渡り鳥たち

 白い車は海岸線沿いを走る。

 ビロードのような海が視界の右方向に広がっている。行きは青、帰りは金色の海。

 彼女が目を細めてそれを見つめていることが、助手席に顔を向けなくてもわかる。

 その睫毛が夕陽に縁取られて輝いていることも。


 彼女が大好きな海をたっぷりと見られるよう、今日もいつものドライブコースをなぞるデートとなった。

 渡り鳥だろうか、フロントガラスの奥の空には黒い点の集合体が浮遊している。


 ドリンクホルダーにはPETボトルのアイスティーが揺れている。車の振動に合わせて、ふたつの水面がちゃぷちゃぷと波打つ。

 飲み口にかすかに口紅のついている方が彼女のだけれど、どちらがどちらを飲んでもさしあたり問題はなかった。

 付き合いが長引くほどに、僕たちの境目は曖昧になってゆく。そのことに、驚くほど深い安らぎを覚える。


 やがて、前方にホテル街が見えてくる。

 いつからかドライブデート本体が密室で過ごす時間のおまけのようになりつつあるけれど、出逢ってからの美しい瞬間の連なりがふたりをここまで導いたのだと僕は思っている。


 次の交差点で左折するためウィンカーを出そうとしたとき、

「まっすぐ行って」

 突然、彼女が言った。

 えっ。

 咄嗟のことでためらいながら、僕は踏もうとしていたブレーキから右足を離す。

「まっすぐ家まで送ってください」

「あ、ああ、うん」

 動揺を包み隠してアクセルを踏みこんだ。

 重苦しい沈黙がふたりの間に横たわる。


「……毎回同じ車を借りるの、大変だったでしょう」

 彼女の住む町が見えてきたとき、彼女は視線を前方に据えたまま口を開いた。聞いたことのない低い声だった。

 心臓がどくりと大きく鼓動する。

「『わ』ナンバーがレンタカーだってことくらい知ってますよ、わたしでも」

 耳たぶがカッと熱くなったのは、夕陽のせいではなかった。喉が干上がったように声が出てこない。

「毎回、なんていいわけして家を出てきたんですか」

 ハンドルを握る手が震えているのを感じつつ、コインケースにしまいこんだプラチナの指輪の存在を強く意識する。


 ───そうか。

 うまくやれてると思っていた。

 タイムリミットまで、まだあるのだと思っていた。


 住宅街の入口で車を止めると、彼女は自分でドアを開けて出て行った。振り返ることすらなかった。

 フレグランスの香りと、飲みかけのアイスティーだけが車内に残される。

 揺れながら遠ざかってゆく長い髪は、やがて完全に夕陽の中に溶けた。


 ふたりで過ごしたたくさんの時間を反芻しながら、僕は自分がまた誰かを探してしまうことを知っている。

 渡り鳥たちの作る黒点の輪が、こちらを誘うように大きく空に広がった。

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