相棒にHello! 「Hello」

 突然、顔の前に何かが現れた。思わずよろめく。体勢を戻して確認すると、空中に奇妙な画面が出現していた。


 ジリジリジリ、ジリリリッ。


「……なんだ、これは。スロット?」


 宙に浮く画面には、黒いスロットが表示されている。すごい速度で回転し、ジリジリと機械的な音を発している。


 パッと部屋に明かりがついた。部屋の変貌ぶりに僕は固まる。


『日本近畿地区会場の皆さん、こんにちは。こちらは電脳世界研究の最高峰、サイバーセカンドです』


 どこからともなく声が響いた。びくっと肩をすくめる。若い男の声で、やけに反響する。


『皆さんが今ご覧になっているのは、我々が用意した簡易会場、つまりはただの投影映像です。参加の意志が見られ、かつ書類審査に合格した方にのみこの映像をお見せしています』


 簡易会場? 書類審査? 状況の整理が追いつかない。まずは一変した部屋を見る。


 さきほどまであったテレビやソファが消えうせている。というより、リビング自体が消えていた。何もない白い正方形の空間にいる。あるのはスロットを流し続ける画面と、僕。どこからともなく降ってくる声だけ。


『電子技術でそう見せているだけで、そこはまだ現実世界ですのでご安心を』


 と謎の男は言った。


 ただの映像……これが?


 床をさわってみる。見た目と実際の感触の差に驚いた。ツルツルとして見える白い床は、さわってみるとリビングのカーペットのそれだ。様変わりしてはいるが、確かにここは施設の中のようだ。


『それでは、日本近畿地区会場の皆さんにはまず、NPCの相棒を配ります。目の前にあるスロットを引いてください。結果に応じて、NPCがランダムに配布されます。そしたら――』


「ち、ちょっと待ってください! いきなりなんなんですか! わけがわからない……あなたはいったい誰で、これはどういうことなんですか!? ちゃんと説明してください!!」


 ぐいぐいと押し進められ、慌てる。驚いている場合じゃない。部屋を豆腐みたいにされ、その上これからNPCを配るだと? あれもこれもが急すぎる。当然ついていけない。


『……説明? さっきしたでしょう。我々は電脳世界研究機関、サイバーセカンド。あなたが今いる場所は、我々が用意した簡易会場です。教室で特集を見て、実験に応募したそうにしてたでしょう。だから今案内してあげてるんですよ』


 驚きすぎて驚けない。なぜそんなことを知っているんだ。どこかで見ていたとでも言うのか。


『とにかく、これが最先端のやり方なんです。ホールに集めて説明会をするとでも思ってたんですか? 閑暦ですよ。ありえない』


 男が面倒そうに答えた。他人の部屋を許可なく会場にしておいてその態度はなんだ、と思うし、書類審査のために書類を提出した記憶もない。だが、僕は状況を無理やりのみこんだ。


 ここが教授の言っていた被験者募集会場。


 あまりに唐突すぎるし、混乱もしている。しかし電脳世界を開発した機関だ。彼らにとってはこのやり方が普通なのか。


 類を見ない方法ではあるが、感動も覚える。突如として現れた白い空間や、宙に浮く不思議な画面。まさに未知の体験だ。


『わかったらさっさとスロットを引いてください。画面をタップするだけです。それであなたの相棒、NPCが出現します』


 男の言葉にスロットを見た。相棒。特集で言っていたな。


 相棒が出てくる……NPCが来るのか、この空間に。自分とコンビを組む相棒が。


 無意識にCMを思い返した。悠然と剣を構える潔白の騎士。美しい草原、電脳世界。――誰かを救うヒーローになれる。


 胸が弾むのがわかった。少しわくわくして、体が震えた。心地よい震えに揺れる指で、思わず画面にふれそうになる。


「……いや、ちょっと待ってください。NPCを配るって……まるで実験への参加がもう決定しているみたいじゃないですか。普通はもっと確認を取ったり、説明したりするでしょう。これじゃほとんど押し売りです! 不誠実ですよ」


 正気に戻り、手を引っこめた。危うくスロットを引くところだった。最先端の機関だからといってやはり関係ない。もっとちゃんとした段どりを踏むべきだ。


 僕はいったんのみこんだのをさっぱり忘れ、怒り始めた。そうだ、書類審査の説明もしろ。まさか勝手に書類を見たのか、だとしたらとても許せない。この機関はいったいどういう性根をして――。


『あーもう……』


 男が何かつぶやいた。まだ説明を求めている生真面目を放置して、ふれていないスロットが急速に回転を始めた。


 画面が激しく音を立てて荒ぶる。ノイズが走り、スロットの回転が勢いを増す。映像でしかないはずの回転が風を巻きこんだ。僕の周囲に、黒い霧が立ちこめる。


 ……なんだ? この妙な空気は。


 黒い霧が獲物を狙い定め、画面に巻きついた。そのままがんじがらめにする。中に包まれた画面が抵抗し、暴れ、もがく。脈打つ黒い心臓となり、ボコン、ボコンと跳ねる。どんどん脈が早くなっていく。


 異様な光景に見入る僕を突き飛ばし、いきなり心臓が爆発した。


 黒い爆風にのまれ、後ろへ吹っ飛ぶ。派手に転び、背中を打つ。

 うめきつつなんとか起き上がると、世界がゆがんでいることに気づいた。


 ……メガネがない。


 慌てて床を探る。するする肌ざわりよく滑って、何かが手に当たる様子はない。


 まずい、と焦る僕を差し置いて、サイバーセカンドの男は同時に話しているらしい他の会場参加者に向けてアナウンスしている。


 よつんばいになって床を拭いていると、カツン、と顔に軽いものが当たった。


「あっ、すみません」


 反射的に謝る。目の前に黒い革靴が見えた。視界が回復していることに気づき、顔に手をやる。メガネが戻ってきている。


 床に這った体勢で、視線を革靴から上にずらしていく。


 黒いコート。

 黒いコート。

 ……ずっと、黒いコート。


 どれだけ視線を上にずらしても黒いコートしか確認できない。首が痛い。メガネを直し、立ち上がる。


 立ち上がってみてもなお、黒いコートが目前にある。僕は今一度ゆっくりと天を仰ぎ、黒いコートのその上を確かめようとした。


「Hello」

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