第26話 マルスの機転

 クロス・リードの死顔は決意に満ちた表情をしていた。高い崖に四方を囲まれている。空はかろうじて残っているが、手で覆っているようなそり返しになっていて登ることはできない。先頭と後列を分断するように南の国レジーナの兵士数十人と北の国グラジオスの三人がそこに取り残された。小石がそこかしこから崩れて落ちてきている。いまにも巨大な落石が起きそうだ。

「行く手も退路も塞がれた。おれたちはここで生き埋めになるのか」

「こんなところで死にたくない!」

 南の国の兵士の中には、叫びだす者もいた。岸壁に封じられた大陸の喉仏は悲愴感に包まれている。

「おまえが、クロス・リード様を斬るからこんなことになったんだ」

「ここで飢え死にする前に、おまえだけは斬っておかないと気が済まない」

 怒りの矛先がタウラに向けられた。兵士たちが一斉に剣を抜き始める。

 戦わなくちゃ。

 応戦しなければと剣を構えようとしたが、タウラは意識を保っているだけでやっとだった。マルスがタウラの肩に手を置いた。

「よくやった。少し休んでいろ。あとはわたしがやる」

「ずっと見てるばっかだったからね。彼らを相手に一戦交えるつもりなら、おれもやるよ」

 ハンニバルが槍に手をかけていた。

「ハンニバル、ここは心配要らない。下がっていてくれ」

「斬るつもりじゃないの?」

「やむを得ない場合はそうする」

「ふーん、何か考えがあるってことね」

 槍を収め、ハンニバルは下がった。マルスが兵たちに向かい合い、声をあげた。

「道を空けろ」

「ま、マルス・マルタン。くそ、おれたちを殺す気か」

「わたしは空けろと言った。斬られたいのならかかってこい」

 挑発された兵士たちだったが、だれも飛び出す者はいなかった。マルスに面と向かって敵いっこないのは本人たちが一番わかっていたのだ。兵士たちはじりじりと左右の崖にあとずさる。マルスの前には巨大な岩石がそびえている。進行方向、グラジオス側とは逆だ。剣を振り上げ力を込めはじめた。

 この感じ。

 タウラは気づく。クロス・リードが剣にエラを集めているのと同じだ。マルスの剣にエラが集まってきている。

「我らに活路を作りたまえ」

 マルスは呟いたのち、「はっ」と一閃した。一陣の風が通りすぎ、岩石に衝突した。衝撃音が轟いた。風が渦上の刃となり、目の前の岩石をくり抜いた。

「おお!」

「……これが……マルス・マルタンか」

 岩石の下部に人が通れるほどの穴が空いたのだ。

「自分たちの町に帰れ」

 マルスがそれだけ言うと、剣を収めた。だが、兵士たちはとまどっていた。目の前の状況を飲み込めていないのだ。

 兵士の一人がマルスのもとに駆け寄ってきた。鎧は着ていないが他の兵と服装が違っている。この中で一番の高官なのだろう。

「マルス・マルタン。見事としか言いようのない力だ。その力があれば反対側の岩も砕くことができるのだな」

 マルスはうなずき、返答した。

「わたしたちはここからグラジオスへの道を死守する。これは取引だ」

「取引とは一体」

 そこまで言いかけて、兵士は気づいた。マルスが先に進行方向側ではなく、後方の岩石に穴を空けたのは、自分たちに退路を作ったからだ。もしグラジオスに通じる道を先に作っていたら、南の軍は侵攻する。進行しなくてはならない。それが命令であるから。マルスたちは当然それを阻むだろう。そして、血が流れることになる。

 しかし、グラジオスに通じる道がなければ、兵士たちは侵攻することができない。マルスの意図を察し、高官の兵士は剣を収めた。

「貴殿の腕は聞き及んでいる。余計な争いで兵を無闇に傷つけはしない。我々はここで貴殿らを。南の国はこれより本国に帰還する」

 同時に兵士たちから歓声が上がる。

「この山脈から出られるぞ!」

「帰れる! 帰れるんだ!」

「飢え死にしなくて済んだ!」

 よろこび抱き合っている。高官の兵士が小声で言った。

「南の国はマルス・マルタンの行為に感謝します」

「気持ちは受けとっておく。だが、戦場にふさわしくない発言はしないことだ。ところで荷馬車に火薬は積んでいるか」

「もちろんです。兵がすべて通り終えたらこの通路を爆破します」

「そうしてくれ」

 高官の兵士は重ねて頭を下げ、仲間を連れて岩穴を通っていった。マルスの機転でひとつの衝突を未然に防いだのだ。クロス・リードが生きていたら、どんな状況下であろうと、なんとしても前方への道を作っていたに違いない。

 軍隊長の影響力は計り知れない。しかし、それは弱点にもなる。マルスは絶対的な指揮官を失ったことによる、南の国の戦意の低下を見抜いていたのだ。

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