最強な異世界帰還者は平穏を欲す
赤雪トナ
第1話 帰還 前編
「I'm home!」
どこかの家のどこかの部屋に突然現れた青年がガッツポーズとともに歓喜の声を上げた。
十六歳ほどで、これといって目立ったところのない普通の男子高校生に見える。着ているものはボロボロな品質の良いとはいえないシャツとズボンで、現代日本で作られたものには見えない。
彼は自身を見たあと、なにかを探るように周りをよく見て頷く。
「隠蔽も成功っと。いやー、あそこに滞在したかいがあった」
満足だという表情ののち、懐かしげに部屋の中を見ていく。
部屋の中には特徴的なものはなかった。テレビと箪笥があり。バンドのポスターが白い壁にはられていて、小さなテーブルとベッドがあり、床には空色の絨毯が敷かれている。本棚には高校の教科書やノートや漫画などが詰め込まれている。
部屋隅には高校の鞄が置かれていて、そのすぐ横に落ちたらしい学生証がある。そこには「大木島高校一年生 九ヶ峰将義(くがみねまさよし)」と書かれていた。これが青年の名だ。
そんな珍しくもないものを将義はとても嬉しそうに見ていった。
「あ、そうだ。今いつなんだろう」
将義はテーブルの上にあったスマートフォンを手に取ると、操作に若干手間取りつつホーム画面までもっていく。長くこれを持たない生活が続き、操作を忘れかけていた。
「三月二十三日……ああ、思い出した! 春休みが始まったって喜んでたんだっけ。なにか用事あったか……思い出せないな。ちょっと魔法で探るか」
将義は目を閉じて右手の人差し指を額に当てる。
「隠蔽は念のためもう一回使っておくか。『隠蔽』『探査』」
将義の右手の人差し指がポウッとわずかに光る。
魔法を使ったということを隠す魔法を使ったのちに、自身の昔の記憶を探るために調査用魔法を使う。
今将義の脳裏には、これまでの記憶が新しいものから古いものへ流れている。必要としていない記憶はどんどん飛ばし、召喚される直前までいっきに巻き戻し、そこから速度を落として三日分くらいの記憶を見る。
地球時間でいうと今は、将義が召喚された十分後くらいだ。だから将義が見ている記憶は地球時間の昨日一昨日そのまた一日前となる。
召喚されてここに戻ってくるまでに七年の時間が過ぎていて、自力で思い出すことができなかった。
「んー……特に約束とかはないな。じゃあのんびりしようか」
スマートフォンをテーブルに置いて、ベッドに寝転ぼうとして着替えた方がいいと思い、クローゼットから替えの衣服を取り出す。
脱いだものはどうしようかと少し悩む様子を見せて、自身の影に落とす。すると脱いだ衣服はそのまま影に沈んでいった。これも召喚先で身に付けた魔法で影の中に倉庫を作り、保管しておくことができるのだ。影の中にはいろいろな物が保管されていて、召喚された世界の珍しい物などもある。
「あれも思い出の品だしとっておこう。まあ、あまり良い思い出はなかったけど」
嫌なこと思い出したと顔を顰め、さっさと記憶の端に押し込む。
将義は今度こそベッドに寝転ぶ。その表情はとても緩んだものだ。
「あーっなにも警戒せずにごろごろできる幸せ! たまらん!」
なにもせずただこうして寝ることだけでも将義にとっては満たされたものがあった。
贅沢な時間を過ごしていると満足感に浸り、二時間近く飽きずにぼんやりしていた将義の表情が引き締まる。
身を起こした将義は鋭い視線で壁を見る。壁の向こうにこちらを観察する視線を感じたのだ。
「『隠蔽』『透視』」
魔法を使った将義の目には壁が透けて見える。そのまま視線の主を探すと通行人を装ってこちらを見ている男がいた。
二十歳ほどの男で、着ているものはトレーナーにアイボリー色のチノパンというありふれたものだ。しかし周辺の人間よりも霊力や魔力といった保有エネルギーが高い。
「ああいった人はこっちにもいたんだな。んでどうしてここを見てるのか。俺のことがばれた? いや魔法を使ったことに対してなんのアクションもとってないし、ばれてはないっぽい」
探らせてもらおうと将義は魔法を使う。
「『隠蔽』『探査』」
将義の家を見ている男は魔法を使われたことに気づいた様子がない。
将義は男のプライベートな記憶を見ないようにして必要とする情報を探っていく。ついでに地球の裏舞台に関した情報ももらっていく。裏に関わる気はまったくなく、前もって知っておくことで避けることができると考えた。
将義は強さで言えば地球上でもトップクラスの自信がある。それだけの力を鍛錬で身に付けた。その力がなければ帰れないと思っていたから、一生懸命に鍛えたのだ。
そうして身に付けた力を地球で生かそうとは思わない。戦いやトラブルはもうお腹いっぱいだった。命を懸けた戦いも数秒先の生死が不明な危機も十分すぎるほどに経験した。今の将義がほしいのは平穏だった。誰も、なにも、警戒せずにすむ日常こそが心底欲しているものだった。
二十分ほど探り続けて、将義は魔法を止める。
「なるほど、たしかに来るわな」
納得したように頷く将義。
男は空間の揺らぎの調査依頼を受けて、ここを観察していた。その揺らぎは将義が召喚された際に起きたもので、それに関しては将義が隠しようがなかった。
帰還の際にも揺らぎは起きたが、そちらは隠すようにしていたため向こうに把握されていない。
「揺らぎを感知しただけで、なにが起きたかまでは把握してないようだから普通に過ごしていれば問題ないな」
情報を探った男は連日の激務で疲れているようだったので、情報の礼としてこっそり疲労回復の魔法を使う。
この魔法も隠蔽の魔法を使ってばれないようにしたため、男が不自然に思った様子はない。いっきに回復するのではなく、徐々に回復するようにしているということも不自然に思わない要因だろう。
これでよしと将義は再びベッドに寝転がり、得た情報をぼんやり思い返していく。
「陰陽寮とか創作物だけの存在と思ったんだけど実在したんだなぁ」
外で将義の家を観察する男が所属する組織が陰陽寮で、現代日本で起きている超常現象への対処に当たっているということだった。
そういった組織はもう一つあるようで、そちらは裏堂会と呼ばれるものらしい。陰陽寮と裏堂会の違いは歴史の長さくらいで活動内容に大きな違いはない。
陰陽寮の歴史は長く、表舞台にあった陰陽寮とは違う組織だ。伝統を重んじるところがあり、古い家を優遇するところがある。そういったところに嫌気を感じた者が、江戸時代初期に組織を抜け新たな組織を作った。それが裏堂会だ。
かつては反目していた両組織も今では仲良くとまではいかないが、それなりの関係を築いている。
「ああいった組織は日本だけじゃないだろうな。海外にもあるはず。調べてみるか……いや止めておこう。海外旅行に行くなら関係するかもしれないけど、行かないだろうし。調べるにしてももっと慎重にやらないと気づかれる可能性もあるしね」
それになにより久々の穏やかな日常を満喫したかった。
将義は裏のことを考えるのを止めてひと眠りしようと目を閉じる。
二十分ほど眠って誰かが玄関を開けようとしているのを察知して起きた。
部屋の外から「ただいまー」と女の声が聞こえてきた。
「あ、母さんじゃん」
生みの親の声を忘れていたことを恥じながら、身を起こして部屋から出て一階に下りる。
母親はリビングに移動していて、将義もリビングに入る。
「おかえりー」
買ってきた食材を冷蔵庫へと移している母親の姿を見て将義は思わず涙ぐみそうになった。熱くなった目頭をそっと押さえる。
将義の感覚でいうと七年ぶりくらいの親との再会だった。ずっと帰りたい、両親と会いたいと願っていた。それがようやく叶ったことが胸が裂けんばかりに嬉しい。
「ただいま……ん?」
自分を見た母親が首を傾げているのを将義は不思議そうにしている。
「どうしたの? いきなり首を傾げて」
「いや、なんというかいつもと違うような気がしたんだけど。髪型とかは変わってないし……ああ、服が変わったからかしら。なんで着替えたのよ」
自身の変化を完全ではなくても見抜いてくれたことを将義は嬉しく思う。それだけ自分のことを見ていてくれたということなのだから。
「特に意味はないけど。テレビでラッキーカラーがこれだって言ってたから?」
「……あんた占い信じてたっけ? まあいいわ。そろそろお昼だから炒飯でも作るわね」
「炒飯、楽しみだなー」
「炒飯でそんなに嬉しがるなんておかしな子ね」
くすくすと笑いながら母親は買ってきた物を冷蔵庫に入れ終えて、炒飯の材料を中から取り出す。
リビングに置かれているソファーに座りテレビをつけて、テレビから聞こえてくる音を聞きつつ母親が料理する姿を眺める。
以前は見慣れていた当たり前の光景が今はとても大事で、この穏やかな日常の中でずっと過ごしていたいと心底思う。
「なにぼーっとしてるの? できたから食べるわよ」
「いよっまってました!」
運ばれてきたなんの変哲もない炒飯を前に、将義はごちそうと言わんばかりの反応をしてすぐにスプーンで炒飯をすくい口に運ぶ。
味は特に美味と呼べるものではない。これ以上の料理を食べたこともある。だが今の将義にとってはなににも勝る料理だった。手を止めず次々に口に運ぶ。
とても美味しそうに早いペースで食べる息子を見て、母親はそこまで腹が減っていたのかと思う。
(こういう味だったなー。魔法を使って味を思い出したことはあるけど、やっぱり実物には敵わないな)
将義の皿からあっという間に炒飯がなくなり、ごちそうさまでしたと感慨深く言う。
「おいしかったよ」
満足そうに感想を言う将義を、驚きの表情で母親は見返す。
「珍しい。いつもはそんなこと言わないのに」
「ほんとにおいしかったしね。夕飯も楽しみだー」
「そんなに喜んでもらえると腕によりをかけて作りたくなるわね」
「普通でいいよ。いつもの料理で十分おいしいし」
いつになく褒めてくる息子に照れた様子を見せる母親。
そんな様子を将義は笑い、空になった皿をシンクへと持っていく。水を飲んだあとはまた自分の部屋に戻る。
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