第13話 急変

「どういうこと?」

 リーシャの問いかけに、マルスははっきりとした口調で答えた。

「数年前まで、グラジオスで王国騎士になるにはそれなりの身分のある者にしか門戸が開かれていなかったんだ。わたしは平民の生まれで父は兵として死に、母はそのあと病で亡くなった。九歳のときに孤児となり、行商人に買われたんだ」

「買われたって……」

 いまでこそ法整備はされているものの、戦時下において倫理が限られたところでしか通用せず、人の売り買いが蔓延していたのが中世だ。買われた者は奴隷になり、慰み者にもなる。だが、マルスの声からは自嘲気味ではあるが、悲しみは感じなかった。

「聞こえはよくないが、そういうことだ。買われた者は人とは扱われず、食べものもろくにもらえず働かされ死んでゆく。それでもわたしは恵まれていたのだな。辛いことが多かったが、いいこともあった。剣を習えたのだ」

 普通なら剣を教わることなどできない。奴隷に武器を扱うことを教えたら反逆にあうかもしれないのだ。

「わたしを買った行商人がちょっといわくつきでな。よく物を盗まれたり商品を買い叩かれたりして、商売で損を被ることがあった。追剥おいはぎにも襲われることもあった。自分の身は守れても雇った人間にまで手は回らない。だから自分の身は自分で守れという教えになったのだそうだ」

 雇ったものを守るのにも金を払うなぞ馬鹿のやることだ。ならば奴隷に、しかも女にだって剣を持たせる。それはどこの家でもやりはしない。行商の中でも特種な環境がマルスに剣を持つことを許したのだ。

 そのときにマルスは悟ったのだという。いくら権力があっても、いくら金があってもすべてを守ることはできない。世を渡るために自分で自分を鍛えなければと。

 タウラはふと、マルスと自分の境遇を重ねた。父を失い、生活を守るために剣を学び始めた自分と似ているかもしれいないと。いや、全然違うか。似ているのは行商人に剣を習ったことだけだ。

「いろいろな土地をまわったよ。腕がよかったらしく、師匠も熱心に教えてくれた。わたしも剣を振るのが好きだった。それから数年経ち、グラジオス第十四代が崩御し、今の十五代に政権が移った。そこで現王がはじめにやったのが、王国騎士の資格を平民にも与えるようにしたことだ」

 翻せばそれくらい人材難だともとれる。師匠の推薦でマルスは試験を受け、見事合格した。女の身であることは試験を不利にはしなかった。

「どうして、行商人の方は、マルスに王国騎士試験を受けさせたのかしら」

 私金を投じて買った人間を手放すことになるのだ。

「そうしなければいけないような気がしたと笑って言っていたよ」

 そう言いながら、マルスも笑っていた。

「お告げを聞いたのだと師匠は言っていたな。あのとき食事をしていたみんなが目を丸くしていたのを覚えている。師匠は恥ずかしそうしながら、話してくれた」

 悪いことが身に降りかかってくるのを避けるために、何でもしようと思った矢先のことで、すとんと胃の腑に落ちたそうな。

 国に役立つ人間を一人前に育てあげる。土地に根づかず、国への想いが希薄な行商人がそうして国に貢献したくなったのだそうだ。

「師匠は亡くなってしまったが、わたしの恩人であることは変わらない。長くなってしまったが、そういう経緯でわたしはこの城に来たのだ」

 マルスは王国騎士となり、立身出世を遂げる。一人の女剣士が今の立場になるまでには相当な苦労があったに違いない。いばらの道を通りながら、マルスは王の期待に応え続けた。

「はじめて王に謁見したとき、おまえの剣は国を豊かにする剣だ。王はわたしにそう言ってくれた。だれかに必要とされることがこんなにうれしいと感じたのは、それがはじめてだった。師匠に教わったこの剣で国のために働く。それにふさわしい王だと感じたのだ」

 王国騎士を目指していたタウラには、その気持ちに共感することができた。そして、逆があることも知っている。声を失ったときの喪失感は、自分の価値の喪失そのものだった。マルスにもそういう危機は幾度もあったに違いない、それでも彼女は逆境を跳ね除け、生き延び、いまもグラジオス王に仕えている。

「素敵な関係ね。できれば王様の側にいたいんじゃない」

「あまり側にいらては迷惑だといつも言われているよ。それに、わたしはしばらくここを離れるが、入れ替わりにあいつが帰ってくる。城は問題あるまい」

「もしかして、マルスと同じ三英雄の一人、ハンニバル・ユングのこと?」

 マルスは苦笑いした。

「ずいぶん変な呼び名があるのだな。わたしたちはそんなではないよ。特にあいつは、掛け値をつけても英雄と呼ぶにはちょっと、あれだな」

「どんな人なのかしら」タウラとリーシャは不安になってくる。

「性格はともかく、国を任すに足る人物だ」

 二人の心配をよそに、マルスの表情は穏やかだ。マルス、ゴンザム、ハンニバルは出生も、育った環境も異なる。しかし、その絆は身分を越えて固く結ばれていたと史料に残っている。離れていても、互いのことを信頼している。この三人がいたから、グラジオスは強国たりえたともいえる。


 翌朝、マルスは数人の兵士を連れて出兵した。マルスの出兵には大勢の国民が見送りにきていた。国の人気者の出兵には、国民が大きな期待を込めて歓声を飛ばしていた。この日は、「地味」なグラジオス城下町が華やかになった。

 グラジオスに近接している、南のレジーナの港町、ガスパを押さえることは、この戦争に大きな意味をもたらす。別隊の一員として出兵するまでの数日間、タウラは稽古に励みつつ、合間にリーシャとともに城内の雑務に精を出した。

 王には城に慣れろと言われた。雑用をこなす分、多くの人と接することになる。ここではだれもが懸命だった。人の働きを間近で見て、自分も参加する。そういう小さな関係の積み重ねが、人を強くすることを王は知っている。

 先遣隊が出兵して四日後、タウラが所属する別隊も出兵の準備が完了した。先遣隊よりも大人数での出兵だ。グラジオス城から南東の港まではまる一日かかる。南の国でどのくらい滞在するか明確には決まっていない。ガスパを制圧し、相手の物資の補給路を断つのだ。

 それとは別にタウラには呪いを解く手がかりを見つけるという目的もある。簡単に見つかるとは考えていない。けれど、手がかりに近づくための大事な一歩になる。焦りと期待を心に秘めながら、タウラは床についた。

 その一夜で、事態は急変する。出兵先のガスパから兵士たちが、予定よりもはるかに早く帰ってきたのだ。帰還の連絡は受けていない。ざわめく城内に港から緊急の報告が伝えられた。

 先遣隊隊長のマルス・マルタンが敵国に捕われたのだ。

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