第19話 助けてくれなんて言ってないのに

 男は涼しい顔をして、タウラたちを見下ろしている。ローブの内側から短剣を出し斬りかかってきた。ハンニバルが膝をつきながらなんとか受ける。

「剣の腕は二流だな」

「剣が使えたところで意味などないんですよ。そうそう、この先の岬で見覚えのない船を見つけたのですが、壊しておきましたよ」

 タウラたちの船だ。小型とはいえ頑丈な造りの船を短時間で壊すなど普通はできない。

「あんたに船が壊せるとは思えないけど」

「剣を振り回す馬鹿にだけできる芸当ではないのですよ」

 男のまわりに風が巻き起こり、ハンニバルが吹き飛ばされた。この不可思議な力があから、非力な男でも船を破壊できたのだ。

「だれの船か判りませんが、南の国レジーナの印である「渦と砂時計」がありませんでしたから、密入者のものでしょう」

 タウラははっとした。どうしていままで気がつかなかった。南の国の国旗のモチーフは「渦と砂時計」なのだ。その意味を深く考えたことはなかったが、いまならわかる。砂時計エーラ・クロツカが渦を生み出し、タウラとリーシャはそれに飲み込まれたのだ。おそらく、目の前の男の扱う奇術と砂時計は関係している。

「素晴らしい力を授かりました。そこの魔女をもってしてもわたしに手も足も出なかったんですから」

 最強の剣士がこのザマです、男が薄く笑う。ハンニバルが起き上がり、槍を構える。

「おまえはマルスを勘違いしているな」

「そうですか。では何が違うのか教えてもらいましょうか。非力な女剣士を英雄に奉り上げた愚かなグラジオスが「勘違いをさせた」というのなら理解できますが」

 ハンニバルの振り下ろした槍が空中で止まった。風の抵抗に押し戻されているのだ。足が浮き、もう一度吹き飛ばされ、道の脇に置いてあった樽に突っ込み、樽が壊れた。

 タウラが体を回転させ、勢いをつけえ男に剣を振るも、切っ先が身体に触れる手前で剣が止まった。これでもだめか。タウラもハンニバルのように吹き飛ばされた。

「二人がかりとは。剣士として恥ずかしくないんですか。それでもわたしに触れることもできないなんて、死神が訊いて呆れますね。マルス・マルタンも今度はきちんと処刑してやりますよ。おまえたち三人の首をまとめてはねてあげましょう」

 マルスは大勢の兵士たちに応戦していた。

「おいおまえたち。その女は生かして捕えなさい。わたしが直々に手を下す。所詮は女一人、大したことはありません」

 いくらマルスでも一人で何十人もの兵士を相手にするのは厳しい。はやく、この男を倒さなくては。タウラはよろめきながら立ち上がり、男の前に立つ。

「おまえごときが立ち向かえる相手ではありませんよ」

 男の操る風がタウラを襲おうとした直前、タウラの横っ腹に衝撃が走った。

「邪魔」

 ハンニバルに蹴飛ばされていた。容赦のない蹴りで、端まで転がり、壁に背中を打ちつけた。

「まともに戦えない人間が出しゃばるんじゃないよ」

 タウラはしばらく呼吸ができずにいたが、せき込んでようやく息が吸えた。肺がとまったかと思った。タウラの代わりにハンニバルが男に向き合っていた。なぜ、自分を足蹴にしたかが理解できない。

「余計なことはしなくていいから、そこでじっとしてて」

「仲間割れですか。使えない人間はいるだけ無駄ですからね」

「その意見には賛成だけど、それで捨てるだけなら、上官としては凡庸だね」

「思い切り蹴飛ばしておいてよく言いますね。相手があなたに代わろうと、順番が違うだけで私には同じことです」

 そこまで口にして突然、「うっ」と男が呻いた。脇腹を剣が貫通していた。

「これは……まさか」男の視線の斜め横、兵士に囲まれていたマルスが剣を放っていたのだ。

「斬ってだめなら貫けばいい。声が大きかったおかげで的が絞りやすかったよ」

 マルスは一度もタウラたちを見ていない。その余裕なんてない。大勢の兵士を相手にして、その上で男を狙ったのだ。

「タウラくんが線上にいて、マルスが剣を放れなかったんだよね」

 離れた場所で、顔を見合わせたわけでもないのに、マルスとハンニバルは意志疎通ができていた。攻略の糸口は見つかっていたのだ。しかし、タウラがその妨げになっていた。邪魔だったのだ。

 男のあごが血にまみれ、痙攣けいれんを始めた。

「こん、な、ところで……わたしが」

「マルスの力を見誤った代償としてはこんなもんでしょ」

「せめて、が望んだ、この男を」

 タウラに手を伸ばそうとしている。その手をハンニバルが斬り捨てた。悲鳴がさらにこだまする。

「手がないんじゃ風も起こせないのかな」

 無表情のままハンニバルが男の胸を突いた。「もうしわけ…ありま……」と言い、口から大量の血を吐き、絶命した。

「まさか、指揮官殿が」兵士たちが驚愕している。その隙にマルスがタウラたちに並び、三人はその場を走り去った。前方には兵士はいなかったのは幸いだった。速度を落とさず、そのまま町を出た。人目のつかないところ、船を隠した岬まで逃げる。岩陰に身を潜め息を整えた。

「ふう、まずは作戦成功ってとこかな」

 辺りは暗くなっていた。海風が三人の服をはためかせる。布きれ一枚のマルスには海風はきっと冷たいだろう。だが、彼女は表情に出さない。それどころが、タウラとハンニバルに非難の目を向けた。

「おまえたち、二人だけで来たのか」

「そうだよ。大人数では動きが把握されやすいし」

「なんて危険な真似を。無鉄砲にもほどがあるぞ。王の命令ではないな。ハンニバル、おまえの独断だろう。グラジオスには助けを送れる余裕などない。王は何よりも国を想う人だからわたしを捨てたはずだ。それでよかったのに。ハンニバル、タウラまで巻き込んで。おまえたちは貴重な戦力なんだ、それをどうして」

「マルス、ちょっと黙れ」

「……」

 ハンニバルの声音に驚いたのか、マルスの言葉が途切れた。

「タウラくん、このばか女のこと殴っていいよ」

 マルスの目が吊り上がった。

「だれがばか女だ」

「マルスが捕まったと連絡を受けて、国はどうするか決めなければならなかった。国は砂時計を選んだよ。マルスの言う通りだ。でも、彼だけはマルスを諦めなかった。助けにいくことをずっと訴えていた。言葉を失ったこの身体で、たった一人でも助けにいくと決心していたんだ。大して強くもないくせにばかな男だよ」

 マルスは目をしばたき、それから申し訳無さそうにタウラを見た。

「タウラ、なぜそこまで」

 簡単なことだ。言葉を失った自分を認めてくれたから。マルスは話しかける代わりに剣を交えて会話をしてくれた。それで伝わっていた。うなずく代わりに、ハンニバルを見た。

「美人を助けにいかないんじゃ、男が廃るからね」

 タウラはうなずいた。マルスはしばらく目を閉じ、それから深々と頭を下げた。

「助けに来てくれたこと、感謝する。迷惑をかけてしまったな」

「そうそう、美人は素直に限るよ」

「とはいえだ! 一人で来ようとするなどどうかしてるぞ。わたしがばかな女なら、おまえはわたし以上にばかな男だ」

 たしかに、そうかもしれない。タウラは笑った。

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