第16話 潜入

行動できる時間は限られている。動くなら早い方がいいということで、その日にうちに出発することになった。小型の船で隠密に乗り込もうというのだ。用意したのは食糧だけで、行楽に行くような手軽さでガスパへ向かう。

「タウラ、無茶しちゃだめだよ」

 見送りにきたリーシャにうなずく。うなずきながら、心の中では、たぶんそれは無理だろうなと思った。志願しておいて言うのもあれだが、作戦自体が無茶なのだ。

 グラジオス城から馬車を使って南西の港に到着した。そこまでは護衛の兵がついてきたが、港からはいよいよ二人での航海になる。

「ここの海は今の時期は荒れることはないから小さな船でも問題ないよ。それに少し進めば対岸が見えてくる。帆の操り方は知ってる?」

 タウラはうなずく。カイルの父である師匠に教えてもらったことがある。

「五日っていえば報せを受けてすぐガスパに向かえば余裕をもって到着できる期間だ。マルスを助けにくることを想定しているようなゆとりがあるんだよね」

 そこが気持ち悪いんだよねと、ハンニバルは言った。誘導されているとも考えられるのだ。それでもマルスを助けるため王を強引に説得したハンニバルは仲間想いの人なのだ。そう思っていたらハンニバルの視線がタウラに注がれていることに気がついた。その目はタウラにとってはじめて見る冷たさを含んでいた。

「タウラくんだっけ。マルスの救出に手を上げてくれたことは感謝する。でもね、今回の事件は少なからずきみが関係しているよね」

 タウラとリーシャがこの時代にやってきたことで、何らかの変化が起きていることをハンニバルは言っている。明確な証拠はないが、タウラ自身もそれは感じていた。

「その上で先に断りを入れておくけど、最優先事項はマルスを助け出すことだ。この時代に必要な存在は生き残らなきゃいけない。だからそれを遂行するためにおれにせよ、きみにせよ、ある程度の犠牲は仕方がないと考えている」

 それがどういうことかわかるよね。無感情なのとは異なる合理的な判断だ。目的のためには手段を選ばない。それを成し遂げるための冷たい信念だ。玉座の間での飄々としていたハンニバルとは別人を見ているみたいだ。

「あと、おれはきみのことを手放しで信用していないから。マルスが認めたから最低限は信用するけど」

 はっきり言った。

「マルスはこの国で重要な剣士だ。だからガスパで問題が起きたとき、おれは迷わずマルスの命を優先するからそのつもりで」

 タウラとマルスを天秤にかけたとき、マルスを選ぶということだ。必要とあればタウラを始末しようとするかもしれない。目的遂行のための一時的な提携で、不用意に背中は預けないと、不信感を隠さない。あらかじめこういうことを言うのがハンニバルのやり方なのだろうか。船はしばらく海を渡っていたが、これ以降、ハンニバルがタウラに話しかけることはなかった。


 船は丸一日波に揺られたあと、ガスパ港近郊の人気のない岬に停泊した。船を岩陰に隠し、波が岩を叩く音に紛れて日が落ちるまで岬で身を潜めた。ガスパに関門はないため町に入ることは容易だった。だが、マルスがどこに捕えられているか、それを調べる必要がある。期限が過ぎたらこの町で処刑を行うと帰還した兵士は言っていた。

「さて、タウラくん。ここからはうんときみに働いてもらうぜ。マルスの居場所を知りたいが調べるにあたって問題がある。おれはこっちの国でそこそこ顔が割れちゃってさ、あまり目立った動きができないのだよ。有名人なもんで。まあ悪名なんだけどね」

 敵国からしたら三英雄はそらおそろしい存在だ。人相が広まっているのは間違いない。そこで雑用兼身代わり候補のタウラくんに情報収集をお願いしたいのだと。マルスを見つけるためにはどこかの機会でこの町の人と接触しなければいけないのは判っていた。身バレのないタウラが適任であるが、話せない状態が厄介だ。どう聞き込みをすればいいのか。

「もともと一人でも乗り込むつもりだったんだろ。そこはうまくやってね〜」

 三英雄の一人は大変いい加減な性格をしていらっしゃるようだ。二人は裏路地に入った。ハンニバルはランプで手元を灯し、地図を開く。ガスパの町全体が描かれている。その北側の一点を指した。

「先遣隊が使うはずだった建物だよ。敵さんに勘づかれていなければまだ取り押さえられずに残っているはずだ。おれは先に行って様子を見ておく。ここで落ち合おう。町で騒ぎは起こさないでくれよ」

 ハンニバルはそそくさと行ってしまった。見知らぬ町で一人になった。マルスの居場所か。やみくもに尋ねても会話にすらならない。だが、こういうときの心得はある。タウラは師匠の言葉を思い出していた。

 ――旅先で迷ったら酒場に行くといい。

 会話が自然と生まれ、黙っていても情報が入ってくる場所だ。タウラはひとまず町の大通りを目指した。グラジオス城下町にも酒場はあり、大通り沿いに軒を構えているのだ。通りには多くの馬車が行き交っていた。ガスパは港街、物流の拠点になっている街なのだ。

 予想は的中する。木造の平屋で、店の外に飲み干された酒樽が並んでいる。タウラは酒場の敷居を跨いだ。視界は明るくなり、中は客でごった返していた。戦中であるが賑わっている。酒場に活気があれば町は元気な証拠だとも師匠は言っていた。南の国はまだ元気なのだ。それともこの町にはまだ戦火が及んでいないのか。挙動不審にしていると怪しまれるのでタウラはずんずん進み、どかりとカウンター席に座った。

「いらっしゃい。なんだい、ずいぶん若い男じゃないか。旅の人かい」

 女主人に軽く会釈をし、酒の入っていない飲み物を指で示して注文した。金は軍資金として南の硬貨をいくらかもらっていた。タウラの時代と同じ硬貨だったのでぴったり支払えた。待っている間もまわりの話し声が途切れることはない。

「戦争中だってのに、ここは相変わらず景気がいいな」

「酒場までしみったれてたら国が傾いちまう」

「そうだとも、おれたちは戦争に勝つために酒を飲んでんだ。なあ、新入り」

 タウラを見ている。さっそく絡まれたので、控えめにうなずき返す。

「けっ、すかしてやがる。おい、酒も飲めねえやつが酒場に来るんじゃねえ。てめえみたいな青臭いガキには早いんだよ」

「おまえたち年下に絡んで恥ずかしくないのかい」

 女主人が仲裁に入った。

「大人の忠告をしてやってんだよ」

「戦争中に飲んだくれてるやつらの戯れ言なんて聞きたくないね」

「あんたに話してんじゃねえよ。それに戦争っても南が勝つのも時間の問題だな。なにせ敵の隊長を捕えたんだから」

 きた。タウラは獣のように耳を立てた。

「捕虜なんかにしないでとっとと処刑しちまえばいいんだよ。さんざんこの国の人間を殺したやつなんだから」

「生かしているのは何か考えがあるんだろ。新しい総帥はかなりの切れ者らしいからな。それに捕虜は女らしいぞ」

「ははん、それでか。まずは愉しんじまおうって魂胆だな」

「あんたら品のない話をするんだったら店から出ていきな」

「こんなちんけな店に品もくそもねーだろが。お上品な会話をしてほしいならもっと上等な酒を出せってんだ」

「戦場にも立てない臆病者が生意気言うんじゃないよ」

 客が怒り、椅子を蹴っ飛ばして、女主人を罵った。女主人も負けじと言い返す。怒鳴り声が酒場に響いている。まわりも笑いながらやじを飛ばし、やがて喧嘩が広がり客同士で争うようになっていた。喧嘩の発端のはずが蚊帳の外に置かれてしまった女主人がタウラに申し訳無さそうな顔をする。

「騒がしい店ですまないね」

 タウラは気にするなと小さく首を振った。

「あんたさっきから一言もしゃべってないけど、どうかしたのかい。まさか話せないとか」

 はい、そうです。女主人がはあと、長めに声を洩らした。

「難儀なもんだねえ。せっかくのいい男なのに。まあ、寡黙な男ってのもいいか。理由は訊かないけど気をつけな。最近ここに赴任してきた指揮官は、いい評判を聞かないからね。あんまり遅い時間に出歩かない方がいいよ。国のやることはあたしらみたいな町民にはよくわからないけど、言いがかりをつけられて割を食うのはいつだってこっちなんだ。物騒な町になっちまったよ」

「おい、ばばあが若い男を口説いてるぞ」

「酒くさい男どもに飽き飽きしてるんだよ」

 どっと笑い声が響く。笑い方はグラジオスの兵士たちと変わらなかった。タウラはふと思った。もし、リーシャとともに降り立ったのが南の国だったら、ここの兵として働いていたのだろうか。

「ともかく目立たないようにすることだ。しゃべれないってだけで難癖つけて牢屋にぶちこもうとするかもしれないからね。ガスパの南にある屋敷には極悪人が捕まってるから一緒に処刑されちまうかもしれないよ」

「町の広場で行われる処刑には大勢の見物客がくるだろうな」

 それから先はグラジオスの隊長を処刑する話で盛り上がった。その内容はタウラにとって耳心地の悪いものだったので、彼は静かに酒場をあとにした。

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