第五話 いやがらせ特化型とおひとり様用脱出ゲーム


「これで良し……っと」


 今日の業務は社長共々行ったため、社長に渡す用の報告書は必要ないが依頼主――今回は高天原――に渡すための報告書を書いて今日の仕事は終わりになる。


「社長、報告書用の写真送っときました」


 文面は社長が書くそうなので簡単な状況説明の写真を送った俺はパソコンを閉じる。


「お疲れ、河野君今日はもう上がりでいいわよ。元宮君もどうせ書類はできてるんでしょう?会社のPCでゲームやってないでさっさと帰りなさいね」

「へいへい」

「社長、お疲れさまでしたー」


 俺と元宮先輩はそれぞれ挨拶するとオフィスを出る。

 ユノは一時的に藍崎社長の家に住まわせてもらっているのでまだ残っている。


「さて、河野」

「何すか、先輩?」

「この後暇か?ちょっと話があるんだが……」


 これは逃げられないやつだな、と悟った俺は姉ちゃんに『遅れます』とだSNSに打って先輩に大人しくついていく。



「で、ここどこっすか?」


 やってきたのは事務所近くの集合住宅、その中庭である。


「人気のない場所、だな!」


 そんな声高に言わなくても……。


「そしてお前にはこれから実験体になってもらいます!」

「嫌です」

「拒否権はない!行くぞ『蚊帳吊狸』」

「『ディスペル』!」


 ハア、ハア。唐突にぶっ放してきやがった。

 結構ギリギリで無効化できたけど危ねえな。


「何すんですか急に!」

「何って、妖術の練習だよ。妖術の」


 練習、という言葉に首をかしげていると先輩はヤレヤレと言った調子で肩をすくめて首を振った。


「俺達の仕事は危険を伴う、これはわかるな?」

「ええ、まあ」


 実際今日だって移動中にドラゴンとかに襲われかけたし。


「その危険を排除するためには実力行使もやむを得ない」

「時と場合によってはですがね」


 襲い掛かってきたドラゴンを軽く炎であぶったし。


「そして僕の武器は狸の妖術である」

「そりゃ、化け狸に天狗の術は使えないでしょう」


 あぶられてブチ切れたドラゴンを先輩が幻覚で誤導して遠くへ追いやったし。


「術は練習しないと咄嗟の時に使えなくなることがある」

「そうですね」


 その術が途中で失敗してドラゴンがこっちへ帰ってきたし。


「つまり、練習の必要があるわけだ」

「ですね」

「だから僕はお前を実験台にする」

「嫌です」


 というか、一人で練習してろよ。


「お前が錯乱するところを見たいから却下だ」

「んな迷惑な。俺もう帰りますよ」

「まあ待て。今適当な理由を考えるから」

「いやがらせ以上の理由はなかったんですか!?」

「ないな」


 堂々と断言されても困る。


「ま、正直な話をするとだな。慣れてない術が多いから今のうちに使い方をきちんと理解しておきたいんだ」

「と言うと?」


 微妙にわかりにくいことを言う先輩に俺が首をかしげるとしばらく悩んだ後、先輩は口を開いた。


「うーん、驚かれるかもしれねえがな。すごく簡単に言っちまえば、僕が化け狸の力に目覚めたのがつい最近だから、うまく使えねえ術があるってことなんだよ」

「はあ、そうなんですか?生来的にいろんな術が使えるものなのかと思ってました

けど……」

「なんでえ、微塵も驚かねえでやんの」


 驚き、というより納得に近いだろうか。

 彼の性格を考えれば俺がこの世界からいなくなる前にその力を持っていたならそれを使って驚かすなりイタズラするなりしてきただろう。それが元宮源三郎という男だ。

 だのに、そんなことはなかった。それはつまり彼が化け狸であるという秘密がそれほどに大事なものであるか、或いは当時はその力を持っていなかったか、そのどちらかである。

 そのことを話すと、少し気まずそうに一瞬顔をしかめられたがすぐに表情を戻し彼は続きを話し始めた。


「僕は十八歳まで人間として育てられ、高校卒業と同時に自分の一族が化け狸であること、自分たちはそれでも人間として生きていることを伝えられた。それからいくつかの術を教わった後、出来るだけ人前で使わないよう言い含められた。ばれたらまずいから、ってな。だけど」


 その後に続く言葉は何となく想像できた。


「我慢できなかったんだよなあ。ま、僕が悪いんだけどさ。気付いたらネット上で話題になって、怪しい組織に追っかけられて、親に勘当された」


 そう語る先輩の表情は何とも痛々しい。痛々しいが……。


「いや、普通に自業自得ですよね?」

「まあな」

「で、つまり?」

「暇だからイタズラさせろ」

「今の自分語りの意味は」

「特にない」

「じゃあ、帰りますね」


 言うと俺は踵を返す。この人に付き合っているとらちが明かない。


「まあ、待て」

「先輩、天丼ですよ」

「実は本当の用事がもう一つあってだな……。これを渡しておこうと思っていたんだよ」


 そう言って先輩が懐から取り出したのは漫画くらいの大きさの古めかしい本。


「これは?」

「ユノちゃんが居た世界の歴史書。翻訳関係は魔法でどうにかできるよな?」

「ええ。できますけど」

「僕が簡単に調べた範囲だと、だけど。ユノちゃんが使えていたっていう神様は向こうではどうにも嫌われ者らしくってな。聞けば今戦争中だっていうだろ?何かあった時のためにもお前が向こうの世界のことを知っておいた方が良いんじゃないかと思ってな」


 普通にいい先輩みたいなことされても困るんだが……。


「一応本人の前じゃ渡しにくいんでこんなところまで来たわけだ。じゃあな」


 そう言うと先輩は踵を返す。

 その様に俺は古めかしい本の表紙をひと撫でする。


「ありがとうございます」

「ああ、存分に恩に着ろ」

「では、俺も帰るとしますか」


 先輩とは途中まで同じ帰り道だが……。どうにも今日は顔を見辛い。

 別の道を通ろうとあえて一歩遅れて足を上げたところで。


「隙を見せたな!落ちろ、『蚊帳吊狸』」


 え?驚く暇もなく俺の視界は闇に包まれた。

 あの、狸野郎。結局嫌がらせしたかっただけじゃねえか。

 後で絶対殴ってやる。

 そう思いながら俺は暗闇を見渡す。

 出口らしきものは、ないな。


 よく見ると、ただの暗闇ではなく半透明の黒い靄のような物が何重にもなって掛かっているらしい。ディスペルの魔術は発動前に撃たないと意味がないから使えないとして……。

 俺は脳の片隅で女神からもらったチート、『魔法解析』を起動させる。

 このチート、どんな術相手でも起動できるんだが……。


「動作重いなあ」


 地球に帰ってきてからどうにも術の解析に時間がかかるようになってしまった。

 社長は女神の権限がどうとか、世界の位相の壁がどうとか言っていたが良くわからなかった。

 解析自体は自動でやってくれるものの、どうにも暇である。


「これ、読んでみるかあ」


 そう呟いて、本を開いた瞬間に『解析が完了しました』と聞きなれた声が脳内に響き、術式や破り方、弱点なんかが描き出される。

 

「なになに、落ち着いて靄をひたすらめくり続ける?36枚だと!?」


 マジでただの嫌がらせじゃねえか……。


「じゃ、一枚、二枚……」


 無限に続いているように見える靄を一枚づつめくっていく。


「十一、十二、十三……」


 これ終わらねえんじゃねえかな。


「二十五、二十六、二十七」


 手首がちょっと痛くなってきた。


「三十四、三十五、三十六っっと」


 そして、三十六枚目をめくった瞬間に視界の闇が晴れる。

 あの腐れ狸はいない。

 どうにもさみしい帰り道を、俺は一人で帰るのであった。

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帰還勇者は帰ってきても忙しい 大野知人 @azukitogiinthelib

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