完全な勝利と完璧な青 「因果ってものを、見られたでしょ」

『はっはっは! これはすごい。”全滅”したのは初めてだ』


 静かでたまらないテスト空間に、ホウライの大きな笑い声が響く。耳障りなアナウンスの中に拍手がまざり、ホウライの後ろで他の研究員たちも笑っているのが聞きとれた。


『本日のクエスト及び実験は終了です。今回のクエストでもっとも多くポイントを集めたのは……』


 わざとらしく間をあける。後ろで研究員がまだ笑っている。


『被験者、唐梅。とそのNPCです。おめでとうございます。日本近畿地区会場の生存者はたった一組。いやあ、すごいですねえ。おかげで賭けに負けてしまった』


 もうホウライが何を言おうと、僕は驚かない。全滅、たった一組という言葉にだけ反応する。

 絶対に動くまい、何も見るまいとする目を強引に動かす。


 静まり返ったテスト空間の中央を見る。


 ついさっきまで暴れていた悪属性のNPCたちが、血を流して床に転がっていた。腹や背には赤い光線が突き刺さり、未だ鈍く光を放っている。


 その主人である被験者たちも、同様に血にまみれていた。あの少年が、目をつむって動かないドラゴンに寄り添い、血の海に沈んでいる。


 倒れているのが彼らだけ……だったなら、よかったと思う人間もいるだろう。でも、そうではない。目だけでは追えずに首を動かす。


 NPCの死骸の裏に、隠れていた被験者たちの姿があった。ただおびえて、惨劇が過ぎ去るのを待っていた善良な人たちだ。表情にもうおびえは見えない。それなのに……赤い涙を流し、泣いている。


 半分凍った体にムチを打ち、テスト空間の全体を見渡そうとする。


 探す。ホウライの言葉を信じずに、探す。


 赤い光線が、釘のようにして点々と遠くに続く。その釘の下に、人。人。人。


『死体を回収。さっそく研究に回せ』


 ぼそりとつぶやいたホウライの指示を聞き逃さない。だが、反応もできない。


『生き残った被験者の方は休憩用フィールドに移行してください。次のクエスト及び実験が配信されるまで、そこでお待ちを』


 延々と続いて見えたテスト空間の奥に、穴が出現した。相棒が僕の首根っこを引っぱって、ずるずると引きずり穴へ向かう。


 引きずられながら、釘を見る。赤い釘が目の前を通りすぎ、視界から消えては現れる。


 瞬間、脳に電流が走った。弾かれ、僕は暴れだす。掴まれている学ランの襟が破けた。


 相棒の手から逃れて飛びだし、釘と死体の中を駆ける。


「……砂漠蔵」


 死体の山。その中の一つを抱き起こす。短い光線に胸を裂かれ、黒い大きな動かない猫を抱えている。制服のシャツをまっかに染めた、金髪の少女。


「……来てたんだ。唐梅」


 薄く目を開け、砂漠蔵がつぶやいた。


「……きみ……。……消える、って……この、実験、に……」


 もしやとは思っていた。だけど、本当に参加していたなんて。


 あのあと、逃げるように僕はここへ来た。誰かを救おうだなんて体のいい言い方をしようと、結局は夢が叶いそうにない現実世界から逃げたのだ。


 砂漠蔵はそれよりも前に、最初からここに来るつもりだったのか。


「……ここにいるの……私のせい? ……でも……よかったじゃん。……因果ってものを、見られたでしょ」


 これまでのことを思い返してか、自嘲気味に言う。喋る度、口端から血があふれでる。それでもなお、砂漠蔵は続けた。


「……謝んないよ、唐梅。今までの、こと……。……でも……そう、だね……。……1億、手に入れたら。……欲しいもの、買いなよ……こっちじゃなくて、ちゃんと……あっちで……もう一度……さ……。……」


 砂漠蔵がゆっくりと目をつむる。


 それを待っていたのか、間を置かず後ろから声がした。


「ご主人様。早く行かないと”ドア”が閉じてしまいますよ」


 相棒が呼んでいる。


「死体を見て、楽しんでいるんですか」


 悪属性の、相棒。


 誰かを救おうとここへ来た。そんな自分に与えられた、悪の相棒。


「……ご主人様。楽しんでいるところ悪いですが、一つどうしても、聞きたいことがあります」


 ずし、と肩に重いものがのしかかる。血が染みたごとく赤い包帯の巻かれた、大きな手。強い力で肩を掴み、きしませる。


「どうですか。私の仕事は」


 僕はうつむく。決して悟られまいとうつむく。


 背を丸めた拍子に、近づいた少女の裂けた胸から漂う鉄の臭いをかいで、必死に抑えていた震えがあふれそうになる。うつむいたまま、肩に乗った相棒の手を掴んだ。


 ……こいつの前で、吐いちゃいけない。こいつの機嫌を、損ねちゃいけない。この、悪属性の相棒が今、欲しがっているのは……。


「……は、はは。はは……。……か、感謝、するよ。僕の、ために……戦って、くれて。……。き、きみ……。……きみが、相棒で……僕は……」


 息を吸う。状況と正反対の言葉を相棒に渡す。


「僕は……ついてる」


 後ろで悪属性が笑う。主人の涙を知らずに笑う。楽しそうにすると、きっと世界で一番おぞましい歓迎の言葉を口にした。


「サイバーセカンドへようこそ。ご主人様」






「どういうことかしら。あのホウライが何もしてこないなんて……」


 テスト空間での最初の実験を終え、銀髪の少女がつぶやいた。荒野フィールドの岩壁に立ち、現実世界と変わらない完璧な青空を前に腕を組む。


「いずれにせよ、何か裏があるのは確かね。……それで、あの子の主人は結局誰になったのかしら」


「少年のようです。日本人の」


 後ろに立つ騎士が答えた。青空をモチーフにした、荒野の空に溶けそうなNPCだ。


「ジャパンか……ゲームの強い国ね。きっと、詳しい子が主人になってる。あの子をどう対処したかしら……いや、対処するともかぎらないか。その主人の性格によっては……」


 利用するのに絶好のNPC。


 少女が青い目をぐっとつむった。そして、開く。瞳にうつるのは、完璧な空。曇りなき決意。闘志と、正義。


「いずれ、相まみえることになる。悪属性の頂点と、その主人。このサイバーセカンドで――勝つのは正義。必ず証明するわ。待ってて、パパ」


 一つの正義が青に溶け、一つの正義が血に沈むとき、電脳世界をめぐる戦いは静かに始まっていた。

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