Chap.4-3
朝が早かったので少し横になるというリリコさんと、二丁目界隈の挨拶周りへ出かけたタカさんと別れ、ユウキと海岸の東側を目指すことにした。
真っすぐ目を向けると、はるか遠くに海の家が並んでいた。一般の海水浴客が訪れるビーチから、この辺りはずいぶんと離れているのだ。自販機もないので缶ジュース一本買うのに、近くの道の駅まで戻らなくてはいけない。シャワーを浴びる設備もない。車で十分ほど行ったところに、銭湯があるらしいのだが、不便なことに変わりはなかった。そこまでして僕らはなぜこのビーチに集まっているのだろう。
改めてビーチを見渡した。ビーチバレーに黄色い声をあげたり、ナンパされたり、男の裸体に目の保養をする人々。不便だけどそれでもゲイが集まってくるのは、他のビーチでは味わえない開放感があるからだ。誰に気兼ねすることもなく、ありのままでいられる。
「あれ、寺井さん?」
楽しそうに遊ぶ人たちの間を歩いていると、肩からクーラーボックスを下げたオジサンに遭遇した。どうやらユウキの知り合いらしい。
その人は、ユウキの声に手を上げた。麦藁帽子からのぞく浅黒い顔にニッと真っ白な歯を見せる。
「どうしたんですかー、そんなの肩からブラさげて」
ユウキがクーラーボックスを指差す。
「こういう商売もいいかと思ってねえ」
とんとんと指先で弾くクーラーボックスに貼られた紙には「アイスキャンディ、アリマス」と書かれていた。
「また寺井さん、こんなところで商売しなくてもいいじゃん。あ、一平くんは寺井さんはじめてだっけか。バーバー寺井の店長、寺井さんだよ」
ユウキの紹介に合わせて、寺井さんがお辞儀をした。口ひげに白髪が混ざっている。五十歳くらいだろうか。年齢を感じさせない健康的でエネルギッシュなオーラを感じさせる。
「一平です。よろしくお願いします」
「そうか君がタカちゃんとこに来たという噂の新人くんだね? 一平くんか、いい名前だ。こちらこそよろしく」
寺井さんは人懐っこい笑顔を見せた。
ユウキとの会話から、寺井さんはタカさんやリリコさん、あとチャビのことも知っているようだった。
「寺井さんは、床屋さんをやっているんだよ」
「あ。だからバーバーだ」
「一平くんも良かったら今度おいで。オトコマエにしてあげよう。素材がいいと切りがいがある」
ふいに褒められて顔が熱くなってしまった。
「照れてるのかい?」
「もう、寺井さん! 一平くんはデビューしたばっかりなんだから、からかっちゃダメだよ」
「へえ、そう。でも私は真剣ですよ?」
「まったく。寺井さんには彼氏さんがいるんじゃなかったっけ?」
「今はフリーだよ。来るもの拒まず、絶賛募集中でありますよ」
「フーン。この間、二丁目をずいぶん若い子と仲良さそうに歩いてるのを見かけたんだけどなあ」
「それはアレだ。ホラ、店のバイトの子だよ」
「バイトの子に手を出したんですか?」
寺井さんに警戒心がわいて、一歩後ずさりをする。
「ナイナイ。そんな店の子に手を出したりするわけないでしょ」
「あれえ? でもバーバー寺井にバイトの子なんていたかなあ?」
眉をピクピク動かして考え込むユウキに寺井さんは、
「ま、細かいことは気にしない、気にしない」
と今日の太陽と同じくらい陽気な声を上げた。
「寺井さんって、いったい……?」
「いい人だよ。口だけで生きてるような人だから。あんまり真に受けちゃダメだけど」
「ユウキちゃん、フォローをどうもありがとう」
寺井さんは麦わら帽子を脱いで頭を下げた。別に褒めたわけじゃないと思うが。
「今日はタカちゃんと一緒かい?」
「そうです、リリコ姐さんも」
「リリコも一緒に海とはめずらしい。あとでいいもの持って遊びにいくかな」
「いいもの?」
「まあ、後のおたのしみってことだ」
僕らのビーチパラサルが立っている辺りを伝えると、寺井さんは「あ、忘れてた。ハイ、アイスキャンディ」とクーラーボックスからアイスキャンディを一本ずつくれた。去っていく後ろ姿に、掴みどころのない人だなと思う。
「アイスキャンディを売ってるってより、あれ配り歩いてるようなもんでしょ。恥ずかしいから売ってるコトにしてんじゃない?」
実にいろいろな人がいるものだ。デビューをしていなかったらきっと出会うことのなかったタイプの人だろう。
「あと、寺井さんに本気で髪切ってもらうつもりなら、気をつけてね」
「なんで?」
「あのひと、イカニモ刈り以外できないんだよ」
イカニモ刈りって、あれか……短髪、モヒカンみたいな。このビーチにもそんな髪型の人がいっぱいいる。まるで量産型ゲイ製造マシーンみたいだ。両手にハサミを持ってベルトコンベアー式に次々とゲイを製造する寺井さんの姿を想像したら、プッと吹き出してしまった。
もらったアイスが真夏の日にすぐ溶けてしまいそうだったので、慌てて食らいつく。寺井さんのアイスキャンディはとても懐かしいミルクの味がした。
ビューティパトロールの開始から一時間が経過した。
たまにイケメンを見かけるものの、誰からも声をかけられることもなく。次第に口数が少なくなり、僕のちょっと前を黙々と歩いていたユウキがついに足を止めた。
「砂浜をただ歩き回って……これ、自衛隊かなんかの訓練? もうふくらはぎパンパンなんだけど!」
「これも恋の訓練だと思えば」
「それ、ぜんぜん上手いこと言ってないからね。恋愛に訓練なんてないの。恋はいつでも初舞台て梅沢富美男も歌ってるじゃん」
「ユウキってさ、本当に二十六歳? まさか年ごまかしてないよな?」
ときどきオヤジ臭いことを言うユウキ。僕のツッコミを完全に無視をして、ユウキは長いため息をついた。
「はあ、どうやったらナンパってされるんだろう」
「さあ」
さっきからチラチラと目が合うことは合う。浜辺に寝そべる人、ビーチバレーのボールを追う人、僕らのようにビューティパトロールをしていると思わしき若い子たち。だけど皆が何かしら期待を込めた目つきをするだけで、お互いに逸らしてしまう。つまりみんながナンパをされたがっている状態なのだ。ナンパをする側がいない。これがリリコさんの言っていた「世にはびこる待ち子の発想」というものなのか。夏のアバンチュールはそうそう転がってはいない。
「夏の始まりから雲行きが悪いなあ」
そんな言葉と裏腹に、ビーチを取り巻く空と海は真っ青だ。はるか太平洋の先、水平線の彼方までずっと澄み渡った青い世界が続いている。白波と日差しに輝く海原に手をかざした。
「この辺りは外海だから波が高いな」
「ソトウミ?」
ユウキがそう聞き返す。
「房総半島の外側ってこと。東京湾みたいに陸に囲われた内海じゃなくて、太平洋に直だからさ。高い波がやってくるんだよ」
「へえ、そういうもんなんだ。そう言われるとみんなアップアップしてるね」
波間で遊ぶ人々に目を向ける。猛々しい波に、一部の人は飲まれてしまい、戯れるというより戦っている感じ?
「ねえ、わたしブサイクになってない? ダイジョウブ?」
と海水に鼻水を垂らしたガタイのいい男が、僕らの横を通り過ぎていった。ユウキと顔を見合わせて忍び笑い。振り返った男にキッとにらまれてしまい、砂浜をダッシュで逃げた。転がるようにしてユウキと砂浜に寝転がり、声に出してひとしきり笑った。
「ハア、笑ったわらった」
黄色い歓声と、波のさざめき。陽射しに焼かれた人々の肌。この景色の色彩はきっと今、このときだけのものだろう。この鮮やかな夏の色を褪せることなく保存はしておけない。
「ああ、何もしてないのに夏がどんどん終わって行く気がするなあ」
「そうかな?」
ユウキがピンとこない顔をする。
「そうだよ。東京の梅雨が明けるのってだいたい七月も後半だろ? お盆にはもう海はクラゲだらけだし。そう考えると夏ってホント今だけ。ニ週間くらいしかない」
「九月だって残暑で暑いじゃん」
「残暑は夏とは言わないんだ。ただ暑いだけでさ」
ユウキはわかるような、わからんような顔をしている。しばらくウーンと唸ってから、
「でも、夏って一瞬だから、特別な気がする。ヒトナツノコイってだからはかないのかな」
「したことあんの? ヒトナツノコイ」
「今年はしてないよ、ヒトナツものは。今年はずっと恋しちゃってるから」
「なんだそれ。好きな人がいるならビューティパトロールなんてするなよ」
「それはそれ、これはこれってね」
ユウキははにかむような、足の小指をどこかにぶつけたような微妙な表情を見せた。
Chap.4-4へ続く
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