第8話 新学年と子猫 3


「不審な影が夜な夜な現れる噂があるって母さんが言ってたな。その猿のことか」


 子猫に襲いかかった猿は間違いなく妖怪だろうと、その正体を探るためスマートフォンで妖怪に関して検索する。 

 狒々(ひひ)か経立(ふったち)のどちらかに絞り、体格や年齢から経立と将義は判断した。

 経立の狙いは簡単に予想できた。子猫を食べて力を増すことが目的だろう。おそらく山の主にでもなるつもりでさらなる力を求めて、力ある動物を狙ったのだ。


「相手のことはわかった。今のお前さんじゃ敵わないこともな」

『あなたならかてる?』

「相手にもならん」


 この程度の敵ならば将義は異世界で飽きるほどに戦い倒している。日本にいる平均的な能力者でも三人集まり、きちんと対策を練れば苦労せず倒せるだろう。


「鍛錬は明日からだ。今日は準備を整えるから大人しく寝てろ。明日からはきついぞ」


 将義は子猫をタオルに下ろして、そのまま寝かせる。

 子猫もそれに従って丸まり目を閉じた。

 将義は自分が寝ているように小細工をして、窓から外へ出て、未子と一緒のときは比べものにならない速度で海へと飛ぶ。月明かりを反射する明かり以外は真っ暗な海が見えると、陸地から遠く離れてから結界をまとって水中に飛び込む。暗視の魔法を使い、暗い海中を進み、海底で止まる。


(『回収』)


 魔法を使い、広範囲にわたって少しずつ海底の砂や土や海水をもらっていく。一ヶ所だけが極端に減っていれば、怪しまれるのはわかっている。だから怪しまれない程度に浅く広く回収したそれらは、いつも使っている影の倉庫とは別の収納空間を作り、そこにいれていった。その空間は広めに作っていて、区一つ分の広さがある。高さは二十キロメートルほど。


(十分な量を回収したかな。ひとまずはこれでいい)


 海中から飛び出し、家を目指し飛ぶ。

 家を出てから一時間足らずで家の上空に帰ってきて、海水などを入れた空間に空気を入れてから将義も入る。

 空間の上空に浮かび、眼下を見る。そこには砂と土が混ざって濁った海水が広がっていた。


「『分離』『移動』」


 将義は海水と土と砂を分離し、海水を南東へ、土を北西へ、砂を海水と土の接触する部分に置く。

 眼下の光景が大雑把に三色にわかれた。


「『分離』」


 次に海水と土砂から塩を抜いて、塩の塊は影の倉庫に放り込む。


「『移動』」


 次は土を砂の下へ移動し、砂をその上に広げて波辺を作り出す。

 さらに北西を山のように高めに土を盛り、山、凹凸のある平地、浜、湖という風景を作り出した。木どころか雑草すら生えていないため山と平地は茶色一色という殺風景だ。


「とりあえず見た目はこれで完成。本格的に土地を作ろうとしたらネットで調べないと、地層の順番とかわかってないしな」


 仕上げに明暗の光調整、温度調整、南西からの緩やかな風、雨などの水の循環を行い作業を終える。


「今日はここまでにしようか、それとも山に行って木とかも取ってこようか……一晩徹夜したくらいじゃなんともないし、山に行ってこよう」


 空間から出た将義は十以上の山を巡って少しずつ木や植物の種や土を回収していく。

 隠蔽の魔法のおかげで、山にいる妖怪や精霊は将義の存在に気づくことはなかった。

 また回収を終えた将義は家の上空に戻り、作りかけの空間に入る。

 山と平地に回収した土をばらまいて、二十本の木を山にまばらに植え、種は平地にまく。


「あとは空間内の時間を加速させて終わりだな」


 ずいぶんと魔力を使ったため、時間加速は普段から溜めこんでいる魔力を使うことにする。一日で五年くらいの時間が経過するように調整して空間を出た。

 部屋に戻ると時計は午前三時を示していた。三時間眠れるならば十分だとベッドに入り、すぐに寝息を立て始める。

 朝になり目を覚ますと減っていた魔力は全体の七割まで回復しており、気怠さなどもなかった。

 起きた将義は身支度を整えつつ子猫に話しかける。


「準備は整った。夜に鍛錬を開始するから。昼は寝ておくようにな。しばらく昼夜逆転の生活になるぞ」

『わかった』


 了承の返事をする子猫に餌と水を与え、将義は鞄を持って部屋を出る。

 夕方になり学校から帰ってきた将義は、いよいよ始まるのかと起きた子猫に夜になってからだと言って、宿題や復習をすませる。

 家族との夕食などもすませて部屋に戻ってきた将義は空間の時間加速を止めて、子猫とともに入る。

 虫などがいないため環境つくりが甘く、草花が多く広がっているということはないが、それでも茶色一色という殺風景なものからは変化があった。

 虫や鳥の鳴き声はなく、あるのは風が草を揺らす音と波の音くらいか。


「ここが鍛錬用の空間だ。ちょっと広すぎるが、強くなれば戦闘の移動でこれくらいは使うようになるだろうさ」


 もっとも経立猿に勝てるくらいでは、ここまでの広さを使うことはない。もっと強い、神話に名の出てくる、怪物との戦いならば、このくらいの広さを必要とするだろう。


『ここはどこ?』

「どれだけ暴れてもいいように作った場所だ。夜のうちはここで鍛錬して、昼は俺の部屋で寝るって感じだな」


 空間を作るということが理解できず子猫はよくわからないといった感じで周囲を見ている。


「さて準備っと。『陣』『永続』『回復』」


 将義のすぐ近くの地面に白い光を放つ円が現れる。


「怪我をしたらここに入れば十分くらいで元気になる。死ななかったら治せるから、ここに入れる程度の体力は残しておけよ。次はお前の毛をもらうぞ」


 将義は子猫の毛をハサミで少し切る。


「『陣』『永続』『影身』」


 回復用の円陣の横に紺色の円陣が現れ、その中に真っ黒な子猫が現れた。

 その子猫は影がそのまま子猫の形となったもので、円から出ずに大人しく座っていた。


「この影の猫はお前とまったく同じ身体能力と妖力を持つ。違いもあって、それは自分ができることを把握しているってことだ」

『どういうこと?』

「実際に戦ってみればわかる。影ができることはお前もできるってことは覚えておくといい。この影に余裕を持って勝てるようになれば鍛錬の一段階目は終わりだ。一段階目が終わったらお前の妖力を増加してやるよ」


 最初の鍛錬は子猫自身ができることを把握させるという狙いと戦いに慣れることを目的にしている。


「じゃあ鍛錬開始だ」


 将義の言葉が終わると同時に影猫が円陣から飛び出てくる。

 影猫はそのまま高速で子猫へと接近する。その速さに子猫は不意を突かれて、体当たりを受けた。

 ごろごろと地面を転がりよろけつつ起き上がった子猫に向けて、影猫は大きく一鳴きする。その鳴き声は妖力がのっていて、起き上がった子猫をまた地面に転がした。

 なにがなんだかわからないと混乱している子猫に影猫がとびかかって、妖力で強化した前足を叩きつけた。


「ギャン!?」


 子猫は悲鳴を上げて、動かなくなる。同時に影猫もその場から消えて陣の中に現れた。

 影猫は子猫が気絶したら陣に戻る設定になっていた。ほかに殺さないように手加減するようにも設定されている。殺さないだけで重傷は負うので、気絶したりするとそのまま死ぬ可能性はあった。


「おつかれさん」


 将義は影猫をひと撫でして、気絶した子猫を回復陣に入れる。

 ダメージはそう大きくなかったのだろう五分もせずに子猫が起きた。

 その場にあぐらで座り影猫を撫でる将義を子猫は睨む。


『同じじゃなかった』

「いや同じだ。だけど力の使い方をこいつは知っていた。それだけの違いで、あれだけの差が生まれる」

『……知ることはだいじ?』

「大事だな。続けるだろう?」

『やる』


 やる気を見せた子猫へと影猫を向かわせる。

 影猫の速さを知ったため今度は不意を突かれることなく、子猫は影猫の突進を避ける。力の使い方が甘い子猫では今は避けることが精いっぱいで、反撃もできずにいる。やがて攻撃を受け、それで機動力を潰されてダメージが重なり気絶した。

 将義は再度子猫は回復陣に連れて行き、目が覚めるまで待つ。


「起きたね。俺は部屋に戻る。次からは気絶から起きたら自分で陣に入るように。影猫は戦う意思を告げたら陣から出てくるようになってる。わかった?」


 子猫が頷き、影猫へと戦いの意思を鳴いて伝える。それで影猫は陣からでてきた。

 戦闘を始めた子猫を置いて将義は部屋に戻る。

 子猫の戦いはまずは戦闘時間を延ばすことから始まった。少しでも長く戦い、さまざまなことを学ぶ。力の使い方はもちろん、動き方、攻撃の仕方、フェイント。親から教えてもらった狩りではない、戦いのための動き。自分になかったそれを貪欲に学ぶ。

 学んで学んで学び続けても一勝は遠い。本当に自分と同じなのか何度も疑うくらいに影猫は自分以上に強く巧い。

 次第に経立猿のことは忘れ、影猫に勝つことだけに集中していった。

 戦い、気絶して、回復して、また戦う。繰り返して何度戦ったかわからないくらい時間が流れて、将義が再び姿を見せた。


「今日はここまで。もう朝だから帰るよ」

『わかった』


 素直に頷いた子猫は疲労困憊といった様子で地面に倒れ眠る。

 回復陣で疲労もなくなっているが、精神的な疲れまではとれていない。


「おー、頑張ったな」


 子猫を抱き上げた将義は、餌と水の準備をして寝床に子猫をそっと置く。

 起こさないよう部屋の中の音が小さくなる魔法を使って、学校へ向かった。

 子猫は昼前に起きて、餌を食べるとまた眠る。そして夜に鍛錬空間へと連れて行ってもらう。

 子猫が影猫に一勝できたのは三日後のことで、互角の勝負ができるようになったのは鍛錬を開始して十日後のことだ。

 魔力の放出で高く跳ぶ、空中を蹴るといった初日とは見違えるほどの動きを見せて影猫と戦う子猫を見て、将義は頷く。


「うん、強くなった。第一の鍛錬合格だ」


 戦いを中止させて子猫を呼び、そう告げる。


「第二の鍛錬に行く前に力をやろう」


 将義は影から紫色の宝石のようなものを取り出す。大豆ほどの大きさのそれは、将義の魔力を凝縮したものだ。

 数値で表すならば、百の力を凝縮して生み出されたものは一の力を増加させる代物になる。将義が子猫に渡すそれに込められている力は百などではない。これを使えば子猫の妖力を五割増しできる。

 こういった代物は地球にもあるが貴重品で、売りに出されると高値がつく。しかし将義にとっては余りまくっている魔力を使って作ったもので、いくらでも倉庫に転がっているものだった。


「これを飲み込めば、時間をかけて力が体になじんでいき妖力が増える」


 差し出されたそれを子猫をコクンと飲み込む。まったく怪しむことなく飲み込んだのは、将義が本当に強くしてくれたことで信頼するようになったからだろう。


「じゃあ第二の鍛錬の準備をするか。次の鍛錬もこの陣を使うよ」


 将義は影猫が出てきていた陣を指差す。


「『拡張』『記憶』『加減』」


 陣の中にいた影猫が陣に溶けて、紺色だった陣が明るくなって青色の光を放つ。


「この陣には俺がこれまで戦った魔物とかの情報が入った。出てくる影はお前の影じゃなくて、俺の戦ったことのある魔物の影だ。強さはそれらそのものじゃない。お前と同程度になるように調整してある。お前には出てくる魔物と戦って百勝してもらう」


 百人組手ならぬ百匹組手だ。


『ひゃく?』

「あー、数は理解できないか。たくさん勝ってもらう。そしてこの陣からこういった光がでたら鍛錬は終わりだ」


 将義がパチンと指を鳴らすと、青の陣から小さな打ち上げ花火のような光が出てきた。


「これなら終わりがわかるだろ。やることはわかったか?」

『たくさん勝つ』

「その通り。とにかく戦いまくればいい。とりあえず一回やってみるといい。影猫のときと同じように戦いの意思を告げてみな」


 青の陣に向けて子猫が鳴く。

 陣の中に暗闇の塊が生じ、それがワニの形をとり、陣から出てきた。

 早速子猫とワニは戦闘に入る。

 この鍛錬の狙いは力量アップよりも経験を積むことにある。これまでは戦い方が変わらない相手との鍛錬だった。それで子猫は強くなったが、影猫への対応力が育った状態だった。それではほかの妖怪などと戦ったときに意表を突かれて負ける。

 いびつな成長の矯正と対応の幅を増すというのが第二の鍛錬の狙いになる。ついでにさまざまな敵を見て、技を増やすヒントにもなるだろうという狙いもある。

 かくして子猫の挑戦と苦戦が再び始まる。最初はやはり影猫のみとの戦いによる経験不足で負けることもあった。十体目までは負けたあとに勝つといった感じで進み、二十体目くらいになると辛勝ながら初見クリアもあった。五十体目までいくと対応力や判断力が育ち、一日で五勝することもあった。

 たまに様子を見に行くと将義は陣を操作し、すでに勝っている魔物を再出現させた。その魔物の戦い方を覚えているか、経験を糧としているか試すためだ。

 きちんとした目的のある子猫は、経験をしっかり自身のものにしていたようで、すぐに攻撃パターンなどを思い出し、以前戦ったときよりも楽に突破する。

 八十体を超える頃には、初見殺しの能力を持った魔物に負けることはあっても、ただ強いだけの魔物に負けることはなくなっていた。

 そうして子猫はラスト七体をいっきに突破して、第二の鍛錬の合格を掴みとった。

 第二の鍛錬を始めて約一ヶ月、ゴールデンウィークも過ぎた五月半ばのことだった。

 この間に将義は望んだ通りの穏やかな学生生活を送ったり、力人と一緒に日雇いのバイトをやったり、新しくできた友達と遊んだりしていた。それ以外に子猫の仇である経立猿の動向も探り、居場所を常に把握していた。

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