第三話 また一難

「――よぉ、冬中。やっと来たな、遅かったじゃないか。水木はこうして先に『座って』待っているぞ。お前も早くここに『座れ』」


 また次の日、放課後に部室に向かうと、1人の男性教師がタバコをふかしながら、窓を背にして足を組んで、パイプ椅子に座っていた。

 蓮くん、『座っている』って言うか……先生の前で、地べたに土下座させられているんだけど? これ、どういう状況?


「あの~先生? 校内は禁煙のはずじゃないですか? ……それと蓮くんも慣れてないことして、何かプルプル揺れているし」


 蓮くんがちらりと、こちらを見た。その目は助けを求めていた。蓮くん、そろそろ限界が近そうだ。


「禁煙? これのことか? これはおもちゃだ。ほら、ユーモア品ってやつだ。煙も出て、すごいよなぁ」


 ぷかぁ、と煙を吐く男性教師。いや、おもいっきり輪っかとか出来ているじゃん。どう見たって、本物だよそれ。


「……ま、いいや。俺が今日何で、ここに来ているか、わかるか? 冬中」


 男性教師は、私がじっと眺めていたのが効いたのか、手でタバコを握り潰した。……やっぱり、偽物だったのかな? 素手でタバコって消えるのかな?


「いやーわからないですねー。先生の誕生日とか?」

「ちげぇよ……そうだとしても、お前には教えねぇよ」

「ひどいですね! なんでですか! ちゃんと祝ってあげますよ! はっぴー、ばーすでぃ、とぅーゆぅーですよ!」

「お前に教えたら、他の奴らに教えまくるだろ。女子の情報網はヤバイからな」

「えっへん!」

「別に、誉めてねぇぞ?」


 男性教師は、疲れた顔をした。私、何か変なこと言ったかな? 絶対にみんなで祝った方が楽しいのに。


「はぁ……ったく。お前さ、昨日部室の鍵、閉め忘れただろ?」

「え? 鍵?」


 昨日は確か、部室でしばらく文字とにらめっこして……それから、書き方がわからないから本屋に行って……それから……。


「あ! そういえば!」

「あ、そういえば、じゃねぇよ。お前たちが閉め忘れたせいで、俺が教頭先生に怒られちまったじゃねぇかよ。朝っぱらからよお」


 男性教師は、ガシガシと頭をかいた。


「えーと、てへぺろ?」

「……冬中、お前も早くこっちきて、水木とここに『座れ』?」

「『座れ』って正座じゃないですかー! いやですよー暴力はんたーい!」

「暴力じゃない、教育だ。いいか、冬中? 暴力って言うのは、誰かのワガママを通すためにする行動だ。教育とは訳が違う」

「これも先生のワガママじゃないですかー自分が怒られたからって、私たちに腹いせでー」

「あ? 腹いせでやっていいんなら、校内を『私たちは悪い子です』って書いてあるプラカードを首から下げさせて、お前らを校内走らせるけど? やる? どうする?」

「オニー! アクマー!」


 この男性教師は、久志本 透(くしもと とおる)、32歳、独身。ボサボサ頭に、ちょっと目つきが悪いけど、根は優しい数学教師だ。ぶっきらぼうな言い方をする先生だけどいい先生だ……うん、根は優しいはず。


「蓮くんが私の分まで頑張ってくれるよ、きっと!」

「お前、本当に先輩か? お前の方が鬼の所業なんだが」

 

 そんな私の願いも叶わず、その後、私も蓮くんの隣で正座させられることになった。足が痛い。


「うぅ……なんでこんなことに……」

「いいか、お前ら。教育ってのは、時には痛い目に合わなきゃわからないことがあるんだ。人間は完璧じゃないしな。だからこそ、人間は勉強しなきゃならない」

「……らしいこと言っても、足が痛いよー、トオルちゃん」

「トオルちゃん言うな、久志本先生だろ」

「あだっ……あー! 女の子に拳骨したー!? パワハラだー!」

「大丈夫、お前の親に許可とってあるから」

「ひどいっ!?」


 ちなみに、トオルちゃんは私のクラスの担任でもある。ホームルームはやる気の無さそうに出欠をとるのが恒例だ。


「『言うこと聞かない時は、こっつんとやって下さい』って」

「こっつんって度合いじゃないよね!? これは! ね、蓮くん!」

「僕にふらないで下さいよ……先輩は1人で怒られて下さい」

「こっちも、ひどい!?」


 蓮くんは、足の痛みから解放されて、部室のすみで関わらないように本を読んでいた。ちらりと、こっちを見たが自分は関わらないように、読書へ戻った。


「まさかの孤軍奮闘!?」

「おー、冬中も難しい言葉知っているんだなー」

「知ってるよ! あれ、トオルちゃんはまだ職員室に帰らないだね? いつもなら、そそくさと涼しい職員室がいいって言って、戻るのに」

「あーまたトオルちゃんって……はぁ。俺は、お前らのせいで教頭先生が小言モードだから避難して来てるんだよ。服装が乱れてるとか、しゃっきとしてないとか、いちいちうるさいんだよ……あのじじぃめ」


 教師が、じじぃとか言っていいのだろうか?


「それはトオルちゃんがちゃんとすればいいのでは?」


 トオルちゃんは、他の先生とは違ってずぼらだ。授業はちゃんとしているのに、他は全然ダメで、いつもよく教頭先生に怒られている光景を見る。


「無理。面倒くさい。教師のやることじゃない」

「いや、教師以前に人としてやることだよ!」


 だけど、トオルちゃんは生徒からの評判が高い。他の先生よりも親しみやすく、接しやすいのがポイントである。女子にも、多少の人気がある。本人的には、そんなものには興味がないらしい。身なりと言葉づかいをちゃんとすれば、もっと女性にモテると思うんだけど、改善する気はない模様。


「それより、冬中。例の話はどうなった? 水木にも言ったんだろ? 部活動できなくなるって」

「うん、伝えたよ? それでね! こうして、ラノベ書く事にしました!」


 私は、まだ白紙の多い原稿用紙の束をカオルちゃんに見せつける。


「えーと……どうしてそうなった? どう考えたらそうなるわけ? 水木?」

「僕に聞かないで下さい。知らないです、先輩が勝手に思いついたことです」

「ええー!? 蓮くんもノリノリだったじゃない! 一緒にラノベ書こうよー!」

「先輩が勝手に書くことはいいですけど、僕は書かないですよ? 恥ずかしいじゃないですか?」


 もしかして、蓮くん、まだ怒っているのかな? 態度もそっけないし、部室の隅で自分は関係ないですオーラ全開だし。


「はぁ……人見知りの冬中が後輩とすぐに仲良くなったのはいいことだけど、先輩なんだから後輩困らせたらダメだぞ。無理強いするのもよくない」


 カオルちゃんは、私から原稿用紙を受け取り、パラパラとめくる。


「ほとんど、真っ白じゃないか」

「こ、これから書くんですよ! 私、頑張りますから!」


 カオルちゃんは、トントン、と原稿用紙をまとめて近場の机に置いた。


「頑張るって言ったって、ラノベっていうやつも簡単なことじゃないんだろう? 俺は小説とかあまり読まないから、詳しいことわからないが……大変なわけだろ? いろいろと。お前にできるのか?」

「それは……でも、そうしないと部活なくなちゃうし……」


 私の気持ち的には、文芸部が無くなるのは絶対嫌だ。先輩たちとの思い出もあるし、何より自分が心からやってみたいって思ったのも初めてだった。

 高校生になるまで、私は部活動というものをしたことはなかった。

 運動は苦手だし、何か楽器が出来るわけでも、絵が上手なわけでもない。でも、何かはしたかった。学生と言えば、部活動、と言えるくらい思い出の詰まった生活をしてみたい。憧れのようなものだ。

 私に出来ることなんてないと思ってた矢先、ある先輩達に捕まったのがきっかけだ。


『ねぇ、暇してない? お姉さん達とお茶でもしないかい?』


 それは当時、文芸部三年の言葉だった。

 まぁまぁ、いいから、と人見知りで押しに弱い私は、先輩たちに部室へ連れて行かれた。

 連れて行かれた時は、ちょっと怖かったけど、楽しかった。先輩たちは、ただ本当にお茶をみんなで飲んで、おしゃべりしただけだった。その時に、ここの部活は何をする部活なんですか、と私は先輩に聞いたんだ。


『ここはね。私たちは思いっきり楽しんで、そして、周りにも目一杯楽しんでもらう部活だよ』


 何を? って私は聞いたんだけど、その時の先輩は『それを考えるんだよ、キミ』と意地悪そうに笑ったのを今でも覚えている。

 あれから一年……今度は私が先輩として頑張らないと。私としても考えたことがあるから。


「そうは言ってもな、決まりは決まりだし……そういえば、この原稿用紙、どこから持って来たんだ?」

「小説書きたいって、国語の松本先生に言ったらくれたよ?」

「そうか、松本先生がね」


 松本先生とは、生徒からおじいちゃん先生って言われているくらい、お年寄りの先生だ。滅多に怒ったりせず、いつも優しい言葉で生徒たちと会話をしている。私も困っている時に相談したら、笑顔で原稿用紙を分けてくれた。とてもいい先生だ。


「うん、最近はパソコンばかりだから余っているんだって」

「ふーん……まっ、好きなようにやってみたらいいじゃないか? 俺的には、絶対にできるとか、無責任なことお前らに言えないし、お前らももうちょっと話し合うべきじゃないか? 一人で書くのは大変だろうし、もしかしたら二人で書いた方が楽かも知れないぞ?」


 カオルちゃんの言うとおりかも知れない。私、一人でいろいろ決めて、蓮くん、迷惑だったかな? 部活辞めたいって思っちゃうかな……?

 蓮くんを見てみると、静かに本を読んでいる。こっちの話を聞いているのかはわからないけど、どこか寂しそうな気がした。


「……」

「そういえば、俺、用事思い出したわ……まぁ、頑張れ。『お前ら』」



 カオルちゃんはひらひらと手を振って、部室を出て行った。部室には、蓮くんと私が残された。外からは運動部の声が聞こえる。


「……迷惑だったかな? 蓮くん?」


 私は吐き出すように、その言葉を呟いた。蓮くんはその言葉が聞こえたのかどうかわからないけど、本を閉じて私に向かってこう言った。


「とりあえず、今日は帰りますか。先輩」


 その表情は、いつも通りの蓮くんのように見えた。

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