英数字の相棒 「――こんにちは。うら若き私のご主人様」

「……どわあっ!?」


 足を踏みはずす。穴を通ったさきには足場がなく、ガクンと重力に引っぱられた。情けなくべしゃりと下に落ちる。


「くそっ、なんて不適切な”ドア”なんだ……出る場所がおかしい」


 屋上でも上から落ちてきた被験者が多くいた。警戒しておくべきだった。不誠実な機関が用意する不適切な穴から移行し、起き上がる。


 落ちた場所を確認する。白い床。白い壁。知っている景色がそこに広がっていた。


 リビングで見せられた投影映像は、ここの映像だったのか。テスト空間。その名の通り、テスト用紙みたいにまっさらな空間だ。


 あたりを見回す。狭い正方形の空間の中には、何も存在していない。自分以外の被験者の姿もなかった。背後で穴が消え、相棒がギリギリで移行してくる。


「いったい何を実験するんだ……もしかして、もう始まってるのか」


 耳をすますが、ホウライのアナウンスなどはない。


 実験がすでに始まっている可能性を考え、とりあえず行動する。白い部屋のすみに行き、壁を探った。耳を当ててみる。無音だ。


 これまた説明はなかったが、電子空間に閉じこめられた人間がどう行動するか……といったようなことを調べているのかもしれない。となると、今やらされているのは脱出ゲームみたいなものだろうか。


 どっちみち、まずはここを出て他の被験者を探したほうがいい。ゲームに詳しくない以上、一人で行動するのは危険だ。……いや、厳密には一人じゃないな。


 部屋を調べるのをやめて、ふり返った。白い空間に目立ってしょうがない黒い相棒が、中央に立っている。うっすら笑っていて気味が悪い。


 しかし僕は勢いよく飛びだした。警戒心などかけらも持たず、相棒に駆け寄り声をかける。


「やあ。自己紹介がまだだったね。初めまして。僕の名前は唐梅だ。さっきはメガネを拾ってくれて、ありがとう」


 リビングで転んだ際、いつの間にかメガネが戻ってきていた。あれは間違いなく、この相棒が拾ってくれたのだ。それもあって、僕は自分の相棒を見た目では判断しなくなっていた。


 こちらのはきはきとした挨拶に、相棒が何か答える。よく聞きとれない。声が小さいわけではなく、単純に何を言っているのかがわからない。ここではっとする。


 英語だ。相棒は英語を喋っている。


 ホウライの説明を思い出す。サイバーセカンドは不誠実だが、グローバルな機関だ。相棒の話しぶりは、授業のリスニングで聞くような明確な発音の英語ではない。早いし、低い。本格的な英語。


「そ、そう。翻訳ツール! 翻訳ツールを……」


 情報パネルを出す。探すのに手間どっていると、相棒が手を伸ばしてきた。画面の後ろからパネルを巧みに操る。「翻訳」と書かれたアイコンが表示され、指でさし示してくれる。


「あ、ああ。サンキュー、ソーマッチ」


 アイコンをタッチする。NPCのほうがこういうことには詳しいようだ。


「――こんにちは。うら若き私のご主人様」


 相棒が日本語を喋った。


 予想していた翻訳方法と違い、翻訳ツールとやらの精度に驚く。最先端の技術があればこんなことができてしまうのか。自然と笑顔になる。


 それにしても、うら若き主人とは。想像していたよりもずっと堅い喋り方をする相棒だ。


「何言ってるんだ。僕たちはコンビ、つまり対等だろう。主人だなんて、よせ。そんなにかしこまらなくったっていいんだよ」


 僕はこの相棒に対し、もう好感しか持っていなかった。あやしい見た目の割にとても親切で、話し方も実に丁寧だ。さっきはあくびをしていたが、悪いやつということはない。きっとうまくやっていけるだろう。


「改めて、僕の名前は唐梅だ。それで、きみは……」


 相棒がもう一度パネルを操作した。自分のNPCの情報が表示される。名称の欄を見る。


 適当に打たれたとしか思えない、意味不明な英数字が書かれていた。これは……名前というよりも、製品番号だ。相棒の名前のようだが、どう読めばいいのか。


 名前の下にはずらっと星のマークが並んでいる。妙にポップな画面だな。


 そういえばレアリティがどうこう言っていたが、あれはなんの専門用語だったのだろう。これもさっきの人たちに会ったら聞いておこう。


 相棒の名前が読めずにうなる。ふいに、名称の横に「編集」と書かれたアイコンを見つけた。ふれると英数字が消え、空欄になる。


「……僕が名前をつけてもいいのかな」


「はい」


 僕は再びうなった。誰かの名づけ親になれる機会なんて、そうない。実験の最中ではあるが、相棒にとっておきのいい名前をつけてやろうと熱を入れる。


「うーん……。黒、黒……。……ひじき。のり、こんぶ、わかめ」


 真面目に名前を考えていると、突然部屋に亀裂が走った。


 壁に鱗のような模様が広がっていく。鱗は次第にパキパキと剥がれ落ち、白い部屋が崩れてなくなった。異様だが芸術的な崩壊に、目を奪われる。


「なんだ……実験は終わったのか?」


 次はしっかり警戒し、外に出た。周りを確認する。白い部屋の外は、だだっ広い白の異空間となっていた。どこまでも続いて、果てがない。


「あっ、学ランくんだ!」


 明るい声が耳に届く。ピンクのメガネの女性だ。同じく崩れたと見える部屋の中に立っている。すぐ隣にいたのか。僕はさっそく質問を投げた。


「ああ、よかった! ご無事だったんですね。それですみません、NPCのレアリティ? についてなんですけど……」


 女性の体がビクンと動いた。かと思うと、硬直する。


 どうしたのか、と目をこらす。声をかけようとして、息が詰まった。


 女性の腕がだらりと垂れ下がり、血がしたたる。腹に何か刺さっている。大きなツメ。僕は静止する。


 悲鳴にまざり、ホウライの冷たい声がテスト空間に響いた。


『お待たせしました、被験者の皆さん。それではゲームを……いや。実験を開始します』

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