第25話 エラの声
タウラに話しかけてきた声がだれなのか、結局わからなかった。しかし、声が聞こえてから、クロス・リードの攻撃を一度も受けていない。身体に激痛が走っているはずなのに、タウラは剣を流れるように振っていた。
なんだろう。いつもの集中とは少し違う感じがする。
クロス・リードが生み出す矢に身を翻しながら距離を詰めていく。そして、ようやく間合いに入った。タウラの連撃を受けるも、クロス・リードに傷はつかない。しかし、土の剣は刃こぼれを起こしていた。
「おもしろいな。おまえ、その剣をだれに習った」
タウラは答えられない。
「そうか、話すことができないのだったな、寡黙の剣士よ。似たような剣に出会ったことがある。
そういえば、カイル親子も行商人として旅をしている。繋がりがあるのだろうか。
「思いがけずなかなか楽しい時間だった。だが余興はこれくらいにしてもらおうか」
クロス・リードにはまだ余裕がある。だが、少しずつ追い込めている。まだまだこちらの攻撃は終わらせない。そのはずだった。
なんだ。前に、進めない?
タウラがさらに踏み込もうとして出した右脚が、突然動かなくなっていた。体勢を崩し、地面に倒れる。起き上がろうとしても力が入らない。右脚の感覚がなくなっていた。クロス・リードが驚いている。
「身体に無理がたたったか。それとも何か病にでも冒されているのか」
自分の意思が右足に伝わらない。時が止まる呪いの力だ。コルポト村で、小さな異変は今までにもあったが、身体の一部分がまるごと動かなくなるのは初めてだ。そういえば、昨夜から荷馬車に潜んでいて、薬を飲んでいなかった。薬のおかげで忘れることができていたが、この呪いは着実にタウラを蝕んでいる。
くそ、こんなときに!
剣を地面に突き立て、左足だけでタウラは立ち上がった。負けるわけにはいかない。
「崩れてなお、目は死なずか。おまえを一端の剣士と認めよう」
クロス・リードの剣に気が集まっている。剣にエラを込めているのだ。タウラの足下の土が
「エラの力を得た者は、それだけで常人以上の戦力となる。だが、エラの神髄はその応用性にある。力を存分に使うならば、名を与える。名は体となり、我が肉体の刃と化す。寡黙の剣士よ、母なる大地の一部となるがいい。
左脚一本で蹴り上げ、地から離れようとしたが、足首に土が巻きつきタウラの動きを止める。足の爪先から頭のてっぺんまで土に覆われていく。
「タウラ!」
異変を感じ、マルスが声をあげたときにはすでに顔まで土が届いていた。タウラの動きが完全に止まった。自分が土に覆われ、視界は閉ざされている。足から土に固定され、立ちつくす。かろうじて呼吸はできるが空気は少なく、胸まで圧迫されているのでやがて息もつけなくなる。頭がぼんやりしてきた。立っているのに土に押し潰されていく。タウラは孤独になり、意識と一緒に身体まで溶けていっているみたいだ。やがて土の一部となり始めていく。
――動けないよね。苦しいよね。ごめんね。
まただ、また聞こえる。少年のように高い声だが、落ち着いている。直接頭に響いてくる感覚は王国騎士の試験でレリーフを触ったときに聞こえた悲鳴と似ている。でも、あのとき感じた不快さはない。身体は動かないので、わずかに残っている意識を声に集中させる。
――遅くなってごめんね。助けてあげるね。
タウラを包みこんでいる声、これは土の声だ。直感よりもはっきりとわかる。意識の中で話しかけてみようとした。
どうして助けてくれるのか。
――だってタウラはエラの友だちだから。
声が届いた。さらに会話を試みる。
友だちってどういうこと? エラってだれのこと?
――エラはエラだよ。せっかく目覚めたのに、ずっと話しかけていたのに答えてくれなかったよね。でも、いまは聞こえているでしょ。
たしかに聞こえる。崖崩れが起きたときに聞こえた声もきみだったのか。
――そうだよ。タウラがいなくなるとエラが悲しむんだ。だから手伝ってあげる。そしていつか、エラに会ってあげて。
エラに会うとはどういうことだ。
その問いかけには返事はなかった。しかし、タウラの身体がわずかだが動くようになっていた。土に覆われた剣で固まっていた身体を叩くと、土は砂のように崩れ去った。タウラは喘ぎながら空気をめいっぱい吸い込んだ。気づけば、右脚の感覚も戻っていた。
「おまえはエラが操れるのか。いやそんなはずはない。あのお方の言うことには」
タウラの生還に動揺を見せたクロス・リードだったが、邪念を振り払うように剣を横に一閃した。
「他人の詮索をしても無意味なことか。やはり最後に信じるのは自分の剣のみ」
タウラに斬りかかっていった。タウラはそれを受けながら懐に入り胸から肩にかけて斬り上げた。
「ごふっ」
クロス・リードの身体から血が走り、口からも大量に吐いた。
「おれが負けるとは。未知の力に屈するか。ふふ、いいものが見られた。これだから剣はやめられん」
タウラは距離をとったが、剣を下げなかった。この男の気はまだ失われてはいない。
「だが、おれはあのお方との約束を果たす。時代の異分子を排除する。それがこの力を授かった責務だ」そこまで言って地面に倒れた。その倒れ方を見て、もう、立ち上がる力はないと、タウラは思った。
「寡黙の剣士、油断せぬことだ」
クロス・リードは土の剣を突き立てていた。同時に大地が揺れ始める。
「許せ、兵士たちよ。祖国に仇なす者を、ここで討つ」
さっきの崩落とは比べものにならない。大陸の喉仏の陸路である前後の道が盛り上がり、その形を変えていく。隆起の場に居合わせた兵士たちは、立つことにままならず、土に飲まれる者もいた。
「クロス・リード様! どうか、おやめください!」
兵士たちが必死に声をあげて訴えても、クロス・リードの表情は固まったままだ。すでに絶命していた。代わりに兵士たちの悲鳴が、そこかしこに響き渡る。
「だめだ、逃げられない」
山脈が震え、兵士たちの叫び声すらかき消すほどの轟音が起こった。谷となっていた溝が急激に盛り上がり、今度は崖になろうとしている。そのタイミングを計り、マルスとハンニバルは足場を移動してタウラのもとにやってきていた。
大地の鳴動が止んだ時、タウラたちの四方は断崖に覆われ、縦に列を成していた南の国の軍隊が分断された。
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