第10話 元幽霊少女と鏡の魔 1

 体を取り戻した角谷未子はその日のうちに検査を受けて、長期間の寝たきり生活による筋肉の衰え以外は異常も後遺症もなしと知らせを受ける。

 大喜びする両親に、未子は心配をかけた申し訳なさを感じつつ、問題がないことに喜びも感じる。

 翌日から簡単なリハビリを始め、食事も胃に負担が少ないメニューから始めて、体を元に戻していった。その未子を世話する母親も以前のような疲れは見せず、日に日に元気になっていく未子の世話を嬉しそうにやっていた。

 将義が使った魔法のおかげか、リハビリは順調に進み、ゴールデンウィークには元気な体に戻っていた。


「「お世話になりました」」


 母親とともに未子は医者と看護師に頭を下げる。

 医者たちは順調に回復した未子に笑みを向けていた。


「昨日の再検査で健康だとわかっていますが、なにかあればまたこちらへ来てくださいね」

「はい。そういったことがないといいのですが」

「ええ、私たちも何事もないことを祈っていますよ。それではお大事に、退院おめでとう」


 医者たちが病室から出ていき、未子もまとめた荷物を持って、母親と一緒に病室から出る。そのまま病院からでて、薬などの匂いのない空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「外の空気を吸ったら完治したって実感できたー」

「退院できてよかったわ」

「退院は嬉しいけど、これから浪人生なのがなぁ」

「仕方ないわよ。家庭教師を雇ってゆっくり受験勉強していきましょ」

「それしかないかー」


 がっくりと肩を落として未子は母親の横を歩く。

 駐車場に停めてある車まで歩いていくと、車内で待っていた女性運転手が下りて、未子に朗らかな笑みを向けた。


「お嬢様。退院おめでとうございます。ほかのメイドたちも無事の退院を喜んでいましたよ

「ありがとー斎藤さん」


 斎藤にドアを開けてもらい、未子と母親は車に乗り込む。

 安全運転でと言う母親は未子が意識不明になった事故で、車のトラブルがトラウマになっているのだろう。

 斎藤は承知いたしましたと返し、エンジンかけた。

 車は病院を出て、住宅街を進み、やがて見えてきた大きな屋敷前で停まる。門が開いていき、車が通れるようになると再び動いて、玄関前で停まった。

 未子と母親は車から降りて、玄関を開けて屋内に入る。

 ホールに二人のメイドがいて、未子の姿を見ると笑顔となった。休暇のメイドと斎藤も合わせてメイドは四人だ。


「おかえりなさいませ」

「ただいまー。やっぱり家が落ち着く」

「奥様、荷物をこちらへ」


 メイドの一人が母親に近づき、旅行鞄を受け取る。

 鞄を渡しながら母親は夫について尋ねる。


「あの人は帰ってきているの?」

「いえ、まだ帰ってきていません」

「ということは急な仕事でも入ったのかしらね。まあ、昼過ぎには帰ってくるでしょ」


 娘と一緒に過ごせるようになるのを楽しみにしていたのだから、と思いながら母親はリビングへ向かう。

 未子は自身の部屋に向かい、綺麗に掃除されてなにも変わっていない部屋に入る。

 壁には猫のポスターと猫のカレンダー。本棚には猫の写真集がいくつもあり、猫好きなことがわかる。


「さてさて。病室じゃ思い出せなかったから、環境を変えてみたら思い出せるかなと思ったけど、さっぱりだわ」


 椅子に座り、腕を組む未子。

 幽体離脱して戻るまでの間にあったことを、意識が戻ってから思い出そうとしていたが一向に思い出せなかった。

 自力で体に戻れた気がせず、なにか感謝すべきことがあったような気がするのだ。だから思い出したいが、ちっとも関連した記憶が浮かんでこない。

 考えるのをやめて、足を放り出し、背もたれに体重を預ける。


「占い師にでも相談してみようか。幽霊なんてものがいるんだし、霊能力者とか超能力者もいそうよね」


 問題は本物に当たるかどうかだ。評判のいい占い師でも、悩みを察してアドバイスをして進む道を示すといった者もいるだろう。そういった者ではなく、失せ物探しなどで評判のいい者が未子の求める人材だ。


「まずはネットで探してみよっと」


 机に置いてあるノートパソコンを立ち上げて、ネットに繋げる。

 検索サイトで、県内の占い師の評判を見ていく。

 ついでに入院中のニュースなども見ているといくらか時間が経ち、部屋の扉がノックされる。


「はいはーい」


 扉を開けるとメイドの一人がいた。


「お嬢様。そろそろ昼食のお時間ですので呼びに参りました」

「あ、そんなに時間が経ってたんだ。わかったよ、すぐに行く」


 パソコンをスリープさせて、メイドと一緒に食堂に向かう。昼食は未子が好きなボンゴレビアンコということでうきうきとした足取りで食堂に入る。


「未子! おかえり!」

「お父さんもおかえりなさい」


 早めに仕事を終わらせた父親が満面の笑みを向けてくる。


「お前がいない家は明かりが消えたようだったよ。でも帰ってきてくれて、以前と同じ生活に戻れると思うと嬉しくてたまらない」

「もう、おおげさね。心配かけてごめんなさい。無事退院できて入嬉しい」

「うんうん。退院したとはいえ無理はしないようにな」


 話しているうちに、パスタやサラダがテーブルに並べられる。

 パスタの黄色、バジルの緑、唐辛子の赤という彩りがまず目に飛び込んでくる。

 そして立ち上がる湯気にアサリとかすかにニンニクの香りが混ざり、鼻をくすぐり食欲を刺激する。

 楽しみという未子の表情を見て、両親はすぐに食事を始めることにした。

 未子はフォークにパスタをからめて、口に入れる。アサリの旨味が口の中に広がり、絶妙なゆで加減のパスタもアサリからでた旨味をよく吸っていた。あっさりとしていながらコクもあり舌を飽きさせない。塩気もちょうどよく、アクセントのニンニクもアサリの旨味と調和していた。

 パスタと一緒に食べたアサリも下処理がしっかりされていて、パスタとはまた違った食感が口を楽しませてくれる。

 薄味の病院食に慣れていた舌には、刺激的な食事だった。

 よく味わい、口の中のものを飲み込んだ未子の顔には満足感が表れている。


「美味しいっ」


 久々になるのでより一層美味しく感じるのだろう。

 未子の表情を見ただけでも美味しいと感じていることはわかる。料理を作ったメイドもその様子に嬉しそうだった。

 サラダも美味しく食べて、昼食が終わり、お茶を飲みながらゆったりとする。


「家庭教師だけど、どれくらいの頻度できてもらう? 毎日は頼まなくていいと思うけど」

「退院したばかりだ。週二くらいで様子を見て、そのままか増やすか決めていけばいいんじゃないか?」


 無理はさせたくないという父親の提案に、母親も賛成の様子で、どうだろうかと未子は視線を向けられる。


「うん、それでいいよ」


 親戚からは海外の高校ならば九月入学だから、そちらでどうだろうという提案もでていた。

 しかし両親としてはしばらく手元から離したくないという考えだったため、この話を未子にする気はなかった。


「じゃあ、その方向で連絡を入れておくわね。来週から来てもらうことになると思うわ」

「わかった。そのつもりでいる。最初はどれくらい覚えているかの確認とかかな」


 教科書に軽く目を通しておこうと決める。


「あ、そうだ。お父さん、評判のいい占い師に心当たりある?」

「占い師? また突然どうしたんだ」

「ちょっと忘れていることがあって、それがどうしても思い出せないの。病院で起きたときから思い出そうとしているんだけどね」

「記憶喪失か? 検査ではなにか異常があるとは言ってなかったような」


 母親に確認の視線を向ける父親。


「そういった話は一切でてこなかったわ。未子もなにか忘れている様子はなかったのだけど」

「自分の名前とか事故前の記憶が一部なくなっているわけじゃないわ。なくなっているのは事故にあって、起きるまで」


 未子の説明に両親は首を傾げた。その記憶はなくて当然のものだと思ったのだ。


「意識のなかったあなたにそれがある方がおかしいわよ?」

「普通ならそうなんだろうけど、実は幽体離脱っていうのをしてたみたいなの」


 両親を納得させるため幽霊のときに見ていた両親の様子を語る。

 父親がいつ来て、どのような声をかけたか。看病の疲れから母親が風邪になった時期。中学校の友達がいつ来たか。屋敷で両親がどのような会話をしていたか。

 これらを語る未子を両親は驚きの表情で見返す。


「……私の覚えているかぎりでは風邪をひいた時期とか間違ってないのだけど、あなたはどう?」

「俺も未子の話したことに違いはないと思う。本当に幽体離脱していたのか。意識が戻らなかったのはそのせいなのか?」


 未子は頷く。


「どうしてかわからないけど、体に戻れなかったの。看病に疲れたお母さんたちを見ていられなくて病院から離れて、そこで悪霊に襲われたところまでは覚えてるの。そこから先が起きる直前まで綺麗さっぱり消えてる。なにか忘れてはいけないことがあった気がして、そのことを占い師に聞けたらなって」

「そういった事情なら霊能力者に見てもらってもよかったのか。事故のせいだとばかり思ってたから、いまさらだな」

「霊能力者って本当にいるの? あなたの口ぶりだと信じていそうだけど」


 首を少し傾げながら母親は聞く。それに父親はしっかりと頷いた。


「本物はいる。個人的な仕事を受ける者は少ないのだけどな。国全体を守るだけで精いっぱいと聞いた。個人まで人を回せるほど多くはないのだそうだ。付き合いのある会社が呪いの標的になってな。それの調査に来ていたときに会ったことがある」

「数が少ないということは、なんでも見通せる占い師に会うことは期待できないってこと?」


 占い師に占ってもらうという考えは実行できないのだろうかと未子は思う。


「いないとは言い切れないな。どこかにそんな占い師はいるかもしれないが……俺は知らないな」

「そっか」

「どうしても思い出さないといけないこと? そういった人たちに関わるのは不気味というか、言い知れない不安がある。あまり近づかない方がいいと思うわ」


 よく分からない業界、しかもオカルトに関したことに信用がならず、母親としては力を借りることに賛成できない。


「ただ気になるってだけなら私も思い出そうとは思わないんだけど、忘れちゃいけないって心のどこかで強く思っててずっと思い出そうとしてるんだ。そこまで気になるなら、なにかあったんだと思う」


 真剣な未子には嘘を言っている様子は少しもない。

 嘘を言っていないとしても、両親からすれば理解の埒外にある話であり、なんともいえない。


「そこまで真剣なら思い出そうとすることに反対はしないけど、協力もできないからね?」

「どう協力すればいいのかわからないからなぁ」

「地道にコツコツやっていくよ。お小遣いの範囲で評判のいい占い師に会いに行ったりね。私だって明確にこうしてほしいってわかってるわけじゃないし」


 幽霊だったということ信じてもらえただけでもありがたいことだった。人によっては精神科へと連れて行かれることもあり得たのだ。


「この話はここまで。入院している間にサイズが少し変わって新しい服がほしいんだけど」


 あまり続けてほしくなさそうな両親の雰囲気を察し、未子は話題を変えて新生活に向けての話を始め、両親もそれにのる。

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