第40話 これは骨が炭素繊維強化プラスチックでできてるんだ。人をぶん殴っても折れたりしないの。――ぶっそうなもの持ちあるってるんだね
イチゴちゃんがよりミカンちゃんの影響を受けている。イチゴちゃんという名前もミカンちゃんがはじまりだ。本当は一子と書いてカズコなんだけど、ミカンちゃんがイチゴちゃんだといいだして定着してしまった。本人も気に入っているらしい。
ミカンちゃんは、二箇月ものあいだヨーロッパを旅行しているとは思えない出で立ちだ。ワンピースにカーデガン、靴はヒールがないけどオシャレな靴だ。たたんだ日傘をぼくのイスの背もたれにかけていて、背中はちいさなリュック。家からちょっと出てきたってくらいの装備だと思う。
「ミカンちゃん、そんな格好で怖い目に遭わなかった?」
「大丈夫。危ないところには近づかないし。夜はあまり出歩かないし、出歩くときはお供をつれるようにしてたから。もしものときは、これがあるし」
さっと手をはらって、イスの背もたれから日傘をとり、そのまま体をくるっと回転させて、日傘を肩の高さで仮想敵に向けてかまえた。
「これは骨が炭素繊維強化プラスチックでできてるんだ。人をぶん殴っても折れたりしないの。量産できないから、ちょっとその辺では売ってない代物なんだけどね。お父さんに手に入れてもらったんだ。軽さだけでもなかなかの価値があるよ」
「そう、ぶっそうなもの持ちあるってるんだね」
ミカンちゃんはお父さんに仕込まれて武術の心得がある。でも、スイスなんて徴兵制があって、一家に一台は銃があるという国だから、護身術に頼るのは危険だ。ヨーロッパならどこでも同じだ。本人もわかってると思うけど。命が危ないとか、本当にもしものとき以外は、大人しくしていたほうがよい。
「日本人はお供にしても頼りないね。警戒心が足りない。こっちが大丈夫かって心配になっちゃう。すわるとき平気で背中のところに荷物を置いちゃうんだよ。簡単にもっていかれちゃうよね」
「そういうマナーだと思ってるんじゃないかな」
「場所をわきまえてほしいよ。こんなテラス席でそれやられると、こっちが見張ってなくちゃいけない気持ちになる」
「すぐお城行く?」
「お腹すいた。なにか食べさせて」
「いまの時間、食事でるかな」
危ないところで食事タイムに間に合っていて、ミカンちゃんはお腹を満たすことができた。
大通りを左に曲がると、正面に城が見えた。屋根がとんがった塔が付属している。白い壁が青い空に映える。なかなかイメージ通りの城だ。
「あれがお城だよ、カナ、イチゴちゃん」
ふたりは片手を母親に、もう片手をお互いにつないでいる。
「かわいいお城だわ」
「あれでモンスターと戦えるの?」
イチゴちゃんが想像していたのはもっと大きくて石を組んでつくった城塞だったのかもしれない。
「白くて、屋根がとんがっていてかわいいね」
「中は博物館になってるんだって。食器の展示がいいらしいよ」
イチゴちゃんの落胆を見て、沙希さんと佐々木さんが気分を盛り上げようとしている。
「城壁で守られているからモンスターはお城までやってこられないんだよ」
ミカンちゃんが一番うまく反応する。
「城壁が守ってるんだ」
お城を見たあとは、城壁跡を見てからジュネーブにもどった。レマン湖畔にはローザンヌ、もちろんモントルーがあるけど、まわっている時間がなかった。
ホテルでは、ぼくの家族の部屋にミカンちゃんも泊まった。久しぶりにリラックスできたんじゃないかと思う。
翌朝、ミカンちゃんはミラノへ向けて電車で出発した。ぼくたちはジュネーブの空港から帰国の途に就いた。
祥子はスイスの取材をもとに小説を書いた。女子高生の手芸部の活動を描いた物語らしいんだけど、話を聞いてもどのあたりに取材の成果があらわれているのか皆目見当もつかなかった。
写真の仕事の方は、沙希さんの写真をメインに、ぼくのは最後に撮った氷河の写真だけを採用した。もっとみすぼらしい写真をぼくは採用したかったんだけど、沙希さんと祥子が最後の写真に票を入れたため、そんな結果になった。残照の紫色の空、黒い岩肌、岩のようなゴツゴツした感触の氷河という写真だ。迫力はあるしいい写真ではあるけど、ぼくのテーマに合った写真ではなかった。スイス観光局側の感触もよかったみたいだからいいんだけど。
朝、沙希さんに叩き起こされた成果、霧に包まれた町の写真。あれも一枚採用になったので、早起きした甲斐があったというものだ。
各写真はポスターになって駅や車内広告になったらしい。最近は電車を利用しないから、実際に貼りだされているところを見たことはない。
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