第42話 非常に戦略的な行為
「あの、これ。全部シャッターチャンス逃してるよ?」
祥子が昨日撮ったぼくの写真をデスクトップパソコンでチェックしている。
「うそ。ああ、ホントだ。失敗ばっかりだ。ちゃんと撮ったと思ったのに」
「きみはこういう被写体苦手だから仕方ないよ」
「情けない」
ぼくはポートレートが苦手なのだ。どうしても人の動きを予測してドンピシャでシャッターを切るということができない。動きがあってからシャッターを切るから、シャッターチャンスを逃した写真になってしまう。
「ごめん、プロにダメ出ししちゃって」
けっこうヘコむ。祥子が胸に抱いてくれる。
「きみは清い心をもっているね。ごまかしたり、いばったりしない。わたしは、きみの全部を愛しているよ。魂全部を」
祥子はいつもこうやってぼくを励ましてくれる。ぼくの魂を愛してくれるというんだけど、ぼくの魂は祥子にたすけられている。ぼくのために生まれてきたんじゃないかというくらい、ぼくにぴったりの女性だ。
「ありがとう。祥子はぼくの女神だ。ぼくも祥子の全部を愛してるよ」
祥子に慣らされてしまったのか、ぼくも愛してるなんて言葉をいえるようになった。
「でもさ、自分の写真のどこがいいのか、正直いまだによくわからないんだよね」
「きみの写真は色がついてないのがいいんじゃないかな」
「カラーに現像してるのに?」
「そういう色じゃないんだよ。みんながどうしても色眼鏡で見てしまうところを、きみの写真が無色にもどして見せてくれる感じ。きみがもってる地球儀みたいなものかな」
ぼくの地球儀は衛星写真を張り合わせたもので、国境とか国名とかが書いてない。衛星写真は大気のせいで、地上で撮ったときより青っぽく写る。地球儀では、コンピュータによる画像処理で青っぽさを取り除いている。
「ふーん、そういえばぼくが撮った写真見せたらカメラマンにはこんな風に見えてるのかっていわれたことあるな」
「誰に?」
あ、失敗した。ぼくはよく考えながら、勝手に口が考えをシャベってしまうことがあるのだ。祥子が目を細めて視線で刺してくる。
「萌、さん。ごめんなさい」
「どうしたの、奥田くんまたドジやっちゃったの?」
沙希さんが子供たちを幼稚園に送ってもどってきた。
「いや、別に」
「昔の女のことで」
祥子が追及の手をとめてくれない。
「祥子ちゃんと出会う前のことでしょう?でも謝っちゃうんだ」
「萌さんだって。キスしておっぱい揉んだんだよ?」
おっぱい揉んだなんていわれると、なんか手に神経がいってしまうではないか。
「カズキ、なにしてるの?」
「わたしお邪魔だったかしら。もうすこしその辺ウロウロしてこようか?」
ぼくは両手を祥子のおっぱいに伸ばしていた。つまりどういうことかというと、手に感触が甦ろうとするのを、実際のおっぱいの感触で防いでしまおうという、非常に戦略的な行為なのだ。祥子のおっぱいは、下着のせいかシッカリした手ごたえだった。あまり心地よいということはない。
「ごめん、コーヒーいれるね。祥子の分は書斎にもってくから。午前中に仕事するんでしょ?」
はねかえりを確かめるように祥子のおっぱいをもにゅもにゅと押して手を離した。
「うん。寝ながら考えていたことが消えないうちに書いちゃわないとね」
ぼくはキッチンに立った。うしろで沙希さんが奥田くんはやさしいねと言った。いろんな意味にとれる発言だ。
サーバとドリッパをセットして、ペーパーフィルタを折る。フィルタをセットしながらドリッパにピッタリ沿うようにさらに折って微調整する。ヤカンに水をいれて火にかける。豆を挽き、粉に息を吹きかけて薄皮を飛ばし、ドリッパに投入、トントンと叩いて挽いた粉をならす。
「世話をかけるね」
沙希さんがキッチンにはいってきた。
「秘密を守るのもむづかしいですね」
「わたしは別に無理して秘密にしてくれなくても大丈夫だけどね」
「ぼくはヤバいです」
「キスしてナマ乳もんじゃったもんね」
「キスはしましたけど、おっぱいは揉まされたんです」
どちらにしろ祥子に知れたら大変なことになる。
「祥子ちゃん、本当に気づいてないのかな?わたしのこと」
ぼそりと、恐ろしいことを言う。
「そういえば、わたしたちの分のお葬式してないんじゃない?」
「そんな必要はないです」
「まだ生きてるってこと?」
「生まれてないってことですよ」
沙希さんが背後から肩に手を置いて、肩口に顔をのばす。
「人生、もうひと波乱あってもいいんじゃない?」
沙希さんは以前、一人好きになったら三十人は好きになれるといっていた。
「ぼくはいま人生最高潮です」
「そ?」
「そうです」
お湯が沸いた。沙希さんの手を肩からどかす。
「つれないの」
無視してヤカンに手をかけて、蒸らしのお湯をドリッパに注ぐ。コーヒーの粉が泡をだしてムクムクとふくらんでゆく。
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