第2話 帰還 後編
「さてと、なにしようかな。またごろごろしてもいいけど……そうだ勉強しよう。高校で習ったこと忘れてそうだし、このまま春休みが明けて授業が始まったらついていけないかもしれない」
それがいいと高校一年で使った教科書とノートをテーブルそばの床に置く。
なにからしようかと手に取った教科書は数学で、これでいいやとノートを開く。
以前はやる気がでなかった勉強だが、今は集中してやることができている。楽しいというわけではないが、召喚された世界で知識や情報は大事と身に染みていた。どのようなことでも身に着けていれば、危機的状況を打破するヒントになったのだ。といってもそれまで学んだことすべてが役立ったというわけでもない。しかし真剣に学んでいればよかったと後悔したこともある。だから将義は学べるときに学んでおくと決めたのだ。
やる気が伴えば集中力の維持も容易く、召喚前とは比べものにならない速度で勉強がはかどる。わからないところがあればスマートフォンで解説動画を探し、理解が進む。あっという間に三時間が過ぎて、喉が渇きを感じ休憩することにした。
「いやー、きちんと理解できると勉強もはかどるはかどる。少し楽しくもなってきてたし。ほかの教科もこんな感じなら春休みは勉強漬けで終わるかもしれん。それがまったく嫌じゃないし、召喚前の俺からしたら信じられないことだろうなぁ」
将義が一階に下りて台所に行くと、リビングのソファーでテレビをつけたままにしてうつらうつらとしている母親の姿があった。
将義が冷蔵庫を開ける音に気づき、母親は起きる。
「あ、起こした? ごめんね。疲れてんの?」
「少しね。午前中に婦人会でテニスをしてきたから。皆でわいわいするのは楽しいんだけど、若い頃より疲労が溜まりやすくなってるわ」
「そっか」
「あんたはなにしてたの?」
「少し復習したり、ネットをやったり」
母親はぱちくりと瞬きして、将義を見つめる。
「勉強? 私やお父さんから言われずにやるのは珍しい。そのやる気が続いてくれると嬉しいんだけどね」
「善処するよー」
わざとその気のない返事をして、将義は水を飲んでコップを洗い、水きりかごに置く。
母親は視線をテレビに戻す。
部屋に戻った将義は勉強に戻らず、魔法の準備を始める。人差し指を床に向けて、魔法を発動させる。
「これくらいの親孝行はしないとね。『隠蔽』『陣』『継続』『安静』『回復』」
家の下、土の中にリラックスできる魔法と疲労回復の魔法を組み合わせた魔法陣を敷く。もちろんこれも隠してある。
母親だけではなく、父親の仕事疲れもとれるように、いつまでも元気でいてほしいという想いが篭った魔法だった。
「これでよし。じゃあ夕飯まで勉強再開するか」
母親に呼ばれるまで集中し、勉強を続けた。
今日のところはここまでとして勉強を止めて一階に下りると、同じタイミングで父親が帰ってきた。
「あ、おかえり」
「ただいま」
早人を見た父親は、玄関を開いたまま少し固まる。首を傾げた将義を見て父親は我に返り、玄関を閉めて靴を脱ぐ。
「お前身長伸びたか?」
「え? いやそんなことはないと思うけど」
召喚された先で鍛えたことでたくましくなったが、いきなりそのような体に変化すれば怪しまれることはわかっていた。だから魔法で肉体を操作し表面上は召喚前のものに戻しているのだ。
「一瞬大きく見えたから、身長伸びたのかと思った」
「なんだよ、それ」
母親と同じく父親も自身の変化を感じ取ってくれたことが嬉しく、将義は笑いながらリビングに入る。
リビングには酢の匂いがかすかに漂っていた。
将義に続いてリビングに入ってきた父親もその匂いに気づく。
「母さん、ただいま」
「おかえりなさい」
「今日の夕飯はなんだい?」
「今日は白身魚の甘酢あんかけよ。お味噌汁は豆腐とほうれん草が入っているわ」
メニューを聞いて父親はうんうんと頷き、着替えるためリビングを出ていく。
将義はおかずや茶碗をリビングのテーブルに並べるのを手伝い、父親が戻ってくるのを待つ。
すぐにラフな格好で戻ってきた父親も座布団に座る。
「いただきます!」
皆がそろい、将義は早速食べ始める。上機嫌だと一目でわかる将義の様子に父親は不思議そうだった。
将義は甘酢あんかけを一口食べてよく噛み飲み込む。そして母親に笑みを向けた。
「美味い! 酸っぱすぎなくて甘さもちょうどいいよ」
「ふふ、ありがとね」
「えらく上機嫌だな。そんなに美味いのか。どれ」
父親も甘酢あんを一口食べて、咀嚼しつつ何度か頷いた。たしかにいつもより美味い感じがした。
満足そうな父親に母親の笑みが深まる。やはり作った者としてはこうした感想がある方が作り甲斐があるのだ。
「うーん、ご飯が進むな。今日は気合いが入っているみたいだが、なにかいいことでもあったか?」
「昼にこの子が本当に美味しそうに食べてくれたものだから、夕飯はちょっと気合いいれようかなって」
「昼はなんだったんだ?」
「あまりもので作った炒飯よ。特に手の込んだものでもなかったわ」
「それがそんなに美味かったのか?」
父親が将義にむけて聞く。将義は大きく頷いた。
「美味かったよ。それと午前中のテレビで感謝の思いを伝えるのは大事って言ってたんだ。それを聞いて普段から言ってたっけと思い返して、そういや言ってなかったなーと」
「そういうことだったのね。急に感想を言い出すものだからなんでだろうと思ってたわ」
「感想か。俺も言ってなかったなぁ。うん、母さんいつもありがとう。今日のご飯もだけどいつも家のことを頑張ってくれて感謝している」
「あなたまで急になに言いだすの」
まったくもうと笑う母親の目がわずかに潤んでいる。
仲の良い夫婦の姿を見ている将義はニコニコとしながら夕飯を食べる。この光景を見ることができただけでも戻ってきた甲斐があるというものだった。
穏やかな団欒は夕食が終わっても続き、家の中が幸福に包まれているかのようだ。
夕食が終わり、将義は家族と一緒にテレビを見てすごす。バラエティーを見て両親と一緒に笑い、クイズ番組に一緒に頭を悩ませる。
将義だけではなく、両親も充実した時間を過ごし、そろそろ就寝という時間になった。
「おやすみー」
「ああ、おやすみ」「おやすみ」
両親からの返事を聞き、将義は部屋に戻る。
ベッドに入る前に見張っている男はどうしているのかと、外の天気を見るふりをして窓を開ける。
立ち位置は昼と変わっているが、相変わらず将義の家を観察している男がいる。
(いろいろとばれてないな。よかったよかった)
確認を終えた将義はカーテンを閉じて、窓に鍵をかけてベッドに入る。
寝ているうちに回復する分の魔力を魔力貯蔵用の倉庫に入れてから目を閉じる。普通に暮らすならばやらなくてもいいのだが、日課になっていて自然とやっていた。
魔物の襲撃やこちらを観察してくる人間の視線を気にしないでいい、無警戒な睡眠ができることを喜び、将義は睡魔に身を任せる。
安全な場所、なにより両親が近くにいるという安堵感もあり、心地よい睡眠を得る。夢も見ないほどに深く深く眠り、時間が流れていった。
翌朝、快適な目覚めをしたのは将義だけではなかった。魔法のおかげで両親もまた前日の疲れなどまったくない状態ですっきりとした目覚めができていた。
若い頃のような気力の充実具合に両親は不思議だと思っていたが、昨夜の穏やかな時間のおかげだろうと思う。
「おはよう!」
将義の挨拶に両親から元気な挨拶が返ってくる。魔法が十分な効果を発揮したことに内心満足し、身支度を整え、朝食の席に着く。
朝食も美味しそうに食べる将義と父親に、母親は笑みを浮かべていた。
父親が溌剌とした様子で仕事に向かい、母親も家事を始める。
「将義。ちょっと手伝ってほしいんだけどいいかしら」
洗い物を終えて手を拭きながら母親は、ニュースを見ていた将義に声をかける。
「なにをすればいいの?」
「ちょっと気合いをいれて掃除をしようと思ってね。家具を動かしたいの」
「わかった。どれから動かす?」
素直に頷いてくる息子に「ありがと」と返し、まずは寝室から始めようと手招きする。
掃除は順調に進んだ。将義が軽々と家具を動かしていったためだ。
「いつのまにか、体力ついたわねぇ。助かるわ」
「これくらいなら楽勝だよ」
数日にわけてやるつもりだった掃除が一日で終わりそうだという母親の予想は外れることなく、父親が帰ってくる頃には屋内の掃除はあらかた終わっていた。
年末の大掃除でも残っていた汚れがなくなり、清々しい雰囲気が屋内に満ちている。
掃除が順調に行き過ぎて夕食の買い物に行くには遅い時間となり、夕食は店屋物になる。
将義としては店屋物も美味しかったが、母親の料理が一番だなと再認識することになった。
翌日も母親は掃除をやろうと予定を立てていた。次は屋外の掃除で、将義はそれも手伝おうかと聞く。だが草抜きや掃き掃除くらいしかないため、十分に手伝ってもらったと母親は断り、自分のやりたいことをやりなさいと言って草抜きの準備を整えていく。
「昨日やれなかったし勉強をやるかな」
友達からの誘いなどがあればそっちに行ったが連絡はなく、昨日掃除に集中したためできなかった勉強をやろうと部屋に戻る。
今日は英語を選び、ネットで発音などを確認しながら勉強していく。昼を食べても英語の勉強を続けたが、午後からは勉強方法を変えてみようと思い、ネットで英語の小説が載っているサイトを探し、辞書を片手に読んでいく。ある程度読むと、翻訳されたものを読んで、訳があっているか確かめて、本来の内容と自分の訳の差異を確かめていった。やる気があるならば、クイズのようで楽しめる勉強方法だった。
そして夜になり将義は家を監視していた男の気配が遠ざかっていくのを感知した。
一応男の思考を探り、ばれなかったことを確認してほっと胸をなでおろす。
◇
将義の家を監視していた男は監視を終えて、車で自宅に戻る。
仕事は終わりではなく組織への報告と報告書作りが残っている。だが今日のところは疲れを癒すためなにもせずにビールを飲んで寝ようと考えていた。
「なんでかあまり疲れてないんだよな。まあ、見張りだけだったから気を張らなくてもよかったし、たいして疲れないのも当然か」
疲れてはなくともきちんとした場所で眠れていないので、ベッドで眠りたい誘惑はある。それに抗うことなく買ってきたビールとつまみを飲み食いし、いい気分でベッドに横たわった。そのまま寝ようとしたときスマートフォンが鳴る。
「なんだよ、いい気分だったのに」
画面を見ると、組織からの連絡だった。無視することはできないと寝転がったまま電話に出る。
「はい、門倉ですよっと」
『こちらは裏堂会第五支部事務所です。依頼から数日経ちましたが、経過はどうですか?』
「本日で観察は終えました。今は家に帰ってきて寝ようとしたところですね」
『ああ、それは邪魔してしまいましたね。申し訳ありません。報告はいつになります?』
「明日の午前中に報告書を作るつもりなんで、早ければ午後三時くらいにそっちに行けますね」
『そうですか。ちなみになにか異変はありましたか?』
「俺が見たかぎりではなんも」
『でしたら、報告は明後日の午前でもかまわないですよ』
「じゃあ、そうさせてもらいますわ」
『わかりました。ゆっくりお休みください』
門倉はスマートフォンの電源を落とし、今度こそは目を閉じたのだが、またすぐにスマートフォンが鳴る。
今度は誰だと確認すると同業者からだった。無視すれば鳴りやむだろうと思っていたが、一分を過ぎても鳴りやむことはなかった。眠れず仕方なく電話に出る。
「はいはい、門倉だ」
『おー、ようやくでたか』
「なんだよこっちは一仕事終えてようやく寝ようとしたんだぞ」
『ちょっと人手のいる仕事を手伝ってもらいたくてな。今からでられるか? 県外なんだが』
「無理だ。酒飲んだし、明日までに仕事の報告書を作らないといけない。そっちに行ったら報告書を作る時間なくなるだろ」
『なんとかならないか? 霊道が乱れて、たちの悪い霊があちこちにあふれでそうなんだ』
「霊道なぁ。どこのだ?」
『お前の住所は佐備方(さびかた)市だったな? そこから西へ五十キロのところにあるやつだ』
電話の相手が告げた霊道はここらで一番太いもので、そこが乱れたとなるといらぬ仕事が増えそうだった。少し乱れるくらいなら稼ぎ時ともいえるが、相手の言い方では少しどころの騒ぎではなさそうだった。
「……仕方ない。だが言ったように酒飲んでるから、運転はできんぞ。迎えをよこしてくれ」
『助かる! ほかの奴にも声をかけているから、近くにいる奴に迎えに行ってもらうことにする。たぶん二十分もせずに着くはずだ』
「あいよ」
電話の相手はありがとうと言ってから電話を切る。
門倉はのろのろと起きて、裏堂会第五支部に連絡を入れる。急な仕事が入って、報告書の提出が遅れるかもしれないと伝えておくのだ。幸い霊道の乱れは裏堂会も把握していたようで、報告書の提出が遅れることを了承してもらえた。
眠気を覚ますためシャワーを浴びながら、どうして霊道が乱れたのか考える。
霊道は文字通り霊が通る道。物理的な干渉ではそうそう乱れないし、今回の霊道は太いため安定感も通常のものと比べものにならない。
それが乱れる原因など大地震といった天災くらいしか門倉には思いつかないが、最近はそのような天災はなかった。
「馬鹿な研究者がやらかしたか?」
原因が自身の見張っていた家にあるとは思わず思考を巡らせていく。
将義は自身の帰還を隠蔽したが、完全には隠しきることはできていなかった。地球に帰ってきた際に、水面に波紋が広がるように世界に緩やかな波が広まっていったのだ。
その波を感じ取った者はいた。だがなにかが起きたことはわかったが、将義が隠したためどこでなにが起きたという詳細は誰も掴めていない。
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