第77話:決着はグラウンドで

 工藤監督が常華明城の老将、金村監督と握手を交わしているのを遠くの視界に捉えながら、俺は試合に向けて投球練習を行っていた。


 バシン、と乾いた音がグラウンドに鳴り響く。気分の上がるいい音を鳴らしてくれる。


 今日の先発捕手は日下部先輩ではなく同学年の慎之介しんのすけ。練習ではボールを受けてもらうことは何度もあったが、今日のように試合で俺とバッテリーを組むのはこれが始めてだ。


「うげぇ……緊張する。なんで練習試合なのにこんなに人が集まって来てんだよ……信じられねぇ」


 慎之介の言う通り。ただの練習試合だというのにグラウンド外、フェンスの周辺にはそれなりの数の観客がいた。


 明秀高校側の応援もいれば、わざわざ静岡から一緒に遠征に来た応援者もいる。


「絶対お前のせいだぞ、晴斗。夏のヒーローであるお前の復帰戦となればその姿を一目見ようと集まるに決まっているだろう!? しかもその相手がわざわざ静岡から遠征に来たとなればより注目される! せっかくお前とバッテリー組めるって言うのに……晒し者にはなりたくねぇよ……」


「大丈夫だよ、慎之介。お前のキャッチングの技術が高いことや、配球の勉強をしていることも知っている。もし自分を信じることが出来ないっていうなら、お前を信じている俺を信じろ」


「どこぞの熱血漢だよ、お前。でも……ありがとな。少し楽になったわ」


 誰でも初めての試合は緊張するものだ。それがどこからか突然湧いて出てきたように観客が集まればなおさらだ。俺も初めてマウンドに立った時は緊張してどうにかなりそうだった。そんな時に早紀さんが声援を送ってくれたから俺は平常心を取り戻し、心に炎を灯すことが出来た。


「晴斗! 試合、頑張ってね!」


 そう。ちょうどこんな風に声をかけてもらったのだ。


「もしも―――し。晴斗くん、聞こえてますか―――? 愛しの彼女が応援に来たのに無視ですかぁ? ひどくないですかぁ?」

「おい、晴斗。いいのか? すぐ横にいるなんかものすっげぇえ美人さんがお前の名前を呼んでいるけど。というか愛しの人って言ってないか? っえ、と言うことはあの人晴斗の彼女さん!? ってかそう言えばあの人、文化祭に来てたよな!? っえ、マジかよ!?」


 先ほどまで緊張すると言っていた男とは思えない程のテンションの上りように、俺は若干ひきながら彼の質問に答えた。


「そうだよ。あの人は俺が今付き合っている人だよ。そういうわけだから、少し話してくるわ。もし何か聞かれたらトイレに行ったとか適当に誤魔化しておいてくれ」


「ちょ……っえ、マジかよ、晴斗!?」


 何か言いたそうにする慎之介を置き去りにして。俺は急いでグラウンドから出て早紀さんのところに向かった。


「えへへ。来ちゃった」


 開口一番。早紀さんは舌をペロッと出しておどけてみせた。そのどこか気の抜けた可愛い仕草に俺はほっこりとした気持ちになった。試合前に昂っていたテンションがいい意味で落ち着いてく。


 試合までまだ時間がある。俺は早紀さんの手を引いて人目の少ない校舎の方へと向かった。


「早紀さん……来てくれたんですね。練習試合だからてっきり来ないものかと思っていました」


「何言っているよ。今日は夏以来となる晴斗の復帰戦でしょう?一人のファンとして……それ以上にあなたの彼女として、応援に行かないって選択肢はありえないでしょう?」


 誰よりも近くで応援して欲しい人から、応援することは当たり前だとはっきりと言われたら、これほど嬉しいことはない。俺の表情がさらに緩む。


「それに……来ているんでしょう、あの子が。また何かしてくるかもわからないからそれも不安で……私もそれなりにガツンと言ったんだけどまさかこうも早く乗り込んでくるとはね」


 早紀さんの懸念通り。夏の終わりに突如来訪してきたあの女。荒川恵里菜が今日この場に来ていた。面と向かって一生会いたくないと宣言したのによくも来れたものだと思う。


 それに俺が部屋に戻って休んでいる間にあいつの相手をしたのは早紀さんだ。具体的にどんな言葉を投げつけたのかは教えてくれないが、口ぶりからするにかなりキツイ言葉だったようだ。


「ありがとうございます。正直、俺もあいつが何を考えているのかはわかりませんが……ただ、これは俺が自分の手で決着をつけないといけない問題なので。だからここらから先は俺が頑張ります」


 もうあの頃のようには戻れないし、戻る気もない。俺は他の誰でもない、早紀さんを選んだ。だからどんなにあいつが言葉を尽くしても、俺の心があいつの元に還ることはありえない。


「でも……その後俺は……きっと疲れていると思うので……その……甘えさせて……くれますか?」


「……うん、もちろん。たくさん、たくさん。甘えていいからね? それから―――」


 言いながら、早紀さんは一歩俺に近づいて耳元で囁く。


「疲れた晴斗のこと。たくさん……癒してあげる」


 脳を震わす甘美な音色で奏でられた言葉。この一言が聞けただけで、今日の戦いを乗り切ることが出来る気持ちになる。我ながら単純だ。


「……この前の埋め合わせも……期待してます」


「フフッ。わかったよ。この前の約束を反故にした分も含めて頑張っちゃうぞ! ってね。さぁ、長いトイレ休憩はこの辺にして。そろそろグラウンドに戻らないとまずいんじゃない?」


 俺の追加注文にも早紀さんは快く応じてくれた。


 彼女に背中を押され、俺は彼女と一緒にグラウンドの方へと向かう。まだ試合前のアップ中のはず。慌てることはないのだが、そこに声をかけてくる人物がいた。


「おい……お前が恵里菜の幼馴染で元カレの今宮晴斗いまみやはるとだな?」


 二人して振り返り、その声の主が何者かを確認する。


 常華明城高校のユニフォームを着たその人物は、到着早々から俺に殺気立った視線を向けてきたエースナンバーを背負う男。だが名前は知らないので


「……どちら様ですか?」


 俺をあいつの幼馴染で元カレとして声をかけてきたのは何だか釈然としない。そこは同じ『1番』を付けている者として明秀高校の一年生投手、今宮晴斗として声をかけてきて欲しかった。


「俺は国吉悟史くによしさとしだ。お前の幼馴染の荒川恵里菜の今の彼氏だ」


 それを聞いた早紀さんの顔にはっきりと嫌悪の感情が刻まれる。俺は口を開こうとする早紀さんを制して、代わりに尋ねた。


「あぁ……そうでしたか。ご丁寧にどうも。それで、国吉さんは一体俺に何の用ですか? これから試合だっていうのに、わざわざそんなどうでもいいこと・・・・・・・・を伝えに来たんですか?」


「……なるほどな。恵里菜の言っていた通りだ。人は見かけによらないっていうのは本当みたいだな。これが甲子園を湧かせたヒーローか? がっかりだ」


 好き勝手に独り言を述べるのは別にかまわないのだが。結局この国吉さんは何が言いたいのだろうか。


「俺が言いたいことは一つ。この試合が終わったら、恵里菜とちゃんと話せ。そして謝れ。俺が言いたいのはそれだけだ」


「…………はい?」


 思わずそんな声が漏れた。


 俺のことをあの女からなんて聞かされているのかはわからない。それがどこでどんな状況だったかは想像するに難くないが、ようするにあいつは自分の彼氏に、幼馴染で元カレの俺がいかにひどい男だったかを盛りに盛って話したのだろう。


 だからこの人も初対面の俺に対して高圧的な態度をとってくる。正直に言えば、頭にくる。早紀さんは言葉を発するのを堪えているのか唇をわなわなと震わせている。


 だが、これは俺が売られた喧嘩だ。なら買うのも俺だ。


「……あなたが俺のことをあの女からなんて聞かされたかは知りませんし、興味もありません。ただ―――」


 ここで一度言葉を切り、目線を鋭くして突如現れた男を睨みつける


「俺があいつにかける言葉はありません。謝罪することも……ありません。出来ることなら今は顔も見たくない相手ですからね」


「お前……それでも幼馴染か!? 小さい頃からずっと一緒に居たんだろう!? それなのにどうして―――!?」


 国吉さんはどこか悲痛そうに叫ぶ。


 そう。恵里菜の彼氏ではあるが俺達の間でおきた出来事に関しては部外者である国吉さんには当然わかるはずのない疑問だ。


「それは……ハハハ。出来ることなら俺が聞きたいですよ。どうしてあいつがあんな風になったのか。何があいつを変えたのか。それは俺にもわかりませんよ……」


 気付いた時にはあいつの心は俺には向いてなくて。俺の知っている恵里菜はもうどこにもいなくて。気付けばあんな風になっていた。


 きっと今の俺は情けない顔をしているのだろう。国吉さんの俺の見る顔に先ほどまであった怒りは鳴りを潜め、むしろ今は戸惑いが浮上している。


「晴斗……そろそろ行かないと……」


 俺の肩に手を置いて。早紀さんに連れ添われるような形で俺は国吉さんに背を向けて再び歩き出した。


「ま、待て! わかった! もし! もしこの試合で俺達が勝ったらでいい! その時は恵里菜とちゃんと話せ! このまま終わりにするな!」


「……怒っていたと思ったら今度は心配ですか? 意外とお節介な人なんですね、国吉さんは」


「違う! 俺はただこのままでいいなんて思っていないだけだ! お前達は昔みたい・・・・に戻れる! そう思ったから俺はお前に―――!」


「……話すかどうかは、考えておきますよ。でも……そっか。俺以上に……いい人を見つけていたんだな……」


 他人に対して、しかも初対面の俺に対してここまで言葉をぶつけることができるのは国吉さんが思いやりのある良い人だからに他ならない。


 俺にはない魅力をこの人が持っていて、それにあいつが惹かれた。もしかしたら、ただそれだけの話なのかもしれない。


「今宮……お前……」


「それじゃ、国吉さん。ここから先の話はグラウンドで決着をつけましょう」


 これ以上この場で話すことは何もない。


 別離の決着は。


 今日、グラウンドでつける。


 

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