ゆがんだ恋愛感情とゴミの雨 「大丈夫。私、消えるから」
「……砂漠蔵」
身支度して校舎を出ると、階段のすみに座った砂漠蔵が携帯端末でテレビを見ていた。
雨が降りだしている。サイバーセカンドのCMが強まる雨の音にまぎれて聞こえた。明るいCMの音声を利用して明るく切りだす。
「すごい時代になったなあ。電子空間、だって。ゲームの世界? を再現してるらしいよ。まあ、僕はゲーム持ってないからそういうの詳しくないんだけど……きみは? やっぱり興味あるのか」
僕を無視して、砂漠蔵が立ち上がる。無言でCMを消し、端末をカバンにしまう。それから入り口の脇にあるゴミ箱を掴んで、僕の頭上でひっくり返した。ガラガラガラ、と雨とは別に降るゴミの雨。
「……あんた、私の相手するの疲れるでしょ」
ここ数ヶ月の僕の態度から判断したのか、ぽつりと言う。この話をするのにゴミをかぶせる必要はないだろう、とは思いつつも、こちらを心配しているともとれる砂漠蔵の発言に落ちついて返す。
「なんだ、今さらだな。僕は平気だ。気にするな。それよりきみの……」
「大丈夫。私、消えるから」
言葉をのみこむのに時間を要する。雨が響く。本降りだというのに、いやに静かに感じられる。
「……消える、って。どういう意味だ、砂漠蔵」
「別に。問題起こして少年院に行く、とかじゃないから安心してよ」
「そんな心配はしてない。きみはそういうことはしない。相手を選ぶし、行動も選ぶ。きみが僕にしか突っかかってこないのは、僕がきみと近い……孤独な身だからだろう」
砂漠蔵は相手を選んでいる。同じ場所にいる相手を選ぶのだ。だからクラスの普通の子……幸せなところにいる子には、手を出さない。
僕は施設出身。砂漠蔵は家庭に問題がある。細かい状況は違えど、近いと言っていい。彼女がいっときの孤独を埋めるため、”じゃれ合い”の相手に僕を選んだのはそういう理由だ。
「きみは引きずりこむようなことはしない。今だってそうだ。僕をこれ以上は引きずりこむまいと……」
僕の状態を気にかけ、身を引こうとしている砂漠蔵を止めに入る。だが、砂漠蔵は態度を変えなかった。
「人がよすぎ。私は……とっくにあんたを引きずりこんでるよ。……でも、それももう終わり」
「待つんだ、砂漠蔵! 何を考えてるのか知らないが、はやまるな。……あの日のこと、学校に話さないか。きみは嫌かもしれないけど、僕もいっしょに話す。きっと対処してくれる。だから……」
「学校は児童相談所に電話するだけだよ。あんたが匿名の電話入れたときみたいにね」
ぐっと言葉につまる。通報したことを知られてしまっていた。
それどころか、残しておいた最後の手段さえもあっさりと消え、体が急速に冷えていく。あの一件を学校に相談したところで意味がない。学校がすることは、自分がもうやったことなのだ。
言葉を失う僕をよそに、慣れている様子で砂漠蔵は続けた。
「うちの親、そういうの通用しないから。同じことのくり返し。結局……私がいるかぎり、解決しないの。でも……感謝はしてる。だから、あんたが疲れることない。……私だけ、消えるから」
「……それで問題が消える、とでも言いたいのか」
うつむく。再び、雨音だけが流れていく。
「ねえ、最後に吐いてよ」
今度は砂漠蔵のほうが切りだした。こんなときに、またか。場を和ませようとジョークで言っているのだとしたら、非常識すぎる。生真面目な僕はどうにも笑えず砂漠蔵をにらむ。
「どうしてそこにこだわるんだ」
「あんたが噛んで飲んで消化したもの……食べてみたかったの」
「……」
理解できない。停止している隙に、砂漠蔵は行こうとする。しまった、そういう作戦か。
「待て、砂漠蔵! 僕がなんとかする、だからまだ……!!」
細い腕を掴んだ。そんな消え方よせ、させるもんか。
逃がすまいとした僕の予想に反して、砂漠蔵はしがみついてきた。
「もういいよ、唐梅。あんたがいてくれて……私の人生、ましだったから」
そう言うと学ランのえり首を引っぱって、砂漠蔵が首すじのにおいをかぐ。ゴミまみれの生真面目をゴミごと抱きしめる。
数秒二人でゴミに埋もれると、ぱっと僕から離れ、砂漠蔵は何もなかったかのようにきびすを返した。
大雨に消えていく彼女の、ましだったという人生について考え、僕はこぼす。
「……嘘だ」
頭からゴミにまみれて、立ちつくす僕がいる。
広いリビング。暗い室内にテレビの明かりだけがチカチカと浮かぶ。
施設は今日も閑散としていた。あたたかいとも冷たいとも言えない場所。誰かがテレビをつけっぱなしにして、そのまま出ていったようだ。
職員すらめくらない日めくりのカレンダーをちぎる。
ここ数日、砂漠蔵は学校に来なくなった。家にも行ってみたが、人がいる気配すらない。それを確認しては、ゴミ箱のゴミを自分でかぶって帰ってくるということをくり返している。自己満足の罰だ。砂漠蔵を救えなかったことの罰だ。
「……はあ」
まとわりつくゴミのことを忘れ、どっしりとソファに沈んだ。これまでの砂漠蔵とのことを思い返す。
高校にあがった去年の春。壁に落書きをしている砂漠蔵を見つけて、注意した。もともと、素行の悪い生徒に自分から首を突っこむ癖がある。
その後も問題を起こすたびに砂漠蔵を注意していたところ、ゴミをかぶせてきたりと反抗するので、よくすったもんだとなっていた。
真面目な女子生徒が「あれ」だと判断するのと反対に、不真面目な男子生徒は”あれ”だと言う。受けとり方が人によって違うのは、このあたりに原因があるのだろう。
敵対しているようにも見えるし、じゃれているようにも見える、ちぐはぐな関係。僕としてはそのどちらでもないが、少なくとも最初の頃は”あれ”のほうに近い関係だったのかもしれない。
しかし、今まで自分が首を突っこんだ誰よりも、砂漠蔵が冷たい場所に生きていることを知った。
1年の2学期が終わる頃、冬の帰り道で偶然、彼女が家族に虐待されている現場を見てしまったのだ。
なんとかしようと勝手に動き回った。最終的に相談所へ通報したが、砂漠蔵の家は有名だった。有名、というのはよく通報されていて、そして長いこと解決されていないということでもある。
考えたあげく、以降僕は砂漠蔵が突っかかってきても何も言わなくなった。砂漠蔵のストレスのはけ口になろうとして。2年になってからも同じだ。他に案がなく、ひたすら耐え続けた。
だが、それは問題を解決することにはならなかった。当然だ。せいぜいただの時間稼ぎにすぎないではないか。結果僕を気遣い、砂漠蔵は消えてしまった。
「……こんなんで教師なんか目指してたのか、僕は」
自分への失望を口にする。
孤独な生徒の親代わり。そこまでやってくれる教師は現実にはいない。
だから、自分がなってみようと考えた。そんな甘ったるい夢を、つい最近まで本気で考えていた自分を他人のように遠く感じる。浅く感じる。
まさに砂漠蔵のような生徒を救える人間でないといけないのに。こんな自分に適正があるはずがない。
「……僕じゃ、救けられない。誰も……僕なんかじゃ」
顔に手をあてる。濡れたメガネがきしんだ。テレビの青い光が指の間から入ってくる。
「…………ん……?」
ふと、何も見えなくなった。暗い部屋がさらに暗くなっていることに気づく。立ち上がり、リビングを見渡す。
ついていたテレビが消えている。なぜ勝手に……古いものだから故障したのだろうか。
暗闇でぼんやりとしか見えないテレビの画面。そこに不可解なものがうつりそうな気がして、目が釘づけになる。
――ブンッ。
「うわあっ!?」
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