付論:昼ドラと時代小説がラノベに堕ちる時


 理系で明るく敬虔で勤勉で世俗的で豊かで異性愛主義の「平凡な自分たち」が、暗いキャラや怠け者、貧乏人、宗教者、文科系キャラに対してあらゆる面で清く正しく美しく、彼らの主張を何一つ聞かなくてもよいという感覚から、罰を堂々と与える精神を刷り込むことこそ、ライトノベル精神である。多数派民族と少数民族の区切りは薄れつつあるが、代わりに「やる」「やらない」で差別する精神がひろまり、同一民族内で対立する構造となった。

 昼ドラや時代小説の場合でもそんな精神を応用すれば、ラノベ水準の作品を見いだせる。象徴となるのは、


 昼ドラ

 母親が子供を容赦なく叱る場面。その子供は制作陣が嫌う価値観や行動様式を一通り網羅している。

 (この場合、平凡な主人公枠は専業主婦だったが、近年ではパートしていることが多い)


 時代小説

 剣士などの武断派が文弱な文化人を竹刀でしばくなどして説教する場面

 剣豪が訓練を受けているはずの野侍5人以上を一人で一刀両断する場面


 そんなことを平然と行う面々を反省させ、行動様式を変えさせる文化人の存在こそ、作品をラノベ水準から引き上げる鍵である。だが、そのような枠を用意しない作品が多く、結果として昼ドラや時代小説をラノベ水準に止めさせている。


 

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