第17話 救出作戦開始
ハンニバルに指示された待ち合わせ場所は三階建ての建物だった。生活感のない静けさが漂っていたが、三階に人の気配がしたので階段を登る。南側の一室で、灯りをつけずにハンニバルは窓から外を眺めていた。月の光に写されたシルエットは神秘的でもあり、不気味にも感じた。
「先遣隊が使うはずだったんだけどね。今は無人の部屋だよ。ずいぶん早いじゃないか。根を上げて戻ってきたのかな」
タウラはガスパの地図をハンニバルからふんだくり、町の南に位置している建物を指差した。
「ここにマルスがいるのか。そこまで大きな施設ではなさそうだね。処刑が執り行われ場所は」
タウラは広場を示した。
「やるねえタウラくん、こんな短時間で情報を仕入れてくるなんて。いい女でもたぶらかしてきたのかい」
真面目に仕事をしただけです。ハンニバルをねめつける。
「町がそわそわしていたのは処刑日が近いからだろう。約束の五日目は明日だ。ところで、どうしてマルスの処刑をガスパで執り行おうとしているかわかる?」
交易の拠点、主要都市だからではないのか。大きな町の方が人口が多いし、目立つ。というかそこまでは調べていない。
「ここは港街ってだけでなく、陸路でもグラジオスが近い。安全面から陸路を使うことはまずないけど、物理的な近さは心理的にも近いと影響を与えるのさ。海を渡ればすぐにグラジオスだからね。でも、助けにいくのが南の僻地じゃあちょっと考えようと躊躇いが出るかもしれない」
マルスを救出しやすい状況を作っている。やはり罠があると考えてよいだろう。ハンニバルはそう言うが、タウラには解せない。
「おれも自分の考えが矛盾しているのは判ってる。だから気持ちが悪いんだ。とはいえ、相手の策略にはまっているときはそういうもんなんだけどね」
そんな状況を二人だけで攻略できるのか。いや、そのためのタウラなのかもしれない。
ある程度の犠牲か。
部屋に佇むハンニバルの表情は読みとれない。読みとらせてもらえない。相当の腕前の剣士であることが今さら実感でき、それが恨めしかった。
「今日中にマルスが捕えられている屋敷を襲ってもいい。タウラくんならどうする」
夜の闇に乗じてというのはよい。が、屋敷にどれほどの警備がいるかは不明だ。それに、
「お、よく気がついたね」
タウラはハンニバルの獲物を見ていた。背丈と同じほどの長さの三つ又の槍で、両端に刃がついている。これの真価を発揮するには広い場所でないといけない。
「おれの武器は野戦用なんだよね。室内での戦闘はあまり向いていないんだ。だから広場に乱入したいんだよね」
悪ふざけしにいくような言い方だった。そう思うタウラも見通しの利く広場の方が剣を振りやすい。
「マルスには悪いが、今日までは冷たい牢の中で過ごしてもらおう」
翌朝、タウラはまず町を散策した。地理を頭に叩き込んでおけと、ハンニバルからの命令だった。マルスの処刑が行われる町の中心にある広場は、正五角形をしており、そこから五本の道が伸びている。その西側に処刑台が設置されていた。常に置かれているわけではなく、臨時に設置されたものだ。
町中が処刑の話で持ち切りだった。広場にはすでに人が集まってきており、処刑台の傍は埋まっている。
人を殺そうというのに、先頭で見たいと思う人がいるのか。
喜々とした表情を見せる者たちの前でマルスは処刑されようとしている。同じ人間が敵味方に別れると、ここまで人の不幸をしゃぶりつくすことができてしまうのか。タウラは深い哀しみに襲われた。
「タウラくん、おれたちは戦争をしているんだよ」
部屋に戻ったタウラに、ハンニバルは第一声に言った。タウラが何を見て何を感じていたのかを見通していたかのように。そして、それがあたり前なのだというふうに。人を人として見ない。
歪んだ考えであるとグラジオス王とマルスは言っていた。しかし、ハンニバルはそうではない。どこまでも割り切って仕事をしているのだ。敵を葬るという仕事を。だからこそ、タウラのお人好しの部分を見抜き、指摘しているのだ。
「目の前のことさえ霞んで見えているなら、きみの先はどのみち長くないな。敵に同情するためにここまで来たのか」
緩みかけたタウラの緊張はこの一言で取り戻した。感謝の意を込めて会釈をしたが、ハンニバルはすでに武器の手入れを始めていた。
夕方になり、ガスパの街に鐘の音が響き渡る。マルスの処刑が行われる時間だ。タウラとハンニバルは夕日を背にし、処刑台を見下ろせる建物の屋上にいる。風が出てきていた。北から吹きつけるぬるく湿った風だ。広場は埋め尽くされるほど大勢の見物客でひしめき合っていた。
夕方五時の鐘が鳴る。同時に、ざわめきがどよめきに変わった。タウラたちの正面の通りから兵士に引かれて囚人マルス・マルタンが連れられてきたのだ。手に枷をはめられ、秋樫色の髪を無造作に垂らしている。素顔を晒した状態で、処刑台に向かって群衆の中を進む。鎧姿ではなく薄汚れた布をまとっているだけだった。
罪人の印象がイメージと違っていたのか、信じられないといった空気が広場を渦のように飲み込んでいく。少女のあどけなさを残す女がマルス・マルタンであることに動揺している。処刑台に登り、マルスを断頭台に隣に立たせる。処刑一色だった会場の雰囲気が乱れている。
タウラはすぐにでも飛び出したかったが、ハンニバルに制される。
「あいつがガスパの指揮官か。見たことないな」
マントを覆った男が手を上げた。広場が静まる。
「南の国の諸君、今日という歴史的な日を諸君らと迎えられることをわたしはよろこんでいる。
熱を帯びた言葉で観衆に訴えかけている。
「しかし、ついにその害虫を、憎しみの元凶を捕えたのだ。この女こそがグラジオスに巣食う魔女なのだ。人の命をいくら奪っても満たされることのない欲望に魂を支配された魔の化身なのだ。同胞たちよ、この魔女がマルス・マルタンだ。その首に振り落とされる刃は南の国の怒りそのものだ。怖がることはない、ためらうことはない、みなで正義の鉄槌を下そう。この魔女を葬り去り、グラジオスを打ち破り、我が国は栄光を掴むのだ」
ハンニバルが舌打ちするのと同時に、見物客が歓声を上げた。乱れた雰囲気は統一され見物客たちは「殺せ」と驚喜している。マルスに向かって石を投げる者もいた。石はマルスの額にあたり、血が滴る。それでもマルスは顔を下げなかった。その光景を目に焼き付けているようだった。
「国も人もおそろしいな」
ぼそりとハンニバルがつぶやいた。その一言の方がタウラには恐ろしく感じた。これから起こることにまるで遠慮をしない、そう宣言しているふうに聞こえた。マルスの首が断頭台に乗せられる。
「タウラくん、ここから先は自分の身は自分で守ってもらうぞ」
先刻も承知だ。そのためにマルスに鍛えてもらったのだ。広場の熱気は頂点に達していた。
「行くよ」二人は同時に屋根の上から処刑台に飛び降りた。
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