでしょうか」


 訝しげなものへと表情を変えた将義を見て、女は慌てて懐を探る。目的もなにも言わない自分の誘い方が怪しく感じさせるものだと気づいたのだ。


「私はこういうものです」


 差し出されたのは身分を証明する名札だ。そこには顔写真と一緒に『唐谷家専属使用人 早潮遥(さしおはるか)』と書かれている。

 名前がわかり、未子の関係者だということもわかる。だが将義は会いに来る理由がわからず、表情は変えずに遥を見る。

 その表情から理由を求められていると受け取った遥は、少し戸惑ったように口を動かす。


「こうして突然声をかけたのは理由があります。それは今ここで話しても信じていただけないと思うのです。正直私自身もどうしてこんなことになっているのかさっぱりで」

「それでついて来いというのはさすがに無理がありますよ」

「そうなんですが、理由を話したら余計に関わりたくなくなると」

「現状で既に関わりたくないのですから、話しても変わらないと思います」

「まあ、そうですね」


 遥は周囲を見て、人が近くにいないことを確認してから小声で話し出す。


「オカルトの話になります。昨日から私の職場である唐谷家の屋敷で怪現象が起きています。それは鏡やガラスといった反射するものに風景や人の姿が映るというものです。さらにもう一つ、唐谷家にはお嬢様がいらっしゃいます。その方がその……見た目が変化してしまいまして」

「ふむ」


 将義が未子から目を放してそう時間が経っていない。そんな短時間でまた未子がオカルトに関わることになっていて将義は少し驚いていた。その驚きは外見に出ておらず、落ち着いたものだ。

 遥はこのような話を馬鹿にすることなく真面目に聞いていることを意外に思う。話している当人でさえ、自分の見たものを信じられていないのだ。


「家とお嬢様に異変が起きたということはわかりました。ですが俺を呼ぶ理由にはなりませんよね」

「あなたを呼ぶというか探していた理由ですが、鏡やガラスにあなたの家やあなたが映るのです。そしてお嬢様が言うには、あなたが現状をどうにかしてくれると」


 遥から出ていた情報に将義はわずかに反応を見せる。


「お嬢様がそう言ったんですか? 俺が解決できると」

「はい。警察や占い師といった方々に相談しようとした旦那様や奥様を止めて、お嬢様がそのように。断言といっていいくらいの口調でした」


 未子の記憶は消していて、将義がそういったことをできると覚えていないはずだ。その未子が将義のことを呼んだ。どのような方法かわからないが、記憶を取り戻せたということだ。将義は今後のことを思うと、その方法を知っておく必要があると考える。隠れた自分を探し出した、その方法から逃れる方法を考えるために。


「……」


 無言でなにかを考えている将義を遥はじっと見る。


「わかりました。ですが一度家に帰って荷物を置き、でかけることを家族に言ってきます」

「ありがとうございます」


 同行してもらえるということに、遥はほっとした様子で胸をなでおろす。

 コンビニ前で待っていますと言い、遥は去っていく。

 将義も溜息を一つ吐いて家に帰り、母親に少しでかけてくると伝える。

 学生服から厚手のチェック柄シャツとジーパンに着替えて家を出る。コンビニに行くと遥が車の外に立ち、将義を待っていた。

 後部座席に将義が座ったのを確認し、遥は運転席に座ってエンジンをかける。

 コンビニを出発し、安全運転で二十分弱、唐谷邸に到着した。

 洋館で、一般家屋より大きく、庭も広い、それぞれの手入れもきちんとされている。そんな裕福な家を思わせる場所だが、雰囲気が重い。カーテンは閉め切られ、外界からの視線を切り、関わることを拒絶するかのような空気が敷地内を包んでいる。

 車は車庫へ移動し、そこから遥に案内されて将義は家に入る。

 応接室へと案内された将義は、そこで少し待っていてほしいと頼まれてソファーに座る。

 すぐにトタタタと部屋の外から足音が聞こえてきて、扉が開く。

 入ってきたのは未子らしき人物だ。だが髪は真っ白で、両目がなく、そのかわりに額に瞼のようなものが開いている。そこに眼球はなく、鏡のごとく銀に磨かれた板のようなものが瞼の中にある。

 その変化に将義も驚き、その様子が未子の目に反射している。

 両者がなにか言う前に、未子が頭を抱えて座り込む。


「あああああっ」


 何事かと将義はこうなった原因を考えようとして、それより前にひとまず未子の苦しみを取り除くことを優先させる。


「『隠蔽』『封印』」


 蹲る未子の頭に手を置いて、未子が使っていると思われる能力を封じた。

 すると未子の髪はもとの黒髪に戻り、苦しみの声も止まる。

 苦しみの余韻が落ち着くのを、未子は座ったまま待つ。

 そうしているうちに、未子の声を聞いた未子の母親と使用人が客室にやってくる。


「未子!?」


 大丈夫かと未子の母親が未子の背中をさする。

 使用人たちは驚いたように未子を見ている。白かった髪が元に戻っていることに驚いているのだ。


「もう大丈夫だから」


 痛みが治まりそう言い、顔を上げた未子の顔も元の状態に戻っている。

 それを見て未子の母親も未子が元に戻っていることに気づいた。


「あなた、目と髪が」

「え?」


 未子本人は気づいていないようなので、未子の母親が未子の後ろ髪を手に持って見せる。

 黒髪に戻っているのを見て、未子は将義に顔を向けた。


「戻してくれたの?」

「戻したというか、能力を封じただけ。それで妖怪から人間に比重が寄って、人の見た目になったんだ」


 未子の変化に心当たりがあるような言葉に未子の母親と使用人たちの視線が将義に集まる。


「説明していただけませんか?」


 未子の母親が言う。

 将義が頷いたことで、遥を除いた一同はソファーに座り、遥はお茶の準備に戻る。


「まずは自己紹介を。私は未子の母で唐谷翔子と申します。娘を元の姿に戻していただきありがとうございます」

「俺は九ヶ峰将義です。さっきも言いましたが未子さんを完全には戻していません。戻すことは無理です」


 戻すことは無理と断言したことで、翔子たちの表情が硬いものになる。未子もショックは受けているが、易者の老女に警告されていたことがこれなのだと理解し、受け入れていた。


「あの状態のことを妖怪と言っていましたが、娘はなぜあのようなことになったのか、あなたはわかっているのでしょうか?」

「おそらくこうじゃないか、という考えはありますが調べてみないことには正しいことはわかりません。知りたいのならこの場で調べることはできますが、いかがいたしますか」


 翔子は未子を見て、頷きが返ってくると将義に頼む。


「未子さん、手を出してください」

「ええと丁寧に話さなくていいよ? 幽霊のときは普通だったでしょ」

「それでいいならそうするけど、やっぱり覚えているのか」


 将義がそう言うと、未子は困ったような表情になる。


「思い出したわけじゃないの。私の過去を客観的に見たという感じ。記憶じゃなくて記録としてあなたを知っている」

「過去を見るというのが妖怪としての能力ってことか。それなら記憶を消したのに、俺を知っていても納得できる。とりあえず記憶を戻すよ、違和感あるだろうし。『隠蔽』『復元』」


 将義は指をパチンと鳴らす。すると未子が「あ」と呟いてバッと将義を見る。


「記憶が二重にあるみたいでなんか変な感じだけど、一ヶ月ぶりくらいかな。体に戻してくれてありがとう。リハビリが順調だったのも九ヶ峰さんのおかげでしょ?」

「入り込んでた幽霊に体が馴染み始めてたから、それを正すついで。終わったことはもういいだろう。手を出してくれ」


 未子は警戒することなく手を将義へと伸ばす。助けてくれた将義を疑う気持ちなどないのだ。

 その手に将義は触れて、探査の魔法を使う。重なる手から光があふれる。将義が目を閉じて、十分間そのままの状態が続き、翔子たちは静かに待つ。


「なるほど」


 将義はそう言って、手を離す。


「未子さんは先祖返りだ。鎌倉時代か室町時代。そのくらい遡った先祖に妖怪がいる。鏡の付喪神」


 こんな感じだと幻影を空中に映す。町人が着ることのないような質の良い着物を着た女性で、顔つきは未子に似ていない。

 突如現れた幻に、翔子たちは驚くのも疲れたといった様子だ。


「どこかのお姫様っぽいね」

「どこぞのお偉いさんの娘の姿をそのまま受け取ったらしい。この付喪神は鏡が妖怪化したもので、お姫様に大事にされていたそうだ。お姫様は家族にとても愛されていた。そんなお姫様の体は丈夫ではなく、重い病気にもかかり、寿命が長くないことを悟っていた。自分が死んでは家族が悲しむこともわかっていて、どうにかならないかと常に考えていた。しかしお姫様はある夜に誰に看取られることなく死んでしまう。いや大事にしていた鏡だけは見ていた。そして鏡はお姫様の心残りをなくしたいと考え、お姫様の死体を取り込んで、お姫様に成り代わったんだ。そのことは誰にも知られることはなかったし、鏡姫自身も誰にも言わなかった。鏡姫はお姫様として生き、子供も産んで、ある程度年をとったらふらりと姿を消して、誰にも見つからないところで自殺した」

「そんな生き方を選べるくらいに、お姫様のこと大好きだったんだね。その付喪神の特徴が私に濃く表れていたってことだよね」


 聞いた話から未子は推測したことを口に出す。

 それに将義が首を横に振ったことで、未子だけではなく翔子たちも意表を突かれ戸惑う。


「特徴は薄いよ。本来なら先祖返りはしなかったはずさ」

「えと、じゃあどうして娘は先祖返りしたのかしら?」


 翔子の問いかけに将義は「鏡様のせいだ」と答えた。

 未子はそれが原因なのかと驚く。


「あれが悪かったの!?」

「易者にも、鏡様をやらないといけないわけじゃないって言われたろ。俺のことを思い出さなくても普通に過ごすなら、なにも困ることはなかったろうに」

「二度も命を助けられて、『はい、さようなら』は恩知らずだし寂しいよ。だから記憶を失っても気になったんだろうし」

「二人だけで理解してないで説明してほしいのだけれど」


 翔子が説明を頼む。


「ええと鏡様というのは魔界から出てきた弱い魔物でした」

「いきなり止めて悪いけど、魔界とか魔物とか本当?」


 翔子が頭痛を押さえる仕草をしつつ話を止める。メイドたちも疑いの視線だ。


「ええ、本当ですよ。それは今は関係ないので説明しません。そうなんだと流してください」


 一々説明するのが面倒な将義はそう言い、翔子たちは「そうする」と全て理解するのを諦める。


「鏡様は自分の能力を使って人間が知りたいことのヒントを与えるかわりに、人間から霊力や魔力と呼ばれる力をもらっていました。今回もそうしたのですが、未子さんが知りたいことについて興味がひかれました。自分の力では見通せない場所があったのです。それは俺の周辺ですね。俺はそういう魔物とかに見られないよう結界をはっていた。鏡様は見通せない場所に行けば、さらなる力が手に入ると思いました。だからヒントを与えたあとも未子さんに見通せなかった場所を見せ続けました」

「そうなの? そういったことは言ってなかったけど」


 翔子の問いに未子は頷く。鏡を見るたび将義の家周辺の俯瞰図が見えていたのだ。


「そして昨日、未子さんは見えた場所を車で移動し、俺とすれ違いました。未子さんが家に帰って、鏡様は未子さんが見てきたものを見ます。そこには俺とすれ違った記憶もありました。鏡様はなにかを見るということに特化した魔物で、俺の力の一端を見てしまいました。自分では敵わないそんな力を見て、パニックに陥り、一人で敵わないなら仲間を作ればいいと考え自分に近い存在の力を無理矢理引きずり出しました。近いというのは、鏡の魔物という共通点を持つことですね。これが先祖返りした流れです。その後、鏡やガラスに俺が映っていたのは未子さんの力が暴走していたからです」


 実は鏡様のことは調べることができていないためこの話は将義の推測混じりなのだが、未子に起きたことを考えるとそう外れてもいないと考えている。

 鏡様がこの場にいれば調べることができたが、さすがに未子の記憶の中の鏡様を通して、それの調査を行うのは無理だった。


「つまり娘の先祖返りはあなたに原因が?」


 聞いたことを整理した翔子とメイドたちの将義を見る目が険しくなる。


「どうでしょうね。そもそも鏡様をやると決めたのは未子さんだし、止めなかったのはあなた方ですよ。それを横において、すべて俺のせいにされても迷惑です」


 きっぱり迷惑だと言い切った将義に驚くが、たしかにと翔子は納得した。


「それは……そうね。ごめんなさい。易者とやらも必要な行為ではないと言ってたらしいのよね」


 やはり駄目だと自分たちが止めていれば、娘が先祖返りなど起こすことはなかった。止められなかった自分たちにも責任はある。それを理解し翔子は詫びた。


「それで鏡様は今も未子の近くにいるの?」

「いません。パニックが収まり、逃げました。近辺には気配がまったくないので、魔界に帰ったんでしょう」


 海外まで届く気配察知の魔法で調べてみたが、逃げた鏡様は十数キロ移動してそこでぷっつりと気配の残滓が途切れているのだ。


「やらなくていいことやった挙句にどこかへ行ったの? 最初から逃げてくれれば」


 余計なことをした鏡様に苛立ちを抱くも、既に相手はおらず、翔子たちはぶつけようのない苛立ちを心の中で握りつぶす。

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